SOMNUS

対峙する光





王国が平穏な日々を失ってから、早三ヶ月が経とうとしていた。
なんと、濃密な三ヶ月であったことか。
テネブラエの侵攻、王の突然の死、ノクトの戴冠……。
これまで中立を守ってきた周辺諸国を巻き込んで、クリスタルをめぐる争いは日に日に熾烈さを増し、国内は混沌を極めた。
敵の数は増える一方である。
内務は全て大臣たちに任せ、特殊な力を有するノクトは王でありながら自ら戦の最前線で戦うことも少なくなかった。
もちろん、たった一人しかいない王族の彼を危険にさらすことに皆反対したが、彼に逆らえる者はもはやこの王国にいなかったのである。

戦闘に次ぐ戦闘。
その際限ない繰り返しは、やがてノクトの心を麻痺させた。
彼はただ寸分無駄のない動きで剣を振るい、そのあとには確実に死体の山が出来た。
敵という敵が甲冑にその面を隠していたので、あるいは何かのゲームのようにノクトはただひたすら彼らを倒すだけでよかった。
ノクトとて、単なる殺戮者ではない。
もしも、敵一人一人の顔、その目だけでも見えていたら声の一つ聞こえていたら、このような無駄のない動きは出来ていなかったはずだ。
彼らの抱える人生、彼らが故郷に置いてきた家族、そんなものに心を煩わせたかもしれない。
それによってノクトの勢いは衰えたかもしれない。
しかし、敵は均一的で、まるでそれしか能がないように、ノクト一人に向けて攻撃を仕掛けてくる。
だからノクトはなんら罪悪感を持つことはなかったのだ。
人の死が一ミリにも満たない虫の死と同然の世界。
ノクトは都市を貪る害虫の駆除でもしている感覚だった。
彼の瞳からはすでに感情は消え失せ、紅い輝きは機械のそれのように暗闇の中でも爛々と光っていた。
殺人マシーンと化した彼の行く手を遮るものは、もうなかった。
その姿はさながら黒豹のごとくしなやかに、ビルからビルへと飛び移り、垂直な壁を滑降し、アスファルトの街路を風のように駆け抜けた。

その夜も、満月だった。
太古の昔から変わらぬ光が、コンクリートジャングルを照らし出す。
その光に誘われるように、ノクトは幹線道路へと向かった。
街路には人の姿も車の往来もない。
皆、敵にやられたか、あるいはこの戦闘の中心部から避難していったのだ。
広い道路のど真ん中をノクトは走った。
ひんやりとした空気が心地よい。
その必要もないのに、街灯は灯され、信号は相変わらず赤になったり青になったりしている。
滅びた王国の姿を見てしまったようで、ノクトの心がにわかに痛んだ。
自分に感情が残っていたのだと気付き、わずかながら彼の口元に笑みがこぼれる。

交差点に差し掛かった時、彼の目は信じられないものを見たのだった。

見事な満月を背景に佇む一人の女性。
さながら月の女神を描いた一幅の絵のごとく。
全てが無機質な背景の中で、彼女のその金髪は風になびき美しくくっきりと目を射た。
その瞬間忘れていた感情が全て彼の内に舞い戻ってきた。

何故彼女がここにいるのか。
その疑問は形になる前に泡のごとくノクトの心から消え去った。
なぜなら、彼には予感があったからだ。
彼女が自分を待っているという予感が。
おのずと足が向かったのも、逃れられぬ運命の力が自分をこの場所にぐいぐいと導いていたからのように思う。

――もう逃げることはできないのだ。

(ステラ……)
声にならない呼びかけは、しかし、彼女に届いたようだ。
彼女は振り向き、ノクトを見つめた。
彼女の紫水晶の瞳には、いつもの凛とした輝きが宿っていたが、
それを濁らせてしまうほどに葛藤と悲しみが色濃く淀んでいた。

ノクトはすでに彼女の方へと歩き始めていた。
彼女も駆け寄ってくる。

しかし、突如彼女の体はまるで網にかかったように、湧きだしてきた薄紫に輝く光に阻まれた。
彼女の顔が悔しさにゆがむ。
悲しみを湛えた目でノクトを見つめてくる。

そして同じようにノクト自身も動けなくなっていた。
青白い光が自分を包みこんでいたのだ。
同時にあの声が聞こえてきた。
光を見ることが出来るようになってから、聞こえるようになった正体不明の声。
その声が自分をせき立ててくる。

