SOMNUS

春の陽の中で








――そうか、もう春なんだな。

小花を散らした薄い桃色のワンピースを着たステラを見て、ノクトはしみじみと思った。
初めて出会ってから幾度か季節を越えたが、季節の便りを運んで来てくれるのはいつも彼女の服装だ。
夏には真っ白なワンピースと麦わら帽子、秋には編み上げのブーツとシックな色のブルゾン、冬にはファーのついたダッフルコート。
そして、洗練された装いの彼女と歩く街は、普段のコンクリートジャングルとは思えないほど見違えて見える。
それは彼女と一緒だという気分の高揚もあったし、隣で軽やかに歩くステラが、アスファルトのひずみに生えるスミレやら、摩天楼が夕焼けを背景にそびえ立つ威容さやその他もろもろの事象にいちいち感心し瞳を輝かして感動をあらわにするので、ノクト自身も今まで歯牙にもかけなかったあらゆる日常のささやかな美しさに自然と目を向けるようになったのだ。
恋をすれば世界が違って見える――なんて言い草は眉唾だと思っていたが、あながち間違いではないと、ノクトは最近感じている。

「ノクトさま、どうかされましたか?」
黙りこんだノクトにステラが心配そうに声をかける。
「いや、なんか、春が来たんだなって――」
「ふふ、なんだかお爺さんみたいなこと言うんですね」
そんな風に言われても別に腹は立たない。
ステラといると、大抵のことは受け流せるぐらい大らかな気持ちになる。
不思議だが、ステラの持つ穏やかな雰囲気に、自分のささくれた心も溶かされていくようだ。

二人は今日、とある郊外の小高い山の中腹にある神社に来ていた。
神仏にまったく興味がないノクトだが、ステラのたっての希望で、今、神社へと続く長い階段を上っている。
階段の両側には桜が七分咲きで、小さな黄緑色の若葉をつけた山の木々とその薄桃色の花のグラデーションが柔らかく目にやさしい。
空気はふわふわと温かく、ノクトは思わず出そうになる欠伸を噛み殺していた。

――そういえばこの神社は何をまつっているのだろう。

ふと沸き上がった疑問を口にしてみる。しかしステラは珍しく口を濁した。それに対して大した不審も抱かず――彼は至極眠かったのである――ノクトは少し前を歩くステラの白くほっそりとしているが健康的な曲線を描くふくらはぎに見とれていた。石の階段は昨日の雨でぬるぬるとして滑りやすい。しかしステラはパンプスを小気味よく鳴らして軽やかに階段を上っていく。

ヒールのある靴でよく登れるな……と感心していた、まさにその時――

「――きゃ――…っ」
小さな悲鳴。足を滑らせたステラの体が後方に大きくかしいだ。

――危ないっ。
ノクトはとっさに両腕を広げた。バランスを崩したステラがノクトの胸に倒れこんでくる。

ノクトは足を踏ん張り、必死で彼女の全体重を支えた。無論、彼ほど人並み外れた反射神経と筋力を有するものでなかったなら、もろともこの急な階段を転がり落ちていっただろうことは容易に想像できる。

――案外、そそっかしいんだな。

彼女の温もりを間近に感じ、予想だにしない展開に顔を赤らめ平静ではいられないながら、ノクトは内心そんなことを考えていた。
ステラがノクトの腕の中にいたのはほんの数秒で、慌てて彼女は体勢を立て直しノクトに礼を述べた。
しかし、転んだはずみに足を変な具合に捻ってしまったらしい。整った顔をゆがめる。

「大丈夫か?」
「……え、ええ」

ノクトの手を支えに一歩一歩階段を上ろうとするが、それさえ苦痛になるらしい。彼女は呻いた。

「大丈夫じゃなさそうだな」
「……悔しいです。あとちょっとなのに」

彼女は名残惜しそうに階段上を見上げた。神社の甍が見えるところまで二人は来ていたのだ。
残すはあと三十段といったところか。

ステラの悔しそうな顔。あまり普段見せることはないその内面を吐露した表情にノクトの心が揺れた。
何をまつっている神社か知らないが、この神社に参りたかったという彼女の願い。それを叶えてやりたい。
そしてそれは至極簡単なことだ。

