プロポーズ
――それにしても色んな人がいるものだな。
地下鉄の入口付近でパイプ椅子に座り交通量調査をしていたノクトは、しみじみとそう思った。
しわくちゃの背広を着た中年サラリーマン、高いヒールを履いて不格好に歩く若い女、杖をついて亀のように歩く老人……。
大半が疲れた顔をしている。しかし、それぞれが己の人生を懸命に生きているのだ。
ずっとこの王国に住んでいるが、このバイトをするまでこんなに多様な人々がこの地下鉄を利用していることは知らなかった。
それぞれの人の顔をしっかり心に刻みながら、ノクトはカウンターを押していた。すると――
「あれ? ノクト、なにしてんの?」
顔を上げずともわかる。会いたくないときに必ず会ってしまうチャラ男だった。
しかも彼は一人ではなかった。数多くいる女友達の一部だろう、三人を連れていた。彼女らはそろってこちらを怪訝そうに見ている。
それもそのはず、ノクトは正体がばれないよう、頭まですっぽりとフードをかぶり、マスクをしてサングラスをかけた変質者のような格好をしていたからだ。
なのに、どうしてチャラ男に見つかってしまったのか。
「ノクト、そんなちんけな変装したって無駄だよ。何年一緒にいると思ってんのさ。匂いでわかっちゃうもんね」
「犬か、おまえは」
ノクトは無視してカウントを続けた。しかしそれで引き下がるチャラ男ではない。
「ノクト、もしかしてバイト中? なんで王子なのにバイトなんかしてんのさ」
「……」
「え!?」
驚嘆の声を上げたのは女たちだった。「うそうそ、まじ? ノクティス王子!?」
「だから言ったじゃん、マブダチに王子がいるって」
「そんなの信じられるわけないじゃん。うそでしょ。だってどうして王子がバイトしてんのよ」
「だからボクもそれを聞いてるところ」
女たちは勝手にきゃーきゃー騒ぎ始めた。
「ちょっと、フードとグラサンはずしてみてくださいよー!」
「あの、よかったらここにサインしてくれませんか」
「一緒に写真とってください!」
ノクトはうんざりした。自分が王子であることを他人に騒がれるのが一番嫌いなのだ。
それをわかってて、チャラ男はよくこうしてノクトをからかう。
「俺は王子じゃない。この男、頭イかれてるんじゃないのか」
「ええ!ノクト、ひどい!!」
チャラ男がふざけて抱きついてくる。というのは作戦で、抱きついた拍子にフードとサングラスを取り上げる。
ノクトの特徴的なツンツンヘアと端正な顔があらわれて、女たちは色めきたった。
「きゃあ!!本物ーー!!」
騒ぎを聞きつけたのか、通行人が集まってくる。
「王子だ!」
「本物だ!」
一様に携帯のカメラをノクトに向けてきた。
「チャラ男、覚えてろよ」
捨て台詞を残して、人垣をかきわけノクトは走り出した。
何人かが追ってくるが、もちろんノクトの速さにかなうはずはない。
通行料調査のバイトは気楽でよかったのに、今日のバイト代は望めそうもない。
ただ、ノクトの受難はそれだけではなかったのである。
*
『ノクティス殿下がバイト!?』
でかでかと飾り立てられた文字が目に飛び込んでくる。
会議室のガラステーブルに置かれたそれは、スポーツ新聞の号外だった。
「ノクティス、一体これはどういうことだ?」
父王は至極不機嫌だった。眉間の皺が深い。
ノクトは呟くように言った。
「……社会勉強をと」
父王は深いため息をつき、天井のシャンデリアを仰いだ。
「私は父親として、お前には王子にしては多すぎる自由を与えてきたつもりだ。
しかしだな、今回のことは目をつぶるにはあまりにも重大だ。
お前は王室の名誉を汚したのだ」
「……」
「しばらくは外出禁止だ」
父王の声が、装飾の美しい会議室の壁に反響した。
ノクトは反論のしようもなかった。
*
退屈をもてあまし、ノクトは自室のベッドで横になっていた。
思い返せばこの一カ月、外出禁止を受けるまで、正体を偽って色々なバイトをした。
引っ越しセンターやガソリンスタンド、ビルの清掃作業まで。
正体がばれそうになるとすぐに辞めたが。
父王に説明した「社会勉強」はあながち嘘でもなかったのである。
