望まざる力
「ノクト、この道さっきも通りましたよ」
隣でステラが不安げな声を上げる。
「…そうだったか? 悪い。次は左に曲がってみよう」
俺は、本当に情けない話だが、道に迷っていた。
今日は久しぶりにテネブラエからやって来たステラと二人きりになれる日だった。
城の連中にステラとの仲が知れるのが嫌で、街中まで連れ出したまではよかったが、その後がまずかった。
日常、移動は大体が運転手付きの車なので、実のところ、俺は城周辺の地理さえ頭に入っていないのだ。
こんなこと今更ステラに言える訳がない。
城に連絡すれば即座に車が迎えに来てくれるだろうが、それでは今まで隠してきたことが水の泡になってしまう。
ふと、あの三人が頭に浮かんだが、慌てて振り払った。
何年も暮らしてるこの町で道に迷ったなんて言おうものなら、二週間はネタにされるだろう。それだけは我慢ならない。
夜の繁華街は、けばけばしいネオンと生暖かい空気に包まれていた。
道々すれ違う人々の姿は二種類に大別された。見るからに不幸を背負い鉛色の雰囲気を纏っているか、幸薄さを押し隠し刹那的な娯楽に嬌声を上げているか。
人々の退廃的な様は、この王国の虚栄の裏に隠された真実を映しだしているかのようだ。
ステラにはあまり見せたくないものだった。そう、彼女には、宝石をちりばめたような夜景だけ見ていてもらいたかった。
あの光の裏にこんな現実が潜んでいることなど知らなくていい。
実際彼女は口数が減っていた。この王国に来るたびに、盛大な好奇心を発揮して俺を質問攻めにしていた彼女が、だ。
何故こんな場所に連れて来てしまったのだろう。 胸中、後悔が渦巻いていた。
事件が起きたのは、通りすがりのサラリーマンに道を尋ね、ようやく大通りに出られると安堵した矢先のことだ。
男たちは三人組だった。
一人はスキンヘッドに黒革のジャンパー、一人は角刈りを金髪に染め、剥き出しの二の腕に龍のタトゥーを踊らせ、
残る一人は、ボサボサの長髪を不潔になびかせ、薬物中毒者のように目が落ち窪んだ頬のこけた顔をしていた。
ニヤリと笑った口元から覗く歯が一本もなかったので、おそらくシンナーもやっているのだろう。
三人とも堅気の人間でないことは一目でわかった。奴らは、人気のない風俗店が立ち並ぶ狭い道の路肩に、輪を作ってしゃがんでいた。
タバコをくゆらせ、俺達二人を上から下まで舐めるように凝視した。隣でステラが息を飲むのがわかった。
――まずいな。
俺はステラを奴らとは反対側にやり、何食わぬ顔で通り過ぎようとした。が、それが叶うはずもない。
「……ちょっとそこのホストっぽいお兄さん」
話しかけながら角刈りは俺の肩を馴れ馴れしく触ってきた。男の手首で金のブレスレットが、生き物のようにうごめいた。
それを合図に残る二人も立ち上がる。悔しいことに、三人とも俺より上背がある。
俺とステラはたちまち取り囲まれてしまった。ステラが、俺のジャケットの袖を握りしめ、背中に隠れるようにして震えている。
「ノクト……」
その消え入りそうな声が俺に勇気を与えた。なんとしてでも、守らねば。 そう思った。
「どいてくれ」 俺は角刈りに言った。
「あんだって? 聞こえねーよ。もちっと大きな声でしゃべりな、お兄さん」 言いながら肩に置いた手を今度は頬にあててくる。
男の、汗ばんだ熱い手が粘着的に張り付いてくる。同時に酒臭い息が匂った。
「汚い手でさわるな……っ」
不快さに、反射的に振り回した右手が、奴の顎に命中した。男が大げさによろける。
「おい、先に手出しやがったぜ」
男たちの目が、面白い玩具を見つけたとでも言わんばかりに光った。そう、初めからこいつらは獲物を待ち望んでいたのだ。この人気のない袋小路で、網にかかる魚を。
ステラが俺の名を叫んだ。次の瞬間―――
俺は地面に突っ伏していた。背後から何かで殴られたらしい。強い衝撃で目の前に星が飛んだ。
手の平と頬が火傷したように熱くなる。擦りむいた皮膚から血がにじみ出た。ふら付く頭を何とか働かせ、立ち上がろうと両腕を地面に支えた時、今度は腹を蹴られた。
思わず海老のように体を丸める。内臓がせりあがり、さっき食べたものが逆流しそうになる。
「あんだ? 見かけ倒しか?」
「でもこいつ、どっかで見たことある気がするぜ」
男たちは仁王立ちで俺を見降ろしてきた。その脚の間から、ステラが見えた。今にも泣きそうな顔だ。あの気丈な彼女が。
「ステラ、逃げろ…・・・・!」
俺は痛みを堪えて叫んだ。それが引き金になったかのように、今度は右から左から蹴りがやってくる。
奴らは立ち上がる隙を与えない。意味不明な嬌声の中、俺は、まるでサッカーボールのように地面を転げまわっていた。体中の骨がきしみ、内臓がうねり、俺は嘔吐した。
しかしステラは動こうとしない。
――何してるんだ。早く。俺のことはいいから。逃げてくれ……!
