SOMNUS

休みの日の朝寝ほど、幸せなものはない。 公務なし、帝王学の教師も休み、しかも口やかましい父王は隣国に出張中。最高 だ。

正午近くになっても、ノクトは自室のベッドでいつまでもぐだぐだとまどろんで いた。

三十畳はある城の最上階の自室。窓はすべて鎧戸を下ろし、外光は遮断している 。漏れてくるのは、天井に輝く星からの淡い光だけだ。

室内用プラネタリウムのおかげで、昼間でも夜の気分を満喫できる。

広いキングサイズのベッドの上でごろりと寝返りを打ち、さてもうひと眠りと瞳 を閉じた時――

「ノクトー!」

騒々しい声が天井に取り付けられた緊急用のスピーカーから聞こえてきた。

誰の声かわかったので無視していると、

「ノクト、起きろー!客だよ、お客さんだよー!」 声は一層大きくなる。

――客?

全く心当たりがない。人付合いの苦手な自分に、友人と呼べるのはあの三人だけ だ。

王子としての公務に関係する来訪者であれば、こんな休みの日に突然やって 来るなんてことはしないはず。

――いったい誰だ?

先ほどから騒がしい声の主――チャラ男が客の名前を言わないのも怪しい。

――あいつ、また俺をからかおうとしているな。

幼なじみのチャラ男には昔から散々痛い目に合わされている。疑い深くなるのは 当たり前だった。

ノクトは再び目を閉じた。 しかし、緊急用スピーカーからのけたたましい声は収まらない。さすが に腹が立ってきた。

――あいつに俺の貴重なまどろみの時間を奪う権利はない。

こうなったらチャラ男の頭を一発ぶん殴らないと安眠できそうもない。

ノクトは勢いよくベッドから跳ね起きると、寝巻にしているくたびれた黒いジャ ージ姿のまま扉に向かった。扉の向こうに下階へ通じるエレベーターがあるのだ 。

観音開きのどっしりとした扉を勢いよく開けると――

「――っ」

「――きゃっ」

扉の前にいた人物にすんでのところでぶつかりそうになった。

純白のスプリングコートの肩で金髪が揺れて光を弾く。 眩しさに思わずノクトは目を細めた。

自分と対象的な色を着たその女性は、ガラス張りのエレベーターホールの明るい 陽光の中で、可憐な仕種でお辞儀した。

「お久しぶりです、ノクト様」

彼女の真っすぐな瞳が自分に向けられる。 紫色を帯びたそれは日差しの中できらきらと輝き、今まで見たことのあるどんな 宝石よりも美しいと感じた。


「――ステラ……」

どうして、ここに? 言葉にならない問いを彼女は理解したようだ。形良い唇を綻 ばせた。

「父が仕事の都合でこちらに用事があって、わたしもついて来たんです。あのパ ーティーの日はゆっくり出来なかったから……」

ステラはそこで言葉を切り、目を伏せた。沈黙が訪れる。

ノクトは内心焦っていた。何か、何か言わなければ。来てくれてうれしい、とか 、王国を案内しようとか、何か。 しかし、心とは裏腹に気の利いた台詞は何も出てこない。

沈黙を破ったのはステ ラだった。

「ごめんなさい。やはりお邪魔でしたよね」

――違う。そうじゃないんだ。

「では失礼します。お休みのところ、すみませんでした」

淋しげに微笑んだステラは、軽く頭を下げ、踵を返した。 ――待ってくれ……!

