――この国では、銀河は空ではなく地上にあるんだわ。
窓の外に広がる目も眩むような夜景を見て、わたしはそう感じた。
体がふわふわ浮いているようなのは、飲み慣れないワインを飲んだせいだ。
少し頭を冷やしたくて、ここまで来たのはいいけれど、静けさが心地よく、もうパーティー会場の喧騒の中には戻りたくなくなった。
――それにこの絵……。
わたしは広間に飾られた、死神が抱く女神の絵に目を奪われた。
静謐な夜の女神…、その存在感にわたしは圧倒されていた。この国の信仰の一端に触れた気がして、底知れぬ畏怖を感じた。
――あの方も、信仰されているのかしら。
わたしはある人を思い浮かべた。
ノクティス・ルシス・チェラム。
この王国の次期国王となられる方。
わたしは彼のことがずっと気になっていた。
その原因はただ一つ。彼もわたしと同じ能力を持っていると風の噂に聞いたからだ。
しかし、どんなに願っても、会うことは決してないだろう。そう確信していた。それほど縁遠いと感じていた。
不思議なもので、近づきがたい存在であればあるほど、彼に会ってみたいという願望は大きくなっていった。
だから、この和平協定記念パーティーに出席出来ると聞いたときは、飛び上がるほど嬉しかった。
着て行くドレスを慎重に選んだ。
悩んだ末に決めたのは、純白のシンプルなものだ。
少し胸元が開きすぎかなとは思ったが、それで少しでも彼の気を引けるなら本望だ、と考えた。
以前のわたしなら、「はしたない」と切り捨てたはずなのに。
この変化はなんだろう。
答えは一つしかない。
――わたしは、彼に恋をしていたのだ。
そして、迎えた今日のパーティー。
わたしはフルーレ家の一員として振る舞うことを要求された。
すなわち、和平協定調印と同時につながりが深まるであろう関係者への挨拶回りだ。
繰り返される似通った文句、握手、お世辞の数々。それが一段落し、作り笑いのせいで強張った頬に手をやり、ふと舞台の方を見た。
彼がいた。
次期国王である彼は、案の定大勢に囲まれていた。
わたしが入り込む隙は、ないようだった。
頑張って割り込んで行ったら、なんとか顔を見てもらえたかもしれない。
でも、わたしはそうしなかった。
怖かったのだろう。
このまま、単なる憧れのまま終わらせたほうがいい。立場が違い過ぎるのだから。
そう、一歩踏み出せずにいる自分を正当化した。
ただ、勇気がなかっただけなのに。
わたしは窓ガラスに映る自分の姿を見た。純白のドレスも、外の星屑を散りばめたような夜景を前に、くすんで見える。
――滑稽だわ。
わたしは情けなくなった。こんな服を着て、念入りに化粧して、一体何を期待していたんだろう。
涙が一筋、頬をつたった。
自分にたいして微かに嘲笑を浮かべ、パーティー会場に戻ろうとしたその時だ。
会場からこの展望ホールに続く螺旋階段を上ってくる足音を聞いた。
わたしは慌てて頬の涙を拭った。心臓が早鐘を打ち始めた。姿を見たわけではないのに、わたしはもう確信していた。
――彼だ。
深呼吸をして、目を閉じ、楽しいことを思い浮かべた。
そう、彼を迎えるには、最高の笑顔でなければ。
足音が少し止まった。わたしに気付いたようだ。
彼に見られているであろう背中や脚に、力が入る。
でもまだ振り返りはしない。笑顔の準備ができていない。
足音が再び、ゆっくりとしたリズムで、近づいてくる。
わたしは、意を決して振り返った。
自分の顔が、女神のように温かな笑みを浮かべていることを祈りながら――
―END−