SOMNUS

おとぎ話をきみに




街路樹が朝日を浴びて金色に輝いている。
すっかり黄色に変わった葉の向こうには、秋晴れが広がっていた。
ノクトは車窓越しの景色を見やり、運転席へ声をかけた。
「ここでいい」
よく訓練された運転手は一切余計な口ははさまない。
「かしこまりました」の一言で、黒塗りの高級車は滑らかに停車した。

「いってらっしゃいませ」
運転手が車から降りて丁寧にお辞儀する。
振り向きもせず軽く手を上げてそれに応え、ノクトは通いなれた通学路を歩き始めた。
ひんやりとした朝の空気が眠気をさます。
しかし風はほとんど吹いていないので、それほど寒さは感じなかった。
正面から受ける日差しが温かい。
しばらく歩くと、自分と同じように登校する学生の姿が多くなってきた。
まだ始業時刻までは余裕があるので、誰も急いではいない。
ある者はわいわいと喋りながら、ある者はサッカーボールを蹴りながら、またある者はヘッドホンをしてポケットに手をつっこんで、それぞれのスタイルで学園までの道を歩いている。
時折、王子である自分に向けられる好奇の視線を感じることがあるが、ノクトにとってそれは空気と同じぐらいのものでしかない。
たまに握手やサインまで求められることはあったが、それも入学したてのころだけで、最近ではめったにない。
王子ノクティスはごく自然にこの学園の生徒に馴染んでいた。

学園の周りを囲む蔦のからまった煉瓦の壁のわきを歩いていると、後ろからぱたぱたと駆けてくる足音がした。
(あれ、まだ始業時刻には間があるはずだよな)
と、ぼんやり腕時計を確認すると、突然声をかけられた。

「おはようございます、ノクトさま」
ノクトは息がとまりそうになった。振り返るとクラスメイトで学級委員長をしているステラが立っていた。走ってきたためか、陶器のように滑らかな頬がほんのり赤く染まっている。
自分に挨拶するために、わざわざ走ってきてくれたのだろうか?
嬉しさにほころぶ顔を、ノクトは懸命に自制した。
「お、おはよう」
照れ隠しに咳払いしながら、彼はやっとのことで返事をした。
朝日に、ステラの金色の髪が眩しく輝いている。
ノクトの様子を訝る風でもなく、制服のスカートを揺らしステラは首を少し傾げてにっこり微笑んだ。
「珍しいですね、ノクトさまに登校中に出会うなんて」
「まあな」
ぶっきら棒に接してしまう自分がうらめしい。
声をかけられて嬉しいのに、素直になれない。
そもそも、いつもなら始業時間ぎりぎりにリムジンで登校する自分が、いつもより早く起きてこうして歩いているのは、ステラに声をかけられる、まさしくこんな偶然をどこかで期待していたからに他ならなかった。
まさかそれがこんなに上手くいくとは……。
信じられない気分である。

「さっきD組のゴルベーザ先生と偶然バスが一緒だったので聞いたのですが、エクスデス先生が今日お休みらしいです。なんでも、持病のリウマチが悪化したそうで……。なので一時間目の生物の授業がホームルームになるようなので、文化祭のことを話し合いたいなと思うのですが、いいと思います?」
足早に歩くノクトに懸命についてきながら、一気にそこまで話してステラは息を切らせていた。ノクトが歩調を緩めてあげればいいのだが、ステラに話しかけれただけで舞い上がってしまっている彼は、彼女と並んで歩くということ自体が照れくさかった。無意識に歩調が速まるのをどうすることもできない。ただステラの方はそのことを一向に気にしているようでもない。
「いいんじゃないか」
「ですよね! うちのクラス、運動神経がいい人が多いので体育祭は何とかなりましたが、文化祭は色々準備することも多いので焦っていたんです。エクスデス先生にはお気の毒ですが、時間をいただけて感謝したいです」
そう言って、いたずらっ子のように笑うステラを見た瞬間ノクトは顔に血が上るのがわかった。
(ステラって、こんな顔もするんだ)
思わず目を逸らせた。今、目を逸らさなければ、自分はころころと変わるステラの表情から永久に目を離せない気がしたのだ。

「ステラ」
凛とした低いがよく通る声が二人の足を止めた。まるで、聞いた瞬間にぴんと背筋が伸びてしまうような。
振り返ると、ノクトのクラスのもう一人の学級委員長であるウォーリア・オブ・ライトの姿があった。
背が高く、銀髪で、古代の彫刻のような恐ろしく整った容貌の彼が、肩で風を切って近づいてくる様は、それだけで威圧感がある。
「今日の一時間目のことだが……」
「ええ、聞きました。ホームルームになるので文化祭のこと話し合うのはどうかなって」
「さすがステラ。話が早い」
ウォーリアが満足そうにほほ笑む。普段めったに見せることのない彼の笑顔に、ステラも嬉しそうに微笑む。
二人は歩きながら文化祭の詳細について打ち合わせを始めた。
身の置き場が無くなったノクトは二人から離れるように足を速めた。
所詮、クラスの行事に興味のないノクトが、入っていける話ではなかった。
しかも、ウォーリアもステラも皆が嫌がるような学級委員という雑用係を、嫌な顔ひとつせず率先して引き受けたのだ。
自分には決してできない芸当だった。

打ちのめされたような心持でノクトが歩いていると、いきなり肩を抱かれた。身を引きつつ横目で見るとバッツがニヤニヤ笑っている。
「ノクト―!ドンマイ」
そう言いながら背中を叩くのはジタンだ。
「何がだよ」
ノクトはバッツの腕から逃れる。
「何も傷つくことはないぞ。ウォーリアの本命はコスモス先生だからな」
「まあ、ステラちゃんはどうか知らないけどね」
無責任な二人は楽しそうに顔を見合わせている。
「勝手に言ってろよ」
賢明なノクトは、二人のからかいに目くじら立てることが一層二人を喜ばせることを知っていた。
なんやかんやと騒ぎ立てる二人を置いて、彼は足早に校門をくぐった。









