SOMNUS


郊外のその公園は、桜の季節だというのに人は少なかった。近くに、遊園地と合体した大きな公園があるので、皆そっちへ流れていくのだろう。だから、ノクトとステラは、青空に映える薄桃色の花をゆっくりと眺めることができた。
「きれいですね」
「ああ、きれいだな」
満開を少し過ぎた桜並木。時折強い風が吹くと、はらはらとはかなく舞い散っていく。
一ヶ月ほど前の約束をこうして叶えることができたのはよかったが……
「もう少し早く来れば良かったな」
そうすれば、満開の桜が見れたかもしれない。ステラはしかし、いいえ、と言った。
「こんなに美しい桜吹雪、わたし初めて見ました。今日来ることができて良かったです」
にっこり微笑んで数歩先を歩くステラを、ノクトは安堵して見遣る。
ステラが文句を言うわけがない。自分が間違っていたわけではないことを、ステラに言葉にしてもらい安心したかっただけなのだ。
自分の狡猾さが嫌になる。
しかし、桜の中を歩くステラは、そんなノクトの後ろ暗さを消し去ってしまうほど、春の光の中で輝いて見えた。
金の髪が風に靡いて光を弾く。レースの飾りがついた白いカーディガンとミントグリーンのプリーツスカートを翻しながら、時折、彼女は笑顔で振り返る。
粉雪のように降る桜の花びらがつくる点描画のような景色の中で微笑む彼女は、それこそ一枚の絵にして残しておきたいほど美しかった。
写真は嫌いだが、カメラを持って来なかったことを、ノクトは後悔した。
前を行くステラが急に立ち止まった。
「ノクトさま、見てください」
指差す方を見ると、そこには目を見張るほど大きな桜の木があった。
幹や枝の太さから、かなりの老木であることがわかる。しかし、横に広がった枝枝には零れそうなほどびっしりと花をつけていた。もこもこと密生した花々がふわふわと風に揺れている。老木ゆえに体内時計も少しスローなのか、今が満開の時期を迎えているらしい。
しばらく二人は酔ったようにその桜に魅入っていた。

「綺麗じゃろ」
突然の声にはっと我に返り振り向くと、大きなカメラを首から下げた老人がにかっと笑っていた。
チェック柄のベレー帽に赤いマフラーと、一昔前の映画から抜け出してきたかのような格好をしている。
「この木はな、わしがわっぱだった頃からあるんじゃ。どれ、あんたたち、そこに並んで立ってみな。一枚撮ってやるからよ」
老人がカメラを構える。
「わあ、うれしい。是非お願いします。ノクトさま、ほらこっち」
「いや、俺はいいよ」
ステラに腕を取られるがノクトはやんわりと拒否する。カメラの前でにっこり笑える自信がない。
すると老人が言った。
「かーっ、男らしくねぇな。写真の一枚や二枚で悩んでんじゃねーよ。ほらさっさと並べって」
「ほら、ノクトさま」
二人から促されて、しぶしぶノクトは桜を背景に立った。
ステラが寄り添うように隣に立つ。
「よし、それじゃ撮るぞ」
老人の掛け声とともにシャッターが切られた。

「ちょっと待ってな。すぐ出てくるからよ」
老人のカメラはポラロイドで、撮った写真がすぐに現像されて出て来る。
ノクト自身、全く笑った覚えはないのだが、出来た写真を見ると、自然な穏やかな笑みを浮かべていた。
隣のステラも女神のような微笑を浮かべている。優しい光の中で、背景の桜の下方に傾いた枝が、桃色の毛布を広げて二人を包み込むかのようだ。
老人のカメラの腕はなかなかのものであるらしい。

老人は二人に一枚ずつ写真をくれた。
「あんたたちみたいにお似合いなカップルは見たことないね。末永く幸せになれよ」
そういって、並木道の方へと去って行った。
ステラが言った。
「いい方でしたね」
「ああ」
返事をしながら、ノクトはステラの写真が手に入ったことが嬉しかった。