切望は、しかし言葉にはならない。 膝丈のクリーム色のシフォンスカートがふわりと靡いた。

白いパンプスが、大理石の床にカツンとカツンと小気味よい音を響かせる。

その音が、まるで自分の不甲斐なさを攻め立てているようにノクトには感じられた。

エレベーターの扉が開き、彼女が乗り込もうとしたその時――……

「スト――プ!!ステラちゃん、ストップ!」

エレベーターからチャラ男が飛び出してきて、両腕を真横にめいっぱい伸ばし、エレベーターに乗り込もうとしたステラの行く手を阻んだ。

「…な、おまえ、隠れてたのか」 驚いたノクトが問い詰めると、チャラ男はにやりと笑った。

「隠れてたなんて人聞きの悪い。見守ってたんだよ。かわいい女の子を盛りのついた男の部屋に一人で向かわせられないでしょ」

「ばっ……人を獣みたいに言うな (ステラの前で……!)」

「それより、さっさと着替えておいでよ。まさか、その格好でステラちゃんと並んで歩く気じゃないよね?」  チャラ男が、ふふんと鼻で笑う。

ステラがいなければきっと殴りかかっていただろう拳を握りしめていたノクトは、今更ながら自分の格好に目をやる。

ジャージは五年以上前から寝巻にしている代物で、裾は綻んでいるうえに、膝には擦り切れた穴があいている。丈も短くなり、腹が少し覗いている。

ノクトはあわてて、ズボンをずりあげた。腰のゴムがゆるくなっていて、はみ出た下着が覗いていたのだ。

ステラがくすりと笑う。ノクトは顔がかーっと熱くなるのを感じた。     ――穴があったら入りたい。

「よし、ステラちゃん、ノクトが支度できるまで下の喫茶店で待ってよ。美味しいチョコレートパフェがあるんだ。」

チャラ男がステラをエレベーターに誘導する。「ノクト、のんびり待ってるからばっちり決めてきてよ。髪型も気合入れてさ」

そして乗り込む瞬間ノクトの肩をがしっと掴み囁く。「なにやってんのさ、折角のチャンスなんだよ。僕に感謝してよね」

散々恥をかかされ、到底感謝など出来そうもなかったが、ノクトはうなずいた。






******************************************************




昼下がりの街は、春の陽の光を浴びてさんさんと輝いていた。


黒のTシャツに同系色のジャケットを羽織ったノクトは、明るい街中で自分だけが浮いているような気がして居心地が悪かった。

しかし、薄い色の服は持っていないのだ。自分に似合うとも思えない。

先を歩くステラが振り返ってほほ笑む。

「新緑がきれいですね」

彼女の視線を追って顔を上げると、そこには薄緑色の真新しい葉をたくさんつけた街路樹が枝を広げていた。

木など改めて眺めてみたこともなかったが、なるほど、こうして陽の光の下で見ると、葉が透きとおり「きれい」と言えなくもない。

「あ、小鳥が」

ステラの指さすほうを見ると、アスファルトの上でスズメが二羽、何かを啄んでいるのが見える。

「かわいいですね」 ステラがにっこり笑う。

スズメなんてさして珍しくもないが、よく観察すると小さく丸っこくて可愛いと言えなくもない。

普段見慣れている景色だが、歩いて見ると色々と発見がある。もちろん、それはステラが教えてくれなければ見逃していただろう、小さなものばかりだ。

ノクトは、穏やかな気持ちで晴れ渡る青空を眺めた。

ステラの希望で百貨店に向かうところだったが、車で送迎してもらわなくて正解だったと感じた。


百貨店は城から歩いて十五分のところにある。七階建で、中世の貴族の屋敷を模した重厚な外観をしている。

入るとまずは宝石のショーケースがズラリと並んでいる。

――にしても、人が多い。

休日なので予想はしていたが、ノクトは内心すでにうんざりしていた。人混みが大嫌いなのだ。

しかし、百貨店はステラの希望なので文句は言えない。むしろ行きたいところを言ってくれてありがたかった。でないと、どこに連れていけばいいか見当もつかない。

ステラは宝石には目もくれず、二階へと直行する。まるで一度来たことでもあるかのように足取りに揺るぎがない。ノクトもおとなしく後に続く。

二階は婦人服売り場だ。ステラは申し訳ないような目でノクトを見た。

「ノクトさま、ごめんなさい。この国に来るたびになんだか自分の服装が周りの人から浮いているような気がして。だから、この国でも違和感ないような服を買いたかったんです。