「……というわけで、文化祭の出し物は演劇に決まったが、何か異論のあるものはいるだろうか?」

教壇に立ったウォーリアが、皆をゆっくりと眺めまわす。
決して睨んでいるわけではないのだが、その鋭い視線に委縮してしまい、意見があったとしても言えない雰囲気がある。
「意見のある方は遠慮しないでくださいね」
ウォーリアの隣で、ステラが微笑む。
その笑みに勇気をもらっておずおずと手が挙がった。過日の体育祭ではMVPに選ばれたティーダだ。
「多数決で演劇に決まったのはいいとしても、なんで演目まで決められてるんスか?」
ティーダの意見が真っ当だとでもいうように、頷くものが数名いる。
「『眠り姫』なんて古臭い芝居やりたくないよ」
小声で不平をもらしたのはジタンだ。「そんなのより、サーカスっぽいことしようぜ。これだけ役者がそろってんだからさ」
「発言は手を上げてからにしてもらおう、ジタン」
ウォーリアがいさめる。
ちぇっと、ジタンは頬杖をついた。

「わたくしが説明しましょう」
ぱんぱんと手を打ち鳴らして皆の注目を集めたのは、教室の隅で話し合いの成り行きを見守っていた、このクラスの担任であるアルティミシア先生だ。今日も深いVネックの、年ごろの少年を指導する教師としては少々問題のあるセーターを着ている。彼女は一時間目の受け持ちの授業がなかったのでホームルームに参加しているのだ。
「演目が決められているのは、『眠り姫』がこの学園の伝統だからです。毎年二年生の一クラスが文化祭に舞台をやりますが、長い年月のうちに改良されてきたこの『眠り姫』の脚本は見事なまでに完璧であり、必ず見る人を感動させます。ジタン、もし違う演目をしたのであれば、この『眠り姫』を超える脚本を書いてごらんなさい」

アルティミシアお得意の、上から畳みかけるような物言いにさすがのジタンも引き下がるほかない。
彼は尻尾を自分の体に巻き付けて、すっかりふてくされてしまったようだ。

「あら、とんだ横やりをいれてしまいましたわね。続けて、ウォル」
アルティミシアが流し眼のような目線をくれるが、ウォーリアは至って無表情に平然と「はい」と言った。
この美貌の担任教師が銀髪の学級委員に気があるのは周知の事実なので、皆は二人のやり取りをどこか好奇の目で見ていた。
「アルティミシア先生の仰った通り、この『眠り姫』の脚本は良くできている。ジタン以外に異議を唱えるものがなければ、このまま配役を決めていきたいと思うが、いいだろうか」
賛同の声はまばらだ。初っ端からクラスが一つにまとまっているとは言い難い状況だった。
そもそも、真面目に話し合いに参加していたのは、なんだかんだ言いはしてもイベント好きなジタンやバッツやティーダ、それにティナやオニオンナイト、セシルといった優等生組、あとは真面目なフリオニールといった面子で、残りの半分、クラウドは一時間目からうとうとしているし、スコールはこっそりiPodを聞いているし、ノクトも壇上のステラに注目しているばかりで話し合いに参加しているとは言い難かった。
しかし、ウォーリアは皆のそんな様子に少しもめげた様子はない。
「では主役の眠り姫と王子の役から決めたいと思う。今から配る用紙に、妥当だと思われる者の名前を書いてもらいたい」
ステラが皆に用紙を配る。
途端、クラス内がざわめきだした。この話の中で、王子が眠り姫の眠りを解くためにキスをするシーンがあるからだ。
「はい、静かに。相談はしないように」
ウォーリアが冷静に皆を鎮める。
「ウォーリアさん、はい、これ」
皆に用紙を配り終えたステラが、ウォーリアにも白い紙を渡す。
「え? 私たちも書くのか?」
「ええ。だってわたしたちだって参加してもいいはずでしょう?」
「それは、そうだが……」
ウォーリアには自分も劇に参加するなんて考えはまるでなかったようなので、少し面食らったようだった。
ステラはそんなウォーリアを見て微笑む。そして自らも手にした紙にペンを走らせた。

「では結果発表をする」
ウォーリアの声にざわついていた教室がしんと静まった。
ウォーリアが一枚目の紙に目を落とす。皆がドキドキと続きを待つ。
「眠り姫、ステラ。王子、クラウド」
おおっとクラス中がざわめく。
「え、わたしですか?」ステラが少し頬を染めて、黒板の眠り姫の欄に自分の名前と、王子の欄にクラウドの名前を書く。
「次。眠り姫、ティナ。王子、クラウド」
「眠り姫、ステラ。王子、スコール」
「眠り姫、ステラ。王子、クラウド……」

といった調子で次々と開票され、結果が出た。

眠り姫
ステラ……12票
ティナ……10票
クラウド……7票
アルティミシア先生……1票

王子
クラウド……13票
スコール……8票
ノクティス……6票
ウォーリア……3票

「以上の結果、眠り姫は、王子はクラウドに決まった。異義のあるものはいるだろうか」
ウォーリアが自分の名が出たとはいえやはり無表情に話し合いを進める。
「妥当っちゃ、妥当なんじゃないっスか?」
「異義なーしっ」
「絵的には金髪同士のカップルって少女漫画っぽくて好みじゃないけど。とはいっても美男美女で文句はないです」
ウォーリアがひとつ頷く。
「では、これにてホームルームを終了する。次回はその他のキャストを決め、次々回からは早速脚本をもとに練習を始めたいと思う。これにて解散!」
ぴったりタイミングを計ったかのように一時間目終了のチャイムが鳴り渡った。

――うそだろ……。
休み時間のざわめきの中、ノクトはひとり呆然としていた。
――キスシーンってなんだよ、キスシーンて。
自分が選ばれなかったのは知名度の差から当然として、彼の懸念はその一点に尽きる。
ノクトは後ろを振り返った。
教室の窓際の一番後ろの特等席で、自分が主役に選ばれたのも知らず、突っ伏して眠っている男がいる。
窓から差し込む陽の光で、彼の髪がまばゆく光っている。
ステラと同じ美しい金色の髪だ。
男のノクトから見ても、クラウドは申し分なく強いし格好良かった。

