伝えたい言葉
休日の午後、52V型ワイドテレビで、ノクトはチャラ男とマリオカートで遊んでいた。
「最近、ステラちゃんと会ってないの?」
隣で唐突にチャラ男が訊く。
何の脈絡もなく恋しい人の名前を出され、ノクトの手元が狂った。チャラ男が勝利する。
「なんだよ、いきなり」
憮然とした表情でノクトが訊き返す。
「前はさ、ほら、毎週とは言わないけど、二週に一回は二人で出掛けてたじゃん。
もう、前にステラちゃんが来てから三週間になるからさ、どうしたのかなーって思って」
「……」
「会いに行けば?テネブラエに」
「簡単に言うなよ」
他国へ行くには父王の許可がいる。それを知っていたから、いつもステラの方が遠くからわざわざ訪ねてきてくれていたのだ。
「電話してみたら?ステラちゃんに」
それは何度も試そうとした。しかし、携帯を取り出し番号をプッシュする間に、悲観的な妄想が膨れ上がるのだ。
ステラから連絡がないのは、もう自分に興味がなくなったからではないのか――。
結局、呼び出し音も聞かないままクリアボタンを押すことになる。
ステラが出れば、「会いたい」とその一言を伝えるだけで、何かが動きだすに違いないのに。
「ノクト、余計な御世話だと思うけどさ、言わせてよ」
言いつつテレビの電源をオフにした。陽気な音楽が消え、部屋中が静まりかえる。
チャラ男が、妙に改まった態度でこちらを向く。いつもへらへら笑っている口元から笑みが消えている。
「……なんだ」
ノクトは目を逸らした。チャラ男のまじめな顔は苦手だ。
「女の子ってさ、結構言葉とか大切にするんだよ。言わなきゃ、伝わんないことってたくさんあるよ。
ノクトは、望むものはなんでも手に入れられる立場だったから、わかんないのは仕方ないかもしれないけど、自分から動かないと逃げてっちゃうものだって世の中たくさんあるんだよ。
自分から何もしなくても向こうからやってくるなんて悠然と構えてるのは、王子の貫録でもなんでもない。プライドが傷つけられるのを恐れて逃げてるだけだ。ただ、勇気がないだけなんだ」
ノクトは言葉が出なかった。鋭いナイフのように、チャラ男の言葉が胸に突き刺さった。
チャラ男が立ち上がり、扉へと向かいながら追い打ちをかけるように続ける。
「……ステラちゃん、今晩六時からお見合いするんだってさ」
――見合い? ノクトは、一瞬、言葉の意味を理解できなかった。ソファから立ち上がることもできず、
「……嘘だろ」 喘ぐように口から言葉を紡ぎだす。
「メガネが仕入れてきた情報で真実だよ。相手は王国の国防長官の息子だ。ステラちゃんはテネブラエの名門のお嬢様だから、もちろん、政略的なものだけど。
でも、彼女は両国の和平に熱心だったから、この話受けるかもしれないね」
国防長官の息子……ノクトは記憶を遡る。たしか、会ったことがある。自分より二つ三つ年上で、キリリとスーツを着こなした爽やかな青年だった。
「お会いできて光栄です」 白い歯を見せ屈託なく笑みをこぼしながら、握手を求めてきた。面倒なのでグローブも外さず応対した覚えがある。
あとから聞いた話だが、慈善団体に所属して外交業務の傍らボランティアにも積極的だという。
五ヶ国語が堪能でハンサムな才色兼備で国民の間でファンも多いとか。
あの男とステラが……?
「悔しいけどお似合いだよね」
チャラ男がまたへらへら笑みを浮かべている。「ひきこもり王子より、断然魅力的だよね〜」
――プチッ
「ぎゃ、赤目!」
チャラ男が逃げようとするも一足遅く、戦闘モードに入ったノクトの蹴りは、超人的な跳躍の助けを借りて彼の背に命中した。
「げぇっ」 カエルのようなうめき声を発し床に倒れ込んだチャラ男の背に跨りながら、ノクトは言い放つ。
「見合いの席に案内しろ」
明らかに計っていただろうタイミングで扉が開き、メガネとスカーフェイスが入ってきた。
「車を下に用意している。急げ、ノクト」
高速を飛ばし、見合い会場であるホテルに到着したのは、見合い開始時刻の十分前だった。
「ここからは、一人で行く」ノクトはそう言って車から降りた。これ以上仲間の助けを借りるのは恥ずかしいと思った。
「ノクト、ステラちゃんはきっとノクトが好きだからね」チャラ男が根拠もないことを言うが、結構勇気づけられた。
「かっさらって来い」スカ―フェイスが親指を立てる。
「頑張れよ」運転席のメガネが軽く背を叩いてくる。
三人の応援に一つうなずいて、ノクトは車に背を向けた。
しかし、ホテルのフロントに到着するや否や、一体どうすればいいのか途方に暮れてしまった。
いきなり乗り込んで行って、ステラを連れ出すことができたとしても、そのことが親父にばれるとかなり厄介だ。国防長官との関係悪化は、政治的にまずい。
こんな場面で王子としての面目を気にしている自分を情けなく思い、しかし、足が動かない。
逡巡していると、フロント係が早速ノクトの正体に気付き、揉み手をしながらカウンターから出てくる。
「殿下、当ホテルへようこそ。ご予約されていましたか?」
「いや……」
フロント係は、最上階のスウィートルームへ案内しようとする。
――違うって。
思わず頭上を仰いだノクトの目が見開かれる。
ホテルは中央が最上階まで吹き抜けのチューブ型になっており、すべての階のバルコニー部分が見通せる。
ノクトの視力は、40階ほどのところ、バルコニーに立つ金髪の女性の姿を捉えた。
――ステラ……!