ただ、自分のセンスは少しずれているから、あのよろしければ、アドバイスいただければ嬉しいです」

「アドバイスって言われてもな……」 ――非常に困る。

純白のスプリングコートもその下に来たオフホワイトのサマーセーターもクリーム色のシフォンスカートも、すべてが彼女によく似合っている。

確かにこの王国では昨今珍しいほどにピュアな服装だが、ステラはそれでいいとノクトは思った。

しかし彼女の中では何か納得がいかないことがあるのだろう。

「俺は男だしな。あまりいいアドバイスなんて出来そうもない」

ノクトは正直に言った。実際、服装にはあまりこだわりがない。

持っている服はすべて同一ブランドのもので、別にそのブランドが好きだとかそういうのではなく、ただ他のブランドの服を見るのが面倒なだけだ。

自分を飾ることにはあまり興味がなかった。髪型以外。

ステラはそれじゃ、と言い、「店員さんと相談して試着してきますから、感想聞かせてくださいね」

分かった、とノクトは言い入り口付近の壁にもたれて待つことにした。

しかし待てども待てどもステラはやってこない。眺めるとステラは店員と何やら話しこんでいた。

ふーっとため息をつき、ふと周りを見ると、自分と同じように彼女の帰りを待つ男が数人いた。

なるほど、これは男が通る最初の関門らしい。

女の子と出かけるという経験が初めてのノクトは、一人得心した。



腕組みして目を閉じているうちに本当に眠っていたらしい。

「ノクトさま、ノクトさま」

揺り動かされてはっと目を開ける。

ステラが立っていた。上は白い薄地のボレロ、その下に黒のキャミソール、そしてふんだんにフリルのついた黒のミニスカートにベルトを巻いて、足元は黒のロングブーツ。

スカートから伸びる太ももの白さが目を射る。心臓が早鐘を打ち出した。

ステラは少々上目遣いで どうですか? と聞いてくる。その子犬のように不安げなまなざし――……

「……かわいい」

心の中で言ったつもりが、声に出てしまい思わず口元に手をやる。また顔に血が上る。

しかしステラには聞こえていたようで彼女は満面の笑みをつくった。

「よかった!こんなにたくさんの商品があるとは思わなくて、随分悩んだんです。これ買ってきますね」

「あ、ステラ……」

「え?」 駆け出そうとしたステラが振り返る。

「いや、なんでもない」

にっこりうなずいてステラがレジカウンターに向かう。

言いかけたのは「俺が買ってあげるよ」という言葉。そして呑みこんだのはチャラ男の言葉を思い出したからだ。

『男が女に服をプレゼントするのは脱がせるためなんだよ』

そんな下世話な迷信をステラが知っているとも思えないが、念には念をだ。ステラには後で何か御馳走しよう。彼女は食べ物は何が好きなんだろうな……

一人逡巡していると、ステラが大きな紙袋を二つ提げて戻ってきた。

「持つよ」 そう言って彼女の手から袋を取る。よし、さりげなく出来たぞ、と内心喜ぶノクト。

「ありがとうございます。ノクトさま」

ステラがほほ笑む。

こんな小さなことでいちいち女神のような微笑が拝めるのだ。もったいなく思えるほどだった。

でもこの微笑はきっと誰に対してでも向けられるのだろうな、彼女の性格からして。そう考えるとノクトは少し哀しかった。

「それじゃ何か食べに行こうか(朝飯食い損ねたし)」

ノクトはそう切り出したがステラは、その前に、と言った。

「ノクトさまの寝巻を買いに行きましょう」

「え?」

「先に買い物済ませたほうがゆっくり食事ができるでしょう?」

「いや、寝巻なんていい(あれで間に合ってるし)」

ところがステラは腰に手を当てて「だめです」と言った。初めて聞く断固とした口調で言う。

「一国の主となろうお方が、あんな格好で眠っていてはいけません。上質な生地と体に合った大きさのものを身につけなければ、品格を汚します」

品格――… ノクトは反論する言葉を持たなかった。寝巻に求める品格ってなんだろう?

「さ、行きますよ」

腕を取られ、頭の中疑問符だらけのノクトは、ふらふらと着いていくしかなかった。




その時、物陰から金髪の男が自分たちを見つめていたのだが、ノクトが知る由もなかった――……。










―END―



















★あとがき★


ノクトのクールなイメージをことごとく破壊してすみません。
ノクトはあの髪型以外は、格好とかはあまりこだわりなさそうな気がして。
某ブランドの服もメガネ兄さんあたりに勧められて、「じゃ、それでいいや」って感じで着てるんだと思います。

ところで、ノクトって彼女いたことあったんですかね?
わたしはないと判断しました。あまりの美形ぶりと、照れ屋が災いして(笑)
だからステラちゃんが初めての相手なわけです。
チャラ男も、ノクトにやっと彼女ができる! というんで色々お節介焼いてくれてるわけです。
からかっているように見えて、実は仲を取り持とうとしてくれてるんです。
でもやはり面白がってもいる。

この後、ノクトはこの初デートを散々チャラ男にからかわれ、ネタにされ、チャラ男は彼の強烈なアッパーを食らうことになるわけですが、
それはまた別のお話^^









novel
inserted by FC2 system