今日二回目の打ちのめされた心持ちで、ノクトは彼から目を逸らしたのだった。









昼休みの食堂はいつも大混雑だ。
「おばちゃん、俺やきそばパン」
「俺、クリーム」
とパン売り場に群がる男子の群れをかきわけて、かつ丼の食券を買ったノクトはおとなしくカウンターで順番を待っていた。
以前は父親に言われるがまま、わざわざ車を呼んで王室御用達のレストランに出かけていたが、ティーダに進められてこの食堂の牛丼を食べてから、かしこまったレストランよりこっちのほうが旨いということに気付いたのだ。
しかし、かつ丼を受け取ったノクトは途方に暮れた。満席なのだ。
仕方なく教室で食べようと盆を持ったまま踵を返そうとしたその時声をかけられた。
「ノクト、ここ、空いてるよ」
振り返るとティナだった。
「ありがとう」
礼を言ってティナの隣に座る。
ノクトは少し緊張した。フリオニールほどではないと思うが、女の子のそばにいるというのは落ち着かないものだ。しかも、ティナはどこか浮世離れした神秘的な雰囲気を持っている。
気を取り直し、割り箸を割ってかつ丼をかきこむ。熱々で物凄く旨い。
しばらく夢中で食べていると、もうすでに食事を終えたらしいティナがつぶやいた。
「わたし、王子さま役ノクトに入れたんだけどな」
「え?」
ノクトは箸を止めた。
「だってステラ、本気で頑張るみたいだし、今度の劇……」
「え? ステラがなんて……」
聞き取れなかったノクトが訊き返そうとしたときだ。
「ティナ、待たせちゃってごめんなさい。あら、ノクトさま……」
ラーメンの器をもったステラが驚いたようにノクトを見つめる。
「席がないみたいだったから、ステラの席貸しちゃったの。ステラは食事まだだよね。わたしの席使って」
「え、ティナ……」
「わたしはもう食べちゃったから、先教室返ってるね。実は5時間目の科学の宿題忘れちゃって。セフィロス先生怒ると不気味だから昼休みにやっちゃおうと思って」
そう言うと食べ終わった盆を持ったティナは早々と席を立って行った。
ノクトは急に居心地が悪くなった。ステラが何故か神妙な顔をしているのも気になる。
「ごめん、俺なんか邪魔だったな。あっち行くよ」
しかし、ステラは首を横に振った。
「いいえ、どうぞ、座ってらしてください」
そう言って、彼女はすとんとノクトの隣に腰を下ろした。
「いただきます」と丁寧に手を合わせると、ぱきんと割り箸を割って、ラーメンを食べ始める。
良家のお嬢様然としたステラがラーメンをすすっている姿が、アンバランスだがどこか微笑ましかった。
自然に話しかけていた。
「ステラがラーメン好きなんて意外だな」
「そうですか? ここの味噌ラーメン、絶品なんですよ」
「へえ、明日食べてみるよ」
「ええ、是非」
ふふっと笑ってステラはまた箸を進める。
ざわめく食堂で、二人の周りの空気だけが穏かで静かだった。

食べ終えたステラが箸を置く。
「わたし、実は眠り姫の役、自分を投票したんですよ。だって、自分はダメなんて決まりなかったでしょ?」
「ああ、なかったと思う。でも、またなんで?」
そういえば、王子役はだれに投票したんだろう。気になったがノクトは訊けなかった。
「思い出、つくりたかったんです。この学園で忘れられない思い出を」
ステラは遠くを見つめるような瞳をした。
忘れられない思い出。
その言葉はノクトの胸に何故かずっしりと響いた。
青春の二度とは来ないであろうこの学園での日々、自分は何かに打ち込んだだろうか? ただ日々を消化しているだけではないのか。
「文化祭、成功させましょうね」
そうにっこり微笑むステラに、ノクトは曖昧な笑みしか返せなかった。









『眠り姫』とは次のようなストーリーである。

あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいた。ようやく女の子を授かり、祝宴に一人を除き国中の12人の魔法使いが呼ばれた。魔法使いは一人ずつ贈り物をする。宴の途中に、一人だけ呼ばれなかった13人目の魔法使いが現れ、11人目の魔法使いが贈り物をした直後に“王女は錘が刺さって死ぬ”という呪いをかける。まだ魔法をかけていなかった12人目の魔法使いが、これを修正し「王女は錘が刺さっても百年の間眠るだけ」という呪いに変える。呪いを取り消さなかったのは修正以外不可能だったためだ。

王女を心配した王は、国中の紡ぎ車を燃やさせてしまう。王女は順調に育っていくが、15歳の時に一人で城の中を歩いていて、城の塔の一番上で老婆が紡いでいた錘で手を刺し、眠りに落ちる。呪いは城中に波及し、そのうちに茨が繁茂して誰も入れなくなった。侵入を試みた者もいたが、鉄条網のように絡み合った茨に阻まれ、入ったはいいが突破出来ずに皆落命した。

100年後。近くの国の王子が噂を聞きつけ、城を訪れる。王女は王子の口づけで目を覚まし、2人はその日のうちに結婚、幸せな生活を送った。

(Wikipedia参照)



次の週から、本格的に劇の練習が開始された。
授業中に練習するわけにもいかず、ホームルームのない日は放課後残ってすることになる。
「僕、塾があるから今日は帰るよ」
オニオンナイトがそそくさと鞄を掴んで教室を出ていく。
「俺も今日用事があって」
「わたしも今日は妹を幼稚園に迎えにいかなくちゃ」
などと練習に参加しない者もいて、クラスの雰囲気はあまりよくなかった。