見つけた! ノクトはすでに走り出していた。
今は一人のようだ。今なら、連れ出すことができる(かもしれない)。
すれ違う人々が目を剥く様なスピードでノクトは走った。
エレベーターの到着も待っていられない。
階段を三段飛ばしで駆け上がる。40階に到着するとさすがに息が上がったが、それもつかの間。
心臓はすでに平常時の鼓動に戻っている。
しかし、バルコニーをくまなく探してもステラは見つからなかった。
――階を間違えたか?
舌打ちして、ノクトは41階へと向かった。同じように探し回ったが――いない。
もしやすでに見合いの席に着いてしまったのか。
焦りが最高潮に達する。
そう、ステラが見合いをしたとしても、結婚すると決まったわけではない。
しかし、今伝えなければ、一生後悔すると思った。
――もしかして、下の階だったのかも。
ノクトはバルコニーの手すりを持ち、身を乗り出して下階を見下ろした。
すると――……
ステラがいた。一番下の階、一階のフロントで何やら話している。
――なんてことだ。すれ違った!
話が終わったのか、ステラは踵を返し、出入り口へと向かう。
――待ってくれ!!
今からエレベーターや階段で下りても間に合わない。こうなったら――……
ノクトはバルコニーの手すりによじ登った。
すぐそばで荷物を運んでいたベルボーイが気付き、「お客様!!」と絶叫しながら走ってくるが、
その手が肩に触れる寸前、手すりを蹴ったノクトはすでに空中にいた。
重力の法則に従い、ノクトは落下していた。
――このまま落ちれば間違いなく死ぬな……。 冷静に考え体を回転させて受け身をとる。
落下地点に人がいないところを目測して、空中で位置を調整する。
図らずも、ノクトはステラの目前に跪く形で着地していた。
「ノクトさま……!」
ステラが目を丸くして、立ち尽くす。
どよめく周囲にこのまま長居するのは不味い、と感じた。
ノクトはステラが一人であることを確認して彼女の腕をつかみホテルの外へ連れ出した。
絶妙のタイミングで、車がやってくる。
「ごめん、話はあとで」ノクトはステラを車へと誘導する。ステラはうなずいてその指示に従う。
それだけでノクトは救われた気がした。もし彼女が拒否したら……力づくで攫っていく自信はあまりなかった。
車には運転しているメガネしか乗っていない。
「あとの二人は邪魔だからな」メガネが笑った。
二人はメガネの案内で都心のビルの最上階にある隠れ家のようなバーへとやってきた。
「それじゃ、ごゆっくり」
「メガネ、色々…その、…ありがとう……な」 いつも言えないセリフが素直に出てきて、ノクト自身驚いていた。
「なんだよ、調子狂うな。いつものことだろ」
メガネは背中を向けると、ひらひらと手を振り、去って行った。
窓際の、都心の夜景が一望できる席に二人は案内された。
向かい合わせの席ではなく、並んで座れるようになっている。
個室のように他と仕切られていて、音を控えたジャズと店内の暗さのおかげで、落ち着くことができた。
席に着くと、ノクトはまず、謝った。
「ごめん、ステラ。その、無理やり連れ出して」
「いえ、ちょっと驚きましたけど。ノクトさま、あんな高いところから落ちてくるんですもの」
「ああ、ちょっとやってしまった」 ノクトは人差し指で頭をかく。あとで事件にならないことを祈るばかりだ。
ふふ……とステラは笑った。「すごいですね、ノクトさまは」
――良かった。怒ってないみたいだ。
いつも通り少しずれた感想をこぼすステラに、ノクトは胸をなでおろした。
運ばれてきたカクテルで唇を湿らせながら、さてどう切り出したものか、と思案しているとステラの方から口を開いた。
「今日、実はお見合いの予定だったんです」
「……見合い?」
初耳を装ったが、下手な芝居になってしまった。
「ええ、この王国の国防長官のご子息で……、ご存知ですか?」
「ああ、名前だけなら」 どうでもいい嘘をつく。
「すごく良い方で、いえ、会ったことないんですけど、話に聞いただけなんですが……」
ステラが珍しく口ごもる。
再び訪れた沈黙の中、ノクトは王国の中心にそびえたつ、二対の摩天楼を眺めていた。
周りの建物からひと際高く目立つ己の住まいはまるで――……
――取り巻きに囲まれて威張っているガキ大将のようだな。
父王が指示をしたのだ。
城より背の高い建築物を造ることは法律で禁じられている。
妙な感想を抱いた。――そう、俺も同じだ。王子という立場を笠に、与えられることを当然と思っている。プライドだけは強くて、見栄ばかり張っている。
「結婚なんて、まだ早すぎると思いました。でも身を固めればこの想いからも解放されるかなって、そう思って……」