――彼女を殺せ、と。


見ればステラの背後には大きな魔法陣が出現していた。
金色に禍々しく光を放つそれは、ただの模様ではなかった。
見つめるうちに、ノクトの中で意思とは関係なく負の感情が沸き起こってくる。
怒り、憎しみ、悲しみ……そういったものが胸中渦巻き、呼吸さえ苦しくなるほどであった。
光の力が起こす幻惑だと分かっていても、
それから逃れたいという切望が理性を凌駕しようとする。
ステラが持つ光の力。
それはまさしく、ノクトにとって「敵」である以外の何物でもなかったのである。

同時に自分と対峙するステラの表情から、彼女にも自分と同じような現象が起こっているのがわかった。
すなわち、ノクトの背後にもステラと対を成すように、青光りする魔法陣が出現していたのだ。
彼女は眉根を寄せ、唇を噛みしめ、必死で負の感情に抗っているようだった。
見ているだけで痛々しく、言葉を掛けようにも金縛りにあったようにノクトは声が出せなかった。

死者の国を照らす光。
同じくその光を見たという共通点が二人を引き合わせたのは、今にして思えば決して偶然ではなかった。
二人は、女神エトロの導きのもとに出会い、惹かれあい、そして今こうして望まぬ戦いを強いられている。
まるで、このいにしえの女神が若く美しい二人をうらやんでの悪意かと思われるくらい、その運命は残酷に過ぎた。

ノクトとステラは、未だ知らぬ光に授けられた力が、よもや愛する相手を葬るための力とは思わない。
逢瀬のたびに語り合ってきた光に関する会話。
その中で想像していた光は、もっとやさしく温かった。
光という共通点が自分たちを結びつけてくれたことに、感謝さえしていたのだ。
まさかそれが、自分たちが殺し合うための道具になろうとは、どうして想像できただろう。

ノクトは懸命にステラを包む魔法陣から目を逸らせようとしていた。
しかし、どういう仕掛けか、吸いついたようにその黄金の輝きから目を離すことができない。
怒りと憎悪の感情が、彼に望まない力を与えようとしてくる。
彼の瞳はとっくに青い凪を忘れ、赤い炎が揺らめきだしている。
それは彼が戦闘状態にいることを示していた。
光の挑発に応えるように、全身に力がみなぎり今にも弾けそうなのを、
ノクトは最後の理性で持って必死に抑え込もうとしていた。

葛藤は対峙するステラとて同じ事であった。
彼女は沸き起こるノクトへ向けての得体の知れぬ憎悪を必死で押し殺そうとしていた。
だが、それが無駄な抵抗であることを一番よく分かっているのも彼女であった。
彼女にはノクトより深く光に対する知識があった。
光の煽動からはもはや逃れらられぬことを承知していた。
ただ自分の気持ちを捨てきれず最後の抵抗を試みていたのだ。

しかし、それも長くは続かなかった。
彼女は諦めたようにきつく目を閉じた。
そして次に目を開いたときには、意を決した双眸は爛々とノクトを睨み据えていたのである。

ノクトは彼女の決意を悟った。
もう逃げられない。
ならばこの場で決着をつけるしかない。
遅かれ早かれこうなる運命は分かっていたのだ。
ただ、何かの間違いかもしれない、と淡い期待を抱いていた。
でもそれが叶わぬ夢だと分かったから、彼女は自ら彼の前に現われたのだ。
その決意を、ノクトは受け入れなければならなかった。

ステラはおもむろにレイピアを召喚した。
ゆっくり形作られていく細みの剣。
それを見たノクトは自らもまた剣を召喚した。
彼女の華奢な剣とは似ても似つかぬ、エンジンを備えた巨大な剣である。
他にもステラの武器と対を成すようなシンプルな剣はいくらもあるはずなのに、
何故これを召喚したか、それに思い当たった時彼は戦慄した。
エンジンブレードの威力はすさまじい。

自分はステラを確実に殺そうとしている――……

ノクトはまだ迷いを湛えた目でステラを見つめていた。
対するステラは、しかし、その目にはすでに迷いはもう見受けられなかった。
彼女は障壁になる感情を全て心の奥底に封印してしまうことに成功したのだ。
あとは魔法陣の導きのとおりに、あとからあとから湧いてくる偽りの憎しみでもってノクトを屠ることを考えるだけでよかった。

そしてとうとうノクトも、自らの感情を押し殺してしまうことに成功したのである。
感情を捨てた彼の目は、鮮やかな真紅に輝き始めていた。

どうして自分が愛する者をこの手で消さなければならないのか。
その疑問は、もう二人にとって疑問でさえなかった。
なぜなら、その疑問を持つことも叶わぬほど、二人はすでに光の傀儡となっていたからである。