「ウォーリアさん、どうしましょう」
ステラが困ったように銀髪の学級委員を見上げる。
「仕方がないが、彼らは大道具や衣裳係だ。本番までに受け持った仕事をちゃんと果たしてもらえればそれでいいだろう」
ウォーリアはとくに気落ちした様子もみせず、
「では残った者たちでセリフの読み合わせから始めよう」
と場をとりまとめる。
ノクトの役は結局、姫を救出に向かうがいばらに阻まれ命を落とす一騎士の役になった。
セリフはほとんどない。
ステラはさすがに自分で自分を投票しただけあって、セリフに感情がこもっている。
ただ、やはり文化祭に乗り気でない者たちを目の当たりにしてその顔は陰っていた。
ステラ以上にプロ級の台詞まわしなのが特別出演のアルティミシア先生だ。
彼女は姫に呪いをかける悪い魔女役(これは自分で立候補した)なのだが、はまりすぎて恐いぐらいだった。
その迫力のまま、彼女が声を荒げた。
「クラウド、あなたやる気はあるのですか?」
「はあ」
名指しされたクラウドといえば、眠そうな目をこすっている。そもそも自分が主役の一人であることを分かっているのだろうか。
「次の練習までに今のところ感情をこめて練習してきなさい。いいですね」
ノクトは少しクラウドに同情した。
王子の台詞がやたら長いうえに、気恥ずかしいのだ。
『おお、愛しき姫よ。今こそ私の愛の口づけで目を覚ましたまえ』
なんてセリフをすらっと言えるのは、このクラスの中じゃウォーリアぐらいではないだろうか?
そう考えると、ますますウォーリアが王子にふさわしいような気がしてくる。
そもそもノクトが王子役に選んだのはウォーリアでお姫様役はティナだった。
ステラを選ばなかったのは学級委員である彼女にこれ以上の負担を強いたくないからだ。
ノクトにとって文化祭なんてものは「負担」でしかなかった。
ステラのあの言葉を聞くまでは。
「忘れられない思い出」
そんな考えは全くなかった。あの時までは。

でもだからって、
「いきなり王子役を代われと言われても……」
ノクトは言葉に詰まった。
「嫌か? あんたが嫌ならウォーリアに頼むけど」
屋上は風が強く、クラウドの逆立った髪とスコールのさらりとした髪を弄んでいる。
自分の髪も乱れてるのがわかるがそんなことを気にしている場合ではなかった。
「なんで王子役やりたくないんだ? せっかく皆に選ばれたのに」
クラウドは青い目を伏せた。
「みんなには悪いけど、ティファが悲しむから」
同じようにスコールも目を伏せる。
「俺も、リノアが、その、恐いし……」
ノクトは即合点した。
つまり、彼らは他のクラスにいる自分の彼女の手前、キスシーンを演じるのに抵抗があるらしい。
というのは建前で、実際はただ単に面倒臭いだけじゃないのか、と思ったがノクトは口にしなかった。
スコールが視線を逸らせたままつぶやく。
「あんた、適任だと思うけどな。なんてったって、正真正銘の王子だし」
クラウドも頷く。
「ああ、リアリティがある」
「そんなこと言われても、みんな納得するかな」
ノクトがなおも逡巡していると、クラウドが切り札を出してきた。
「わかった。じゃあウォーリアに頼むよ。悪かったな、呼び出して」

――ウォーリアが王子? それはまずい。あの誰が演じても臭いセリフを、ウォーリアならきっと純粋に真っ直ぐに言ってのけて、ステラを感動させてしまうかもしれない。

戻ろうとする二人の背中に慌ててノクトは声をかけた。
「王子役、俺がやるよ」

振り向いた二人はどちらも少し驚いたような顔をしていた。

(なかなかの演技派なんじゃないか。)

ノクトは内心で皮肉をもらした。









ノクトが王子役を代わったことについて、皆の反対意見はなかった。
それはクラウドやスコールのやる気がなかったこともあるが、なにより、ノクトが実際に王子であるという理由が大きかったようだ。アルティミシア先生は、王子役を実際の王子がやることで劇の宣伝にもなると嬉しそうだった。
最初からノクトを王子役に選んでいたティナや、バッツやジタンは手を叩いて喜んでいた。
「俺ははじめっから王子役はノクトしかいないって思ってたんだぞ」
そう言って肩を叩いてくるバッツに、照れながらもノクトはまんざらでもない気分だった。

翌日から三日間が中間試験なので劇の練習は中止になる。
就業のチャイムが鳴り、教室がざわつきだす。
鞄に教科書類を詰め込んでいると声をかけられた。ステラだ。
「ノクトさま、王子役よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる。ノクトは慌てた。
「いや、俺演技とかしたことないし、迷惑かけると思うけど、よろしく」
ステラは笑って首を振る。
「私も人前で演じるのは幼稚園以来です。お互い頑張りましょうね」

あのどこまでも前向きなエネルギーはどこから湧いてくるんだろう。
手を振って去っていく彼女に問いかけるように、ノクトは癖のない金髪を目で追っていた。
彼女の笑顔で王子役の責任や試験の心配など吹き飛んでしまっていた。


校舎を出ると寒風が顔に冷たかった。
皆の行く方とは逆、中庭の方へノクトは向かった。正門は目立つので、裏門の方に車を待たせてあるのだ。
中庭にはビニルハウスや、エクスデス先生が生物の授業で使うのだろうか、よく分からない植物の生えた畑がある。
季節が季節なので色の少ない殺風景な中庭をノクトが早足で横切っていると、見慣れたバンダナを巻いた頭が見えた。
「フリオニール、何をしてるんだ?」
振り返った彼の顔は土で汚れていた。
「あ、ノクト。いや、ちょっと薔薇に肥料をやってたとこなんだ」
フリオニールはこの寒空の下シャツの袖をまくってスコップを握っている。
「薔薇? この季節にか」
「ああ、秋でも咲く種類があるんだ。今度の劇、眠り姫だろ? いばらに覆われた城を表現するのに、本物の薔薇を使うのはどうかなって。ほら、これ」
フリオニールが指さした先には、小さな蕾をいくつも付けた細く刺々しい枝が茂っている。
「真紅の薔薇が咲くんだ。ちょうど文化祭のころに咲くように調整してる。花々に包まれて眠る姫君ってなかなか雰囲気があるだろ」
ロマンチストなフリオニールがいかにも言いそうなことだ、と普段のノクトなら思っただろう。だけど、フリオニールの言葉はいやがうえにもノクトに想像させていた。薔薇の中で眠っているステラの美しい姿を。
「王子役、頑張れよ」
フリオニールが笑う。花を愛する男の笑顔は朝の光のように清らかだ。
「ああ。あんたも立派な花を咲かせてくれ」
「まかせてくれ」
ノクトは微笑むと中庭を後にした。