声にならない声を出し、必死に目で訴えるが、ステラは口元を両手で覆い首を振る。
その彼女の腕を、角刈りが掴んだ。ステラの口から短い悲鳴がこぼれる。
「げ、彼女、めちゃくちゃかわいいじゃん」
顔を覗き込もうとする角刈りから、必死で距離を取ろうとするが、ステラの抵抗に男の太い腕はびくともしない。
「俺の店で働かね? 絶対、売れっ子になるぜ」
冗談じゃない。
立ち上がろうとした俺の横っ面を、スキンヘッドの拳がとらえた。風俗店の看板ごと、俺は再び地面に倒れこんだ。鼻から血が噴き出す。
「ま、その前に俺たちが味見するけどさ」
角刈りが蛇のように舌なめずりをした。長髪が、後ろから近付いてステラを羽交い絞めにする。金のブレスレットを光らせた腕がステラの肩に伸びた。
ステラ――!
俺は無我夢中でスキンヘッドの攻撃から逃れようともがいた。が、奴は喧嘩慣れしているらしく、俺の拳はすべてよけられた。逆にまた俺は奴の反撃を食らう。
唇が切れ、鉄錆の味が口の中いっぱいに広がった。己の無力さを呪う間もなく、間髪いれずみぞおちに叩き込まれた拳に、膝を折り地面にくずおれた。
背後に回ったスキンヘッドが俺を羽交い絞めにする。うなだれた俺の髪をぐいっと掴み、無理やり顔を上げさせた。
「よーく見てろよ。楽しいショーの始まりだぜ」
「――っ」
目の前では、角刈りがステラに馬乗りになって彼女の服を脱がせようとしていた。
ステラは必死で身をよじり、脚をばたつかせ、懸命に抵抗を試みていたが、両腕を長髪に掴まれているのでほとんど効き目はなかった。
薄汚れた景色の中で、彼女のアスファルトに広がった金髪とあらわになっていく白い肌が、痛いほど俺の目に焼きついた。
――俺は何をしてるんだ。早く、早く助けなければ。
しかし心とは裏腹に体は動かない。スキンヘッドの腕は頑丈な鉄鎖のようにがっしりと俺の腕を掴んでいる。
力が欲しい。力さえあれば―――
ステラの抵抗に嫌気がさしたのか、あろうことか角刈りは彼女の頬をぶった。何度も何度も。
頬を打つ乾いた音と、振り乱れる金の髪。力尽きたかのようにぐったりとするステラ。
俺の中で何かが弾けた。
目の前が急に明るくなった。夜なのに、日の光の中のようにすべての物が鮮明に見える。
内側から、腹の底から、何か熱いものがあふれ出してくる。
体中を包んでいた激痛が嘘のように消え、心臓が力強く鼓動を打ち始め、全身に血液がすごい勢いで循環していくのがわかる。
体の芯から足指の先まで、熱湯のように熱くなっていく。
筋肉が隆起し、身に付けた服が急に窮屈になる。
急速な体の変化に戸惑いながらも、何をすべきかは頭ではなく体が心得ていた。
鉄鎖のようだったスキンヘッドの腕は、今はもう用をなしていない。
俺は肘を思い切り後ろへ引いた。そこに奴の顔があるのはわかっている。
ぐしゃり。骨の折れる鈍い音がした。振り返ると奴は鼻を押さえて地面に突っ伏していた。
容赦なく、奴の無防備なうなじに踵落としをお見舞いする。
スキンヘッドの屍を跨いで、俺は地面を蹴った。跳躍は思いがけず飛距離が出て、俺はそのまま空中で体勢を整えた。 今度は角刈りの頭がサッカーボールだ。
俺の加速度つきの蹴りはきれいな弧を描いて角刈りの頭をとらえた。
在らぬ方向に折れた頭をして、角刈りは数メートル飛ばされ果てた。