おかげで城に居てはわからない、国民の生活がよくわかった。
また、働いて賃金を得る達成感も生まれて初めて味わえた。
バイトをする理由は、ステラに自分の稼いだ金で婚約指輪を買ってやりたいという一心だった。
一ヶ月間暇を見つけては働いて、大した額にもなっていないが、小さなダイヤぐらいは買ってやれるだろう。
ステラに会える週末に想いを馳せて、ノクトは瞳を閉じた。
*
窓の外に広がる夜景、中央に巨大な水槽を備えたその展望ホールは、初めてステラと出会った場所だった。
ノクトは緊張で手に汗がにじむのを感じた。
目の前には、あの日ステラが眺めていた絵がある。
自分に気づいて振り返った彼女の微笑が、今も脳裏に焼き付いている。
まさか、その彼女に今夜プロポーズすることになろうとは。
プロポーズの方法は色々考えた。
ヘリコプターで共に都市の夜景を見ようかとか、あるいは電光掲示板にプロポーズの言葉を表示させようかとか。
とにかく心に残るものにしたかった。
ただどれも金がかかるし、その金は自分のバイト代ではとても出せない。
バイト代はすべてポケットに入っている婚約指輪に消えたのだ。
結局、初めて出会った場所にすることにした。
今夜は下の階は何もイベントがないようで、あの時とは打って変わり静まり返っている。
すると、階段を上る足音が聞こえてきた。
カツンカツンと規則正しく、ノクトはしかし振り返らずにいた。
あの日、初めて出会った日、ステラもこうして自分の足音を聞いてくれていたのだろうか。
今はあの時とは立場が逆だった。
階段を上り終え、フロアを歩く足音が近づいてくる。ノクトはそこでようやくゆっくりと振り返った。
ステラのように笑顔をつくることはできない。今の自分の顔は緊張で引きつっていることだろう。
「こんばんは、ノクトさま」
少し小首を傾けて、ほほ笑むステラがそこにはいた。
白いドレスは初めて会ったときに着ていたものと同じで、軽いデジャヴに胸の奥が熱くなった。
「……ステラ」
ノクトが差し出した手にステラが自分の手を重ねる。
手をつないで二人は頭上の星空を見上げた。
月がまだ低い位置にあるので、ガラス張りの天井からは無数の星のきらめきを感じることができた。
そして、あの「光」も――。
「光」を見るといつも不安になった。
体の中で何かが暴れだし、自分が得体のしれない物に変化するような奇妙な感覚。
しかし、ステラの体温を感じながら見ると、不思議と不安はなく、むしろ懐かしささえ感じる。
この温もり、手放したくはない―――……
ノクトは手をつないだままステラに向き直った。
不思議そうな目をしてステラが見つめてくる。
吸い込まれそうな無垢な瞳。
あまりの美しさに思わず目を反らしそうになるが、寸でのところで堪える。
自分の姿が彼女の瞳の中に映っているのを確認しながら、ノクトは言った。
「ステラ、俺と結婚してくれないか」
ステラの大きな目が見開かれ、次の瞬間には細められた。
穏やかな微笑を湛えて彼女は言った。
「……はい。わたしでよければ」
その言葉を聞き、ノクトは安堵でようやく笑顔になれた。
ポケットから箱を取り出す。彼女の手を取り、光るシルバーリングを彼女の指にはめた。
結局、バイト代ではダイヤは買えなかったのだ。
「ごめん、ほんとはもっと上等なのを買いたかったんだけど」
ステラは「いいえ」と言った。
「このために随分苦労されたと聞きました。そのお気持ちだけで十分です」
チャラ男がしゃべったのだろうか。あるいはあの新聞がテネブラエに伝わったのかもしれない。ノクトは顔をしかめた。
ステラが指輪をした左手を覆うように右手を重ね、口元に持って行き瞳を閉じた。
願いをこめるように、小さな声で呟く。
「ステラ?」
尋ねるノクトにステラは笑って見せた。「あなたを守れますようにって、指輪に誓っていました」
こみあげてくる愛しさ。ノクトは彼女の体に腕を回して抱き寄せた。
「ステラ、俺も誓うよ。何があっても守るから。必ず、幸せにしてみせる」
ノクトの誓いは満点の夜空へと吸い込まれていった――――……
end.
novel