三日間の試験期間が終わった翌日から、本格的な劇の練習が始まった。
放課後の練習に参加するものは、いまだクラスの人数の半分ほどだった。
ノクトが王子役の台詞を必死で覚えていると、声をかけられた。セシルだ。手にもっているのはメジャーだ。
「ノクト、衣装つくるからサイズ測らせてもらっていいかな?」
ノクトは持っていた台本を置いた。驚いてきく。
「あんたが衣装をつくるのか?」
セシルは女性のようにふわりとした柔らかな顔で微笑んだ。
「うん、もちろん、ぼくだけじゃないけどね。女の子たちに手伝ってもらうよ」
会話を聞いていたらしいティナがやってきた。彼女も自分の役である良い魔女の衣装をセシルにつくってもらったらしい。
「セシルはすごく器用なの。わたしって何をやってもがさつだから羨ましいな」
そこへ一騎士役のウォーリアがやってきた。彼はすでに騎士の衣装を着ている。青を基調とした作り物の鎧は彼の蒼銀の髪と完璧な美貌に良く似合っていた。これが彼の本来の姿ではないかと見まごうほどだ。
「みな、時間が足りない。今日は舞台稽古だが、急いで移動してくれ。大道具・小道具係のものは引き続き作業を続けてくれ」
「了解ッス」
「まかせとけって」
教室の後ろで段ボールを組み立てて何やら馬車のようなものを作っていたティーダとバッツが返事をした。
二人を含め道具係は十人ほどいるはずだが、参加している者は半数に満たない。
二人には申し訳ないが、大道具はゴミの山にしか見えなかった。文化祭に間に合うのだろうか? ノクトは少々心配だった。

実際に劇の行われる舞台になるのは、いつもは全校集会などで使っている講堂だ。
広いので暖房も効かず冷え冷えとしている。
役者たちは舞台で実際に演じる立ち位置で練習する。
最初はそれが把握できずに、舞台の上で人と人とがぶつかってしまったりしていたが一時間もああでもないこうでもないとやって、ようやくスムーズに流れるようになった。

「ノクト、そんな小さな声じゃここまで聞こえないわよ」
客席のど真ん中から練習の様子を見ていたアルティミシア先生から容赦ない檄が飛ぶ。
「ノクトさま、お腹から声を出すんです。大きな声だと上手に聞こえるんですよ」
ステラのアドバイスもノクトにとってはプレッシャーにしかならない。
「わかってるんだけど、セリフが長くて間違えずに言う自信がない」
「なんだ、そんなことか」
アマチュア劇団に所属しているジタンが監督席からひょいと体を起こす。経験のある彼は今回皆の指導役をしているのだ。
「セリフを一言一句間違えないようにしようって思うから、緊張するんだ。意味さえ伝われば省いたっていいんだよ。観客は台本なんて知らないんだし」
それはかなりいい加減なアドバイスといえたが、ノクトは少し救われた。

「ところで、ウォル。クラウドとスコールの二人はどうしたの?」
アルティミシアが周りを見渡している。腕を組んで視線は剣呑だ。ウォーリアがはきはきと答える。
「あの二人なら今日は用事があるとかで帰りましたが」
それを聞いたアルティミシアの目がさらに険しくなる。
「役を途中で放り出すわ、クラスの行事に消極的だわ、困った子たちね。いいわ、考えがあるから」
彼女の口元には物騒な笑みが浮かんでいた。









そうして、文化祭の準備もいよいよたけなわになってきた頃のことである。


「ああん? なんつった?」

ジェクトの怒号はたいして広くもない運動場に響き渡った。
ジャージ姿で片手にボールを抱き、こころもち上げた髭もじゃの顎をぼりぼりと無骨な手でかく。
上から睨みつけてくるその視線を、しかし、ウォーリアは姿勢良く静かに見つめ返した。
「次の体育の授業を文化祭の劇の練習に充てたいのです」
「劇のれんしゅうだとぉ?」
「時間がないのです。お願いします」
「なんだって体育の授業なんだ? あん、あれか? 俺様の授業がどうでもいいってことかよ、ええ?」
「そんなことは言ってません」
体操服姿の皆は(体育は男女分かれるので男子だけだったが)二人の<バトル>をはらはらして見守っていた。
バッツなどは面白がっているようでにやにやしていたが。
体育の授業を受け持つジェクト先生は、怒ると何をするかわからないと生徒たちに恐れられていた。
その逆鱗に触れた生徒が、夜も更けるまで校庭を走らされている光景は珍しいものではない。
走るだけではなく、そこには腕立て百回、スクワット百回などのオプションがついていることはざらだ。

「ふん、わかった」
おおっと皆がどよめく。ウォーリアが安堵の表情をしたのもつかの間だった。
「ただぁし!!」
ジェクトの声が皆の耳をつんざいた。
「俺様との勝負に勝ったらの話だっ」