シュッとうねりながら、ステラのレイピアが繰り出された。
それは単なる剣の閃きではない。
魔力を投じて突き出された剣先は、弧を描きながら同時に真空の刃を生みだす。
それが渦を巻いてノクトに襲いかかる。
まともに受けていれば、体中を切り刻まれただろう。
しかし、ノクトは瞬時に召喚した幾多の武器を防御壁にしてなんなくその攻撃を防いだ。
銀粉が巻き起こり、ダイヤモンドダストのようにキラキラ光を弾きながら二人を包みこんだ。

ステラはその銀粉を払いのけるようにして二の突き三の突きと連続攻撃を放った。
同時に巻き起こる真空の刃は、回を重ねるごとにその威力を増し、
ノクトの防御壁に当たって炎の上がらぬ爆発が起こるほどだった。
彼女が単なる良家のお嬢様ではないことは薄々分かってはいたが、
ここまでの力を有するとは知らなかった。
その驚きも、今となっては無意味なものだ。

ステラは躍起になって攻撃を仕掛けたが、ノクトからは何一つ仕掛けはしなかった。
彼が何一つ攻撃せずとも、遅からず彼女の剣の威力は衰える。
一撃一撃に渾身の力を込めていれば、当たり前だった。
彼女が疲れたところを見計らって一撃で葬るのはたやすい。
それは卑怯でもなんでもない。
ノクトは戦闘においては至極合理的に動く。
無駄な攻撃はしない。
ただ、押し殺したはずの感情が、ステラのいじらしい姿を見て蘇ってきていた。

彼女の必死の攻撃は、まるで自らの感情を振り落とそうとするかのように鬼気迫っていた。
彼女の眉根は険しく寄せられ、唇は噛みしめられ色を失っていた。
その様子はあまりに痛々しく、ノクトはもう見ていられなかった。

(いつも花のように笑っていた彼女を、だれが、こんな……)

二人で過ごした思い出がにわかによみがえる。
いつの日も、ステラはきらきらとその宝石のような瞳に光をたたえ、ほほ笑んでいた。
天使か女神の化身のような彼女が武器を持っている姿など、およそ似つかわしくなかった。

魔法陣の煽動もよそに、彼の心から負の幻惑が拭い去られていた。
あるのは、ただ、彼女に対する愛しさだけだ。

ステラはレイピアを両手に持ち、まっすぐ突き進んでくるところだった。
ノクトはエンジンブレードを持つ腕を下ろした。
その手から泡のように大型の剣は姿を消す。
召喚された防御壁を成す武器も全て彼の周囲から消え去っている。
もしステラが、ノクトが丸腰であることに気付いたのなら、足を止めていたかもしれない。
しかし彼女の勢いは止まらなかった。
なぜなら、彼女は固く目を閉じていたからである。
光の煽動に自らの感情を封印したかに見えたが、
ノクトと同じように彼女の内にも、ノクトに対する本来の感情がよみがえりつつあった。
戦いに終止符を打たねばならない今となっては、それは喜ばしいことではなかった。
今果たせぬとしたところで、いずれまた戦わねばならぬことは目に見えていた。
これ以上、光に翻弄されるのは我慢ならなかった。

彼女は、魔力を投じた剣とノクトの防御壁がぶつかることによって起こる爆発に身を投じようと覚悟を決めたのである。
何度か試すうちに、その爆発がかなりの衝撃であることは分かっていた。
事故に見せかければ、ノクトが強く責任を感じることもないだろうと思ったのである。

はじめから……そう、はじめから、
ステラは死ぬ覚悟であった。

だからステラは、目の前にノクトが迫っているはずなのに思っていた衝撃も起こらず、
自分の持つ剣が何かを貫く手ごたえを感じたことに、恐怖を抱いて目を開いたのだった。

あってはならないことが起こっていた。

ステラのレイピアはノクトの腹に深々と突き刺さっていたのである。
それだけではない。
剣の閃きと同時に魔力でつくられた無数の真空の刃が、彼の全身を切り裂いていた。
爆発をより大きなものにしようとした所為か、
不幸にも真空の刃はその数を増していたのだ。