長髪はすでに逃走をはかっていた。その背中めがけて、奴の落していった鉄パイプを槍のように突きたてた。
思いがけず力が入った。太いパイプが、奴の背骨を砕き、内臓をえぐり、さらに皮膚を突き破って向こうへ飛び出すのが感触として伝わってきた。
串刺しになったまま、長髪は地面に倒れこんだ―――。
「ステラ――」
俺は、仰向けに地面に横になった彼女に呼びかけた。
彼女は気を失っているようだ。俺は安堵した。先ほどの殺戮を見られてはいないようだ。彼女の腫れた頬が痛々しい。
俺は自分のジャケットを彼女のあらわになった胸元にかけた。
「……ノクト」
俺は目を見張った。ステラが目を開いた。なんてことだ。彼女は起きていた。
「あなたは、強いのですね」
「……」
ステラの細い手が俺の顔に触れた。冷たい指先に、俺の熱くなった頭が冷まされていく。
「すまない、ステラ。こんなことになるなんて……」
ステラの指が俺の目元をそっとなぞった。
「いいえ、あなたが『力』に目覚める日は、近いうちに来ると知っていました。光を見る者の力です」
「光を見る者……」
俺は初めて出会ったときにステラが話していた言い伝えを思い出した。この王国にも伝わる古い伝説だ。
もっと説明がほしくて、ステラを見つめた。しかし彼女はその紫水晶の瞳を閉じてこうつぶやいた。
「ごめんなさい。これ以上あなたの瞳を見ていることができません。その色は人の死を想起します」
瞳の色……。俺の目は一体何色になっているのだ?
「しばらくすれば元にもどるでしょう。それまでの間、どうかこのまま傍に居てください」
そう言いつつステラは静かになった。
長い睫毛が話しかけられるのを拒むように硬く閉じられている。
俺は彼女の頬に手をやったが、触れそうになる瞬間その手をひっこめた。
こんな、こんな汚れた手で、彼女に触れることはできない。
力を欲したのは事実だが……。これは現実のことなのだろうか。
見渡せば三体の死体が転がっている。俺が殺したのだ。超人的な力を使って。
信じられなかった。
あんなに無力だった自分が、一瞬にして超能力を得たのだ。
この力は何のためのものだ。
しかし、おかげでステラを守れたのは事実。それだけで十分だ。俺は信じたこともない神に感謝さえしていた。
俺は、その時、まだ知らなかった。
この力を使って、目の前に横たわる愛しい人を、葬り去る日が来ることなど―――
―END―
◇あとがき◇
ノクトは初めから強いわけじゃない、、、という前提で書きました。力を得るきっかけとなったお話です。
暴力シーンを表現するのに苦労しました。ほんとはもっとグロテスクにしよう(え
と考えてたんですが、わたしの表現力ではこれが精一杯でした。ほんと、まだまだです。
初めのほう、ノクトがちょっと弱過ぎです;; また、ステラちゃんもあんな風にやられるわけないと思う。(魔法で撃退しそう)
いきなり筋肉が隆起し・・・ってあんたはスーパーサイヤ人かっ って一人突っ込みを入れてました……。
これは実際のゲームでは考えられないでしょう。ノクトは最初から強いでしょう、たぶん。でも弱い彼も見てみたい(←これが一番書きたかったことかも;)
葬り去るだなんて…まだ決まったわけでもないのに。
とにかく色々とすみません。読んでいただきありがとうございました。
2009/01/25