「ちょっと休もうか」
そうステラに提案し、二人は桜の下の草地に腰を下ろした。
日の光を浴びて温まった草の上はやわらかくて心地よく、小鳥のさえずりと風にそよぐ葉音が眠気を誘うBGMとなり、瞼が重くなる。
とん・・・と肩に重みを感じ、ふと隣を見ると、ステラが頭をノクトの方に凭せ掛け居眠りをしていた。
ステラが居眠りをするところを見るのは初めてだった。というのも、こういう状況で先に居眠りをするのはノクトの方だったからだ。
内心どきどきしながら、ノクトはこれはチャンスとばかりステラの顔をゆっくり観察することにした。
普段は照れもあり、あまりじっくりと見れないのだ。
今さらだが、本当にステラは美人だ。
睫毛が影を落とす白磁の肌に、精巧な人形のように整った鼻と唇がある。
ふっくらとした唇が少し開いていて、どことなく妖艶だった。
ノクトははっとなってステラから顔を離した。
眠っている間にするなんて、卑怯だ。
チャラ男に言えば「真面目過ぎるねぇ、ノクトは」と言われそうだが、自分の信念を曲げるつもりはない。
そうして、しばらくぼーっと頭上の桜を見上げているうちに、ノクトは幸せな夢の世界へいざなわれていった――……。

目を開けると、たんぽぽが目の前にあった。「?」と思いつつ徐々にノクトは覚醒していく。
どうやら自分は横になっているらしい。
――さっきはこんな体勢じゃなかったよな。
すると、上から声が聞こえた。
「目を覚ましましたか、ノクトさま」
上から覗き込むようにしているステラと目が合った。
なんと、枕にしていたのはステラの膝だった。
「ご、ごめん……っ」
勢いよく起き上がって謝る。
「いいえ、あんまり気持ちよさそうに寝てらしたので」
くすくすとステラが笑う。ノクトの顔が熱を帯び出す。
そんなノクトにはかまわずに、
「さあ、お弁当にしましょう」
ステラが持ってきたバスケットを開ける。
「ノクトさまは好き嫌いありますか?」
「いや、ゲテ物以外は」
「よかった。何がお好きかわからなかったので、和洋中詰め込んでみました」
中からは、サンドイッチやらおにぎりやら、到底二人では食べ切れないほどの量。
「ちょっと多かったでしょうか」
「いや、頂くよ」
ノクトがおにぎりに手を伸ばしたその時――

「ああ、ノクト!」
ノクトは今一番会いたくない男の声を聞いた。
「うそー、奇遇だね。ノクトたちもお花見に来たんだ」
「お前ら……」
チャラ男の後ろから、スカ―フェイスとメガネも姿を見せる。
「いや、あっちの公園が混んでたから、こっちに来たんだ」
悪かったな……とメガネが目くばせする。
「まあ、みなさん、よろしければ一緒にお弁当召し上がりませんか?」
ステラが笑顔で言う。
「え、いいの?」 チャラ男が言いながらすでに座り込んでいる。
――良くない!!
ノクトの心の声は、しかしステラの手前、音になることはなかった。
「食べ物はないけど、お酒ならたくさんあるよ」
チャラ男が、ビニール袋からビールやらチューハイやらを取り出す。
穏やかな時間が宴会に様変わりしてしまい、ノクトは肩を落とすしかなかった――……。








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一か月ほど前に書いた小説で二人はお花見に行く約束をしていたことを思い出し、書いてみたのはいいものの、不完全燃焼。
いや、もっといちゃいちゃさせたかったな……。ノクトが奥手過ぎて><
この後、彼はチャラ男にツーショット写真を見られて散々からかわれるのでしょう。

なんか小説の中の桜はもう散り始めてますが、実際今日見に行った限りではまだ五分咲きくらいでした。若干季節を先取りです。


読んでいただきありがとうございました!

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