下を向いていたステラが、ふっと顔を上げた。
ノクトを見つめる瞳は、夜の闇の中で深い藍色に沈んでいる。何事にも前向きで弱音をはかないステラが初めて見せた悲しげな表情に、ノクトは胸が痛んだ。
「馬鹿ですよね」
そう自嘲的な笑みをこぼして、再び俯こうとしたステラの顎をそっと掴み、それを阻んだ。
「馬鹿じゃない」
気付いたら、彼女の、驚きで半ば開いた唇に自分のそれを重ねていた。
ただ触れ合うような口づけだったが、重なったところから彼女の震えが直に伝わってきた。
無論、震えていたのは、極度に緊張してたいた自分の方かもしれない。
唇を離すとファーストキスの緊張から解放されて、自然と言葉が出てきた。
「……好きだ」
いつも喉元に絡まっていた言葉が、するりと声になった。なんでもっと早く伝えることができなかったのか。そうすれば、彼女をこんなにも苦しめずに済んだかもしれないのに。
しかし、ステラはまだ目を閉じたままだった。閉じた目じりから一筋の涙がこぼれ落ちる。
それを見たノクトは慌てた。「ご、ごめん、いきなり。順番おかしいよな」
ステラの目が開く。瞳は涙にキラキラと濡れて、でも笑顔だった。
「いえ、嬉しくて。これ、嬉し泣きです」
涙は、しかし、あとからあとから溢れてくる。「あれ、どうしたんでしょうね。止まらない」
子どものように握った拳で涙を拭きながら、ステラがまた笑う。眉を八の字にして、流れるマスカラを気にもせず。
その様子がたまらなく愛しくて、ノクトは思わず彼女の体をかき抱いていた。
初めて触れる彼女の体は、細くて頼りなく、抱きしめると折れてしまいそうだ。
ステラは、震える声で言った。
「わたし、あなたが好きで……。でもあなたは次期国王になられる方だし、わたしとはあまりにも身分の違う方だから、ずっと諦めようと思ってたんです。
でも今日、お見合いをする間際になって、やっぱりどうしても諦められなくて。それに自分の人生が決まってしまうのもすごく怖くて、お見合いの席を抜け出して……。
だから、あなたが現われてほんとに嬉しかった………」
普段はきはきと話すステラがたどたどしく語る心情は、ノクトの胸の内にふわりと沈んでいき、春の木漏れ日のような温かさで満たしていく。
彼女にこんなにも想われていたということに、身を震わせんばかりの喜びを感じた。
「次期国王とか、身分とか、そんなの関係ない」
何かを振り切るかのようにノクトは一層強くステラを抱きしめた。
「ええ……」
応えながらステラはノクトの逞しい背中に腕を回した。
抱き合う二人を見守るのは、夜景に圧されながらも輝きを失わない、夜空の星たちだけだった――……。
――そのころ、城内、ノクトの自室。
「メガネ、うまくいった?」
チャラ男がスキップでメガネに近づく。
メガネは壁にもたれ、煙草を吸いながらけだるげに「ああ」と言った。
「なんだよ、元気ねえな」
テレビを見ていたスカ―フェイスが顔をあげる。
「これでよかったのか、と思ってな」
「なんで?ノクトの恋路を応援しただけじゃん」
チャラ男は不思議そうに首を傾ける。
「ああ、そうだな」
メガネはそう相槌をうち、しかし内心では嫌な予感が渦巻いていた。
もしこの予感が当たれば、俺たちはあいつにものすごく残酷なことをしたのかもしれない。
メガネは、煙草の白い煙を目で追った。
――なに、根拠もない想像してんだろうな。
不安が煙のように消えていくことを願い、
いつまでも彼はゆらめくそれから目をそらせずにいたのだった。
END
あとがき
恥ずかしいです。いろいろと。
ノクトはファーストキス希望(はい、自分の希望です。すみません)。
ステラちゃんはどうだったのかな。やはり二人とも初めてがいいですね。
可愛い二人をお願いします。(誰に言ってんだ)
やはり二人の初キスは、夜景のきれいな場所がイイ!
最上階のバーとか、メガネ兄さん詳しそうだなと思い、世話係決定。あとの二人は乗車人数の関係上、割愛。
あ、でも五人乗りだったら余裕で座れるか。まあ、やはり邪魔だったので(ヒド!)。
一番、ノクトの恋路を応援していたチャラ男くんには悪いことしたな・・・。
なんかシリアスな終わり方になってしまいました。メガネ兄さんは苦労性のようです。
しかしこんな必死なノクト、本編では絶対お目にかかれないだろうな・・・。
お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
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