ジェクトの勝負と言うのは、ビーチフラッグだった。
砂に刺された一本の旗をどちらが早く取るかで勝敗の決まる簡単かつスピーディな競技だ。
「誰が相手でも構わねえぜ。おまえが出るのか?」
ジェクトがにやりと笑ってウォーリアを見る。
「いや、わたしはこういう競技は苦手です。足の速いものがいいでしょう。ティーダ」
「ええっ? 俺ッスか?」
ティーダが慌てふためく。
「俺は無理ッス。オヤジには勝てないッス」
「あんだ、意気地のねえ」
「俺、ノクトがいいと思うけどな」
バッツの一言に皆が一斉にノクトを見る。
完全、傍観者の立場だったノクトは、いきなり当事者に引っ張り上げられた。
「俺は無理だよ。足、遅いし。ジタンとかのほうが……」
バッツが駆けよって耳打ちしてくる。
「ノクト、ほら、あれ使うんだ。あれ」
「あれってなんだよ」
「しゅんかんいどうっ。ジェクトに勝つにはあれしかない」
「はあ?瞬間移動って、あれは……」
「おいっ、なにコソコソやってんだ。おまえが相手でいいだろ、さっさとこねぇか」
ジェクトに呼ばれ、ノクトは皆の視線を受けつつ、しぶしぶ前に進み出るしかなかった。
本当に、いつもいつもバッツにしてやられている気がする。

「位置について。よーい」
フラッグとは逆を向いて地面に寝そべったノクトは、精神を集中した。
あの技を使うには、点と点を結ぶ役割を担う物質が必要だ。こんなもので成功するだろうか。ノクトは右手に握りしめた小石を見つめた。
「スタート!」
ティーダの掛け声で、ジェクトとノクトは身を起こすとフラッグに向けて猛烈なダッシュをした。
しかしやはりジェクトの鍛え抜かれた脚力はノクトに勝る。みるみる差が開く。
(今だ!)
ノクトは握り締めた小石を狙いを定めてはじいた。彼の指先から青白い光の筋が伸びる。
その瞬間ノクトの髪が白く光ったかと思うと彼の姿はビーチフラッグのもとにあった。
見ていた数人しかその様子に気づかないほど、それは一瞬のことであった。
ジェクトはすでにすぐ後ろにいたが、コンマ数秒の差でノクトがフラッグを掴んでいた。
二人が滑り込んだことで、砂煙が巻き起こった。

「ぃやったぜ!ノクト!」
バッツがガッツポーズをしている。
「仕方ねえな、俺様の負けだ」
体についた砂を払ってジェクトが立ち上がる。ノクトも身を起こすと顔に着いた砂を体操服の袖で無造作にぬぐった。
「先生、俺……」
ジェクトに見えているはずである。ノクトの目が普段の色でないことが。「力」を使うと瞳が真紅に変わるのだ。
しかしジェクトは口の端を釣り上げて見せた。
「あったりめえだ。ズルでもしねぇと、俺様に勝てるわけないだろうが」
「……」
「劇、成功させねぇとぶっ飛ばすぞ」
「……はい、ありがとうございます」
ノクトは丁寧に礼を言った。









その後、放課後の練習に参加するものが次第に増えていった。
ウォーリアやステラ、ジタンたちの声かけの成果である。
また、必死で劇の練習をしている者たちを見て、自分たちも何か手伝えることがあるか、尋ねてくれる者も増えた。
塾に忙しいオニオンナイトでさえ、最近では道具作りに精を出している。
要領がよく頭の回転が速い彼が入ったことで、舞台道具は急速に完成しつつあった。
「もっと早く来てくれよー」とバッツがぼやくが、「悪いね、ボクは忙しいんだ」とオニオンナイトはちっとも悪びれた風ではない。
バラバラだったクラスが、ようやく一つにまとまろうとしていた。

「みなさん、やっとやる気を出してくれたのですね。本当によかった」
ステラが感激したように両手を組み合わせた。
お姫様役を担ってからというもの彼女の仕草は日増しに舞台じみてきている。それがちっともおかしくないから不思議だ。おそらくそれが隠しだてのない彼女の本心からの言葉だからだろう。
ノクトはといえば、王子の長ったらしいセリフをジタンにだいぶ修正してもらい、やっと全ての台詞を言えるようになったところだった。しかし、一つどうしても失敗する部分がある。それは姫に口づけをするシーンだ。
眠るステラの顔を見ると、どうしても頭がスパークしセリフがぶっ飛んでしまう。
「ノクト、意識し過ぎ。フリだけでいいんだからさ。マジでチュウするわけじゃないんだから」
ジタンがメガホン越しに言うものだから、皆が一斉に注目する。ノクトはもうすでに耳まで真っ赤だ。
「わ、わかってるよ。本番はうまくやるから」
皆の好奇の視線の中、ノクトはそう強がるのが精いっぱいだった。
練習で出来ないことが本番で出来るとは到底思えなかったが。




放課後の練習が終わった後、ノクトは一人誰もいない講堂の舞台に残っていた。
いよいよ、本番は明日だ。いろいろあったが後は皆が心を一つにしてやりきるしかない。
アルティミシア先生が裏で何やら画策していて(どうやら劇中で秘密の出し物があるらしい)、その話題でクラス内が盛り上がっていたが、ノクトはその真相を知る余裕すらなかった。
問題のシーンは結局成功しなかったのだ。何度やってもセリフが出てこないので、業を煮やしたジタンが言ったのだ。
「大丈夫。ノクトなら本番は完璧だって」
元来自信家であるノクトは、皆の手前弱みを見せることなど出来るはずもない。胸中焦りと不安でいっぱいだったが、その口は勝手に動いていた。
「ああ、まかせとけ」

一体どの口が言ったのだろう。皆はノクトの力強い言葉に安心したようだった。不安の払しょくされた顔でひきあげていった。
もう後には引けない。今さら、誰かに代わりにやってもらうわけにもいかない。引き受けたからには最後までやり遂げなければ。
そう考えるとノクトはいてもたってもいられなかった。皆が下校したことを確認して一人講堂に戻ってきたのだ。
誰もいない舞台で一人、シュミレーションをする。
舞台のわきに置いてあった段ボール箱を持ってきて、そこにステラが横たわっていると仮定する。
「ああ、愛しき姫よ。目を覚ましたまえ」
声が出た。
静かな無人の講堂はノクトのあまり大きくない声も予想以上に響き渡る。
ノクトは段ボールの棺の前で跪いた。
想像上のステラがそこにいた。
白いドレスを着て、薔薇に包まれて眠っている。
(ステラ)
ノクトはステラの頬にやさしく手を触れた。
(好きだ)
目を閉じ静かに唇に唇を寄せる。
彼女の温もりがたしかに感じられた気がした。