「――ノクト……っ」
悲鳴がステラの口から洩れた。

ノクトは普通の人間なら絶命してもおかしくないほどの傷を負いながら、なおも立っていた。
剣から手を離し、両手で顔を覆うステラを見て、安心させるように少しほほ笑んだ。
その目からはすでに真紅の輝きは消え、夜の湖のように静かな青い瞳が揺れていた。
「悪い、一撃じゃ死ねないみたいだ」
何を思ったか、ノクトは腹に刺さったレイピアの柄に手をかけると、顔をゆがめて一息にそれを抜き放った。
鮮血があふれ出てアスファルトに滴った。
「ステラ……、あまり見せたいものじゃない。向こうを向いていてくれ……。それかこのまま走りさってくれてもいい……」
ノクトが何をするつもりか得心したステラは叫んだ。
「いや、いやです!」
ステラはノクトの持つレイピアを奪おうと手を掛けた。
しかし、深手を負ってさえノクトの膂力はステラを遥かに上回っていたのだ。彼の腕はびくともしない。

「ステラ、頼むから……向こうに……」
「そんなこと、させません」
ノクトの目的を封じるように、ステラは彼の体に腕を回した。
ノクトの体から流れ出た血が彼女の白いボレロを赤く染めていくのにも構わずに。
「ステラ……」
「あなたは、クリスタルを護る最後の王国の王です。それを、忘れたのですか?」
ノクトの背に回された彼女の手のひらが、ほのかな光を帯び始める。
回復魔法だ。
傷は深かったので、彼女は持ちうるすべての魔力を使わなければならなかった。
「ステラ、やめろ、やめるんだ」
ノクトは彼女の体を押しやろうとしたが、なぜか力が入らない。
回復魔法と同時に、ひそかにステラは隠し持っていた即効性の睡眠薬を使っていたのである。
「……ステラ……」
呟きながらノクトは意識を失った。
地面にくず折れる彼を何とか支え、彼女はゆっくりと彼の体をアスファルトに横たえた。

治療に要した時間はものの十五分とかかっていなかったに違いない。
ステラの持つ魔力はかなりのものだった。
レイピアの貫いた脇腹の傷は何とか塞ぎ、全身の裂傷も流血は食い止めたが、
それでも十分な治療が出来たとは言い難かった。
全ての魔力を使ったステラの体は、今にも倒れそうなほど消耗していた。
その体に鞭打ち、最後の仕上げにとステラは懐からポーションを取り出すと、口に含み、そのまま唇を重ねてノクトの喉に流し込んだ。
それが思いがけず気つけになったらしく、せき込んでノクトが目を覚ましてしまった。
ステラは自らの迂闊さを呪った。
「ステラ……」
ノクトは体を起こそうとしたが、ステラが肩を押しそれを阻む。
「まだ横になっていてください」
そう言うステラの顔が青ざめ生気が抜けてしまっているのに気づいたノクトは、「まさか」と呟いて脇腹の傷に手をやる。
「治したのか、こんなに消耗して……」
ステラの手を取ると、それは氷のように冷たくなっていた。
「魔力だけじゃない。ステラ、自分の命を削ったのか?」
ステラは何も答えない。
ただ長い睫毛の伏せられた瞳には、不思議と安らかな光が宿っていた。
「命を削って魔力にしたんだな。なぜそんなことを……っ」
とうとう身を起こしたノクトは、ステラの肩を掴んだ。
その肩までが冷たくなっているのに気付いたノクトは震えた。
「どの道、俺は死ぬ宿命だ。災いの元凶であるクリスタルとともに消えなければならないんだ。
 俺を救ってもなんにもならないのに……っ」
最後の方はほとんど叫び声になっていた。
「あなたに、生きていてほしかったから……」
ステラはゆっくりとノクトの胸に顔をうずめた。
「だから…助けたんです……。いけませんか……?」
ノクトの体に回された腕には、ほとんど力は感じられない。
枯れ枝のように頼りないその腕を取り、ノクトは逞しい腕の中に彼女を包みこんだ。
そうすると、彼女の体から急速に体温が失われていくのが直にわかった。
「ステラ、どうすればいい。どうすればきみを助けられる? 教えてくれ、ステラ……っ」
いつもは密着した胸から感じられる彼女のたしかな鼓動が、今はほとんど感じられない。

すべては、もう、手遅れだったのだ。

「ステラ、お願いだ、逝かないでくれ……、俺を一人にしないでくれ……」
ノクトの頬に延ばされた手、
そのか細い指先が、ノクトの頬の涙の道をたどり、すっと力尽きて落ちた。

「ステラ――……っ」

無機質なアスファルトの街路に、絶叫が響き渡る。



夜空に輝くのは、無数の星、帝王のような満ちた月。
光は今日も最後の王国を見つめていたのだった――……。









end.























 
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