「ステラ、ちょっとごめん」
「え……? ひゃっ…――」

ノクトが取った行動。
それはステラをお姫様抱っこして神社まで運ぶというもの。

「ノクトさまっ、下ろしてください。恥ずかしいですっ」
ステラがうろたえる。
「俺だって」
しかし彼は言葉とは裏腹に彼女の身体を解放しなかった。
周りにいた参拝客の注目を一身に浴びて顔を真っ赤にしながらも、ノクトは安定した歩みで階段を上りきり、無事神社の境内に彼女を下ろした。
神社の前広場にいた参拝客たちからちらほらと拍手が起こり、ますます二人は恐縮する。

「もう……無茶をするんだから。わたし、重かったでしょう?」
「ああ、ちょっとな」
「ひどいですっ、 下ろしてって言ったのに」
ステラが子どもっぽく頬を膨らませる。
「嘘だよ」
ノクトは笑って神社の本殿を指し示した。
「ほら、お参りしよう」
「え、ええ」
なんとなく肩すかしを食らったような表情でステラは頷いた。

本殿で、二人は並んで手を合わせた。
ノクトは形式だけで心中になんら願い事を唱えたりなどはしなかったが、隣でステラは一心に何かを祈っている。
かなり真剣だったのでノクトは黙って見守っていた。

ステラが祈りを終え顔を上げたので、ノクトは何気なく「何を願っていたんだ?」と聞いた。
でもステラはにっこり微笑んだきり何も答えなかった。
本殿を出たところに、お守り売り場があった。
何気なくその一つを手にとってみる。
そこには「縁結び」と書かれていた。添えられた説明書きに目を走らせる。
そこにはこの神社が古くから縁結びで有名である云々と書かれていた。
ノクトははっとしてステラを見る。彼女は照れくさそうに視線を逸らした。
「ごめんなさい、ノクトさま。勝手に連れてきてしまって」
頬を染め俯く彼女。今日ここに来ることをとても楽しみにしていた彼女。
先ほどの真剣な祈り。
全ては自分との絆の為に――……

ノクトは刹那ひどく彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、なけなしの理性でそれを押しとどめた。
高鳴る胸の内を隠して、ノクトは巫女から縁結び符を二つ買った。
今日咲く桜と同じ色の一つを半ばぼーっとなったステラに渡し、もう一つは自分の胸ポケットにしまう。

「車を呼ぶよ。来るまでここで時間をつぶしていよう」

少し足を引きずるステラの手を引いてやり、境内から離れる。
ウグイスの声を聞きながら二人は眼下に広がる春霞のかかった郊外の景色を見た。
水墨画のようにゆったりとした眺めだ。

「ここの景色は少しテネブラエと似ている気がします」
ステラが目を細める。
「…お守りありがとうございます。その、さっきも憎まれ口叩いてしまいましたが、頂上まで運んでいただいてありがとうございました」
「いや、礼を言われるほどのことじゃない」
「ノクトさまってほんとに力があるんですね。さっき倒れた時も、ノクトさまが支えてくれてるって考えたら恐怖心が沸きませんでした」
「……」
「ノクトさま?」
ステラが不安そうにノクトを見る。
「ステラ、その……」
ノクトは自分の声がひどく掠れてしまうのをどうすることもできなかった。
「出来るなら、君を…、その、ずっと支えていきたいって思ってる」
ステラの目が大きく見開かれる。その紫水晶の目がくるくると光を弾き始めた。
――泣きだしたらどうしよう。
ノクトは内心ハラハラしながら彼女の髪がさらさらと風になびいていく様を見やっていた。
視線を合わすことなどできぬほど、彼は緊張でどうにかなってしまいそうだった。

春の風に乗り彼女のいらえが返ってきた。

「うれしい」



その後、その縁結びの神社に新たな伝説が生まれた。
それは、カップルで訪れるさい、境内まで彼氏が彼女をお姫様抱っこをして参れば必ずその二人は結ばれる、というそうな。







end.












******





この前四国行った際、こんぴら山の神社に参った時に思いついたネタ。
階段きつかったです。
でもおばあさんやおじいさんも杖をつきながらよっこらよっこら上っていました。

もちろん、縁結びのくだりやお姫様抱っこ伝説はフィクションですよっ
ほのぼので初心な二人が書きたくて。

べつに、お姫様抱っこじゃなくても おんぶでも良さそうですが、
そこはステラがスカートだというので ノクトが気を使ったわけです。。。

読んでいただきありがとうございました^^
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