文化祭当日がやってきた。
ノクトたちのクラスの劇は昼からなので、教室で最終練習を行っていた。
「ノクト、随分声が出るようになったのね。王子様らしくて素敵よ」
アルティミシアが声をかけてきた。
皆はまだ制服のままだが、彼女はすでに自分で用意してきた魔女の衣装を身にまとっている。
色は真っ赤で、背中には黒い巨大な羽が生え、Vネックは深く胸元どころか臍まで丸見えだ。
一体どこで調達してきたのだろうか。
「先生、それでは主役より目立ってしまいます」
ウォーリアが冷静に感想を述べた。
狭い教室ではセリフ合わせぐらいしかできない。
ただ、ノクトは昨日の一人練習のおかげか不安が薄まっている。
「頼んだぜ、ノクト」
ジタンが背中を叩いてくる。
「ああ、まかせとけ」
昨日と同じセリフも、今日は心から言えた。

ノクトとは反対にステラの顔色は優れなかった。椅子に座った彼女はなにやら祈るような仕草をしている。
「ステラ、もしかして緊張しているのか」
「え、ええ」
ステラがノクトを見上げる。その顔はこわばったままだ。
「練習の時はちっとも上がらなかったのに、いよいよ本番だと思うと、恐くて」
「深呼吸してみたら。ちょっとはマシになる」
「深呼吸…ですか?」
「あとは手のひらに『人』の字を書いて飲み込むとか。俺も国の行事で人前に出ることがあるんだけど、そういう時に試すんだ」
「おーい、御二人さん、時間だぞ」
バッツが扉から顔を出して二人を呼ぶ。気付けば教室にはもう誰も残っていなかった。
「ノクトさま、頑張りましょうね」
幾分やわらかくなった顔でステラが微笑む。
「ああ、練習通りにすればきっとうまくいくよ」
ノクトはステラに頷き返した。



「すげえ人だな、おい見ろよ、ノクト」
バッツに誘われるがまま、緞帳の隙間から観客席を見てノクトはたまげた。客席は人であふれ、なんと立ち見客までいる。
二回ギャラリーも人で埋まっている。
「現役王子様が王子役っていうのが効いたかな」
「それもあると思うけど、あれじゃないッスか」
ティーダが舞台裏の華やかな一角を指した。
ノクトは目を瞠った。
そこには色とりどりのドレスを着た「貴婦人」たちがいた。
「こんなことなら王子役やる方がマシだ」
紫の衣装に映える金髪と白い肌の美女、しかし声はクラウドだ。
「なんで俺がこんなことを」
こちらはクラウドほど様にはなっていないが、元が端正な顔立ちなどでそれなりに緑のドレスが似合っているスコールだ。二人はカツラをかぶり化粧をして女装している。
ノクトはアルティミシアの笑みを思い出した。こういうことだったのかと合点する。
後で聞いた話だが、出席単位を餌に二人を釣ったらしい。しかし、キスシーンをあれだけ嫌がっていたのに、女装姿は彼女に晒してもいいのだろうか。ノクトは腑に落ちない。
「クラウド、あなた目当てで遠くから来ている客もいるわよ。ほら、あの悪名高いドン・コルネオ」
「うそだろ……」
クラウドは何かを思い出したらしく桜色の唇を歪ませた。
女装は二人だけではなかった。
「よかった。衣装のサイズぴったりだね。その逆立った髪も王子の格好に妙に合ってるよ」
ノクトの王子衣装を見分しながら現れたのはセシルだ。
彼もまたスミレ色のドレスを着ていたが元が長い髪をしているのでカツラは不要だったようだ。
何故こんなにしっくり女装が似合っているのだろう。
「ほんとうに、うちのクラスは<美人>が多いわね」
舞台裏の隅ではアルティミシアが満足したように微笑んでいる。
彼女のたくらみは成功したようだ。観客の大多数が学内で人気のある生徒の女装目当てにやってきているであろうことは想像に難くない。

ステラも彼らの様子を見て緊張がほぐれてきたようだ。
「クラウドって本当に美人ね」
とティナと笑い合っている。
そうこうするうちに、ジタンの芝居じみたナレーションとともに『眠り姫』の幕は明けた。










どっというどよめきが客席から聞こえてきた。
序盤の見せ場、姫の誕生を祝う祝宴である。
貴婦人に扮したクラウドたちが登場したことで、観客たちはおおいに盛り上がっているようだ。
「ほひーほひー!骨太のおなごー」
そう声を上げながら舞台に乗り出してくる客までいて、舞台係が必死に静止していた。
しかし、そんな表舞台の様子さえ耳に入らず、舞台裏でノクトはセリフの最終確認をするのに余念がない。
いよいよだと思うと、人前に出ることは慣れていてもやはり緊張してしまう。
着替えにいっているのかステラの姿はない。
あたりは薔薇の芳香に満ちていた。
フリオニールが丹精込めて育てていた薔薇が、見事に花を咲かせているのだ。
「間に合ってよかったよ」
そう言いながらフリオニールは眠り姫が眠る棺に薔薇を丁寧に飾り付けていた。
段ボールが土台の貧相な棺が、みるみるうちに華やかに彩られていく。
本当に器用な男である。

「まあ、薔薇がこんなに」
控室から出てきたステラは、真っ白なウェディングドレスのような衣装を着ていた。
スカートは何層ものフリルになっており、ウェストは細く絞られ、シフォンの袖が大きく膨らんでいる。
スパンコールがキラキラと照明に光っていた。
他の衣装とは明らかに熱の入れ方が違うであろうそれは、ステラに驚くほど良く似合っていた。
ノクトは色んな意味で、眩しそうに目を細めた。
すると、舞台から異様な音楽が聞こえてきた。
おどろおどろしい笑い声。悪い魔女役のアルティミシア先生の登場だ。
「わたくしを馬鹿にした罰よ。永遠に呪われてしまいなさい」
高らかな笑いとともに、赤ん坊である姫に呪いの魔法をかけた魔女がさり、舞台が暗転。
幕が下がり、15年が過ぎたことをジタンが語る。
次はステラの番だ。
「では行ってきますね」
舞台そでに待機している面々に笑顔を残し、ステラは緞帳の間から舞台へと歩み出て行った。
そして魔女が化けた老婆の紡ぐ糸車の針で指をさしてしまう。
魔女の笑いと姫の悲鳴が重なる。再び暗転。
「よし、いくぞ」
「了解ッス」
「よしきた」
フリオニールとティーダとバッツが薔薇の棺を舞台の中央へと運ぶ。
そこへ下がってきたステラが急いで仰向けに寝た。手は胸の上で組み合わせる。
ティナがドレスの裾や広がった髪を直し、余った薔薇の花弁をちぎってをステラの上からひらひらとかけた。
「眠り姫」の完成だ。

再び幕が上がり、ナレーションが入る。
姫を助けに行く騎士姿のウォーリアが登場すると再び場内が沸いた。
「姫よ、どこなのだ、姫!」
ウォーリアの演技もなかなかのものだった。いばらの中で悲壮な叫びをあげる銀髪の騎士の姿は確かに絵になっている。
そうして、あわれ、騎士はいばらに阻まれ命を落とす。
やがて誰も訪れることもないまま、城はいばらに覆われ、100年の月日が経った。

いよいよ、ノクトの出番である。




「このあたりに呪われた城があると聞いた。ここがそうなのか」
本物の王子であるノクトが登場すると、拍手が沸き起こった。
しかしノクトにはそれさえ聞こえない。必死だったのだ。
剣を片手にいばらを切るふりをしながら進む。
そして舞台の幕が上がると、そこには――

「姫! これが噂の眠り姫か。なんと100年の歳月が経ったというのに、全く衰えず若々しい。一体姫の眠りをさますにはどうすればよいのだろう」

スポットライトがノクトとステラだけを浮かび上がらせている。
その様は、雲間から差し込む光にもにて、
その光に照らし出された二人の邂逅は、幻想的でどこか胸を打つものがあった。
ノクトは棺の傍に跪いた。その瞬間、魔法のようなことが起こった。
ノクトは周りの世界が見えなくなったのである。彼にはステラしか見えなくなった。役を演じていることさえ忘れ去っていた。

そこにはステラがいた。

真っ赤な薔薇に包まれて眠る彼女は、本当におとぎの世界の住人であるかのように、幻のように美しかった。
ノクトは思わず彼女の頬に触れていた。
恐くなったのだ。
何故か彼女が本当に息をしていない気がしたのだ。
予想は外れ、滑らかな肌はほんのりと温かい。
その温もりがいとおしくて、何故か目に涙がにじんだ。
胸がぎゅうっと苦しくなる。
どうして、こんなに切ないのだろう。
「ステラ、好きだ」
呟くようにそういうと、ノクトは彼女の唇に自分のそれを重ねた。
想像以上に、彼女の唇はやわらかかった。

客席から歓声が沸き起こり、ノクトは正気を取り戻した。
――俺は今、何を?
自分のしでかした失態に、その端正な顔がみるまに硬直する。

王子の背中しか見えない客席からは死角になっているが、舞台そでからはちゃんと見えていた。
「ノクト、マジでやっちゃったよ」
バッツが驚きとも喜びともつかぬ声で騒ぎ出す。
「でも、あれ、演技じゃなかったよな。もし演技だとしたらうちの劇団にスカウトしたいところだよ」
ジタンがうなる。
「ステラ……」
ティナも何故か涙目だ。
「ノクト……」
フリオニールは顔を赤くしている。

硬直してしまったノクトとは逆に、ステラは穏かな顔で目を覚ました。
本当はここで王子が「ああ、美しい姫よ。呪いは解けた。今こそわたしと結婚しておくれ」といささか早急ともいえるセリフを言うのだが、セリフの出てこないノクトに代わり、ステラは身を起こすとアドリブで演技を始める。
「まあ、王子様! あなたがわたしをこの呪われた眠りから救ってくださったのですね」
感激を示すように彼女は両手を広げると、あろうことかノクトに抱きついた。もちろん、台本にはない。
「ス、ステラ」
ノクトは慌てた。あらためて分かる彼女の頼りないほど細い腰。甘い髪の香り。
ステラが囁くように言った。自分にしか聞こえないような小さなその声は震えている。
「さっきの、嬉しかったんです」
「え?」
「好きだって言ってくれたこと。わたしもあなたが好きです」
そう言うとステラは伸びあがって自分からノクトに口づけた。

二度目のキスは客席からもしっかり見えていた。
場内は割れんばかりの拍手、喝さいに包まれた。
その中には、ノクトに憧れる女子生徒の悲鳴やステラに思いを寄せる男子生徒の嘆きも混じっていたが。

そんなこんなで、ノクトたちの劇は大盛況のうちに幕を閉じたのだった。
伝統の「眠り姫」に新たな伝説を追加して――




(END)



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長い間お付き合いくださりありがとうございました^^

ノクトの性格は公式とはちょっと違います。
なぜなら、まだ情報が出てなかったので・・・

色々無理のある展開でしたが、FFのキャラをたくさん書けて楽しかったですw

さくらさん、素敵なリクエストをどうもありがとうございました。

作中で書けなかったですが、クラスのみんなはノクトとステラの気持ちに気付いていて、
煮え切らない二人をくっつけようとあれこれお節介焼いてくれていたようです。
クラウドやスコールでさえ。

次回ノクトが出てくるお話を書くときには、公式設定で書こうと思ってます。が、
どうなることやら……




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