SOMNUS

ノクトの過去





「わたし、チャラ男くんのこと嫌いじゃない、でも、ごめんなさい。実はほかに好きな人がいるの」

その少女は長い睫毛を伏せながらそう言った。
チャラ男の方はまさかふられるとは思ってもいない。
自分ほど女の子にもてる男はこの学校にいないと自惚れている。
だから、まさか自分からふることはあってもその逆はあってはならないことと決めつけていた。
だから、思わず身を乗り出し、彼にしては珍しくどもりながら尋ねていた。
「だ、誰?」

少女は恥ずかしそうに小さな声で、想い人の名を口にした。
それを聞いたチャラ男は、驚くと同時に、「あいつなら仕方ない」という諦めも感じた。
この諦めは、もちろん、男としての魅力で負けているから仕方ない、という意味ではない。
もう一度言うが、チャラ男はこの学校で自分ほど女の子にもてる男はいないと考えている。
負けているのは他の部分。つまり、家柄だった。
それは小学校六年生のチャラ男にはどうすることもできない格差であったので、彼は負けを認めるしかなかった。

しかし、彼はまだたったの12歳である。
すんなりと負けを認め引き下がれるほど大人でもなかった。
チャラ男は斜め前の席に座っている、その少年をぎりりと睨み据えた。
女の子が言うには、その少年が来ている服は某一流ブランドの服でTシャツでさえ三万円するらしい。
黒で統一されたオーダーメイドの服を着たその少年は、確かに他の男子と比べると垢ぬけていて洗練されていた。
もちろん、自分ほどではないが。
アッシュブラックというのだろうか、不思議な味のある色の髪も、恐らくは他人の手によるものだろう、ばっちりセットされ非の打ちどころがない。

見つめ続けていると、少年はプリントを後ろに回すために振り返った。
その時、少年の目とチャラ男の目がぴったりと重なった。

チャラ男は瞬間「ぎゃっ」と思った。なぜなら、それほど少年の目は冷たかったからである。
人形のように感情の消え失せた死んだ目をしていた。
一瞬のことだったが、一枚の写真のように少年の冷たい目はチャラ男の頭の中に残ってしまった。

――なんだよ、なんだよ。
チャラ男は心の中で毒づいた。――あんな暗い奴のどこがいいんだよ。

チャラ男は、自分で朝早く起きてワックスでセットした金髪をいじりながら、歯ぎしりした。




下校時刻。
混雑する教室前の廊下で、チャラ男は他のクラスの友人たちと喋っていた。

「ま、そいつは仕方ねえな。諦めろ」
小学生にしては大柄な少年がばんとチャラ男の背中をぶった。
「いてぇっ」
チャラ男は本当に痛かったらしく、叫んだ。
「スカ―フェイス、てめ、人が落ち込んでるのに」
スカ―フェイス、とはこの大柄な少年のあだ名だ。
彼は小さいころに付けた顔の傷のせいで、12歳という年齢が嘘のようにニヒルな印象を受ける。
ただ、性格はいたって明るく仲間想いだ。
「メガネもそう思うだろ。諦めるしかねえよな」
スカ―フェイスに話をふられて、メガネと呼ばれた、こちらはその通りメガネを掛けた知的な印象のすらりとした少年が相槌を打つ。「そうでもないんじゃないか。見ろ」
「え?」
メガネが顎で指し示した方向を二人は見た。
三人がいたのは三階の廊下なので、窓の下、校庭を通って帰宅する生徒たちがよく見える。
その中に一種異様な一団がいた。
黒づくめの三人の男たちに囲まれて帰っていくこれまた黒づくめの少年。
彼らは、ほどなく校庭に乗り入れられた高級車に乗り込み去って行った。
それは少年――ノクティス王子の下校風景だ。

周りの生徒たちはこの様子を少し遠巻きにして眺めていたが、毎日行われることなのでもう慣れてしまい、あとはまたてんで其々の小学生らしい話題に花を咲かせながら友人たちと楽しく帰って行く。

「ノクティス殿下は、きっと一般人とはつき合ったりしないだろ。だから、チャラ男、お前には望みがある」
メガネは励ますようにチャラ男を見た。
「うん……」
しかし、チャラ男はメガネの声もほとんど聞こえていなかった。彼の頭の中には、教室で見たノクティスの冷たい目がよみがえっていたのである。その強烈な印象のせいで、ノクティスのせいでふられたという事実はほとんど雲散霧消していた。
「どうした?」
背の高いスカ―フェイスが上からチャラ男の顔を覗き込む。
「あいつさ。あんなんで毎日楽しいのかな……ってちょっと思った」
その沈んだ声を聞いたスカ―フェイスとメガネは、同じように難しい顔になった。
「楽しくはないだろう。でも彼は王子だからな。仕方ないだろう」
メガネがとりなすように言ったがチャラ男の顔は依然晴れない。
「仕方ないのかな……本当に……」
チャラ男はノクティスの境遇を思ってみた。
小学校までは世間を知るために地元の公立学校に通わせるという王である父親の意向で、ノクティスはチャラ男たちの通う都心の学校に入学した。
しかし、たった一人の王位継承者である。
万一のことがあってはいけないとずっと黒づくめのSPに見守られている。
彼らは教室の外に物々しく立ちいつでも飛びだせる格好でいた。
怪我をするといけないので体育の授業、運動会は見学、
成績を人に知られないためにテストの答案は別室で返却される。
給食は皆と一緒に摂るのではなく、高級車が迎えに来て彼を王家御用達のレストランへ運ぶ。
責任の重さから教師はノクティスのクラスの担任になることを嫌がった。
生徒たちは興味がありつつも、恐れを成して話しかけることはない。
だからノクティスには友達がいなかった。

「おっし、今日はゲーセン寄って帰るぞ」スカ―フェイスがかばんを担ぐ。
「俺はパス」メガネがそっけなく言った。「塾なんだ」
「なんだよ、連れねえな。チャラ男は?」
「俺もパス」チャラ男はまだ憂いのある表情をしている。
「おいおい、いつまで湿気たつらしてやがる」
スカ―フェイスの物言いはほとんど小学生のそれではなかった。
「なあ、スカ―フェイス」チャラ男が言いにくそうにスカ―フェイスを見た。
「今度さ、王子も誘わない?」
「ええ!? ゲーセンにか」
「別にゲーセンじゃなくてもいいけど。サッカーとか野球でもいい、一回誘ってみようよ」
「おいおい、冗談言うなよ。そんなことして王子が怪我でもしたらSPに殺されるぜ」
スカ―フェイスは首を振った。「それに奴は放課後さっさと帰っちまうじゃねえか。きっとお城で習い事がたくさんあるんだろうよ」
「そうかな……」
チャラ男は元気なく鞄を肩に担いで、遠く都心のビル群を眺めやった。





それから数日たったある日の下校中こと。
スカ―フェイスとメガネの二人と別れて、チャラ男は一人自宅のあるマンションへと向かっていた。
チャラ男はなんとなく目線を上に上げた。
均一に植えられた街路樹のあいだ、
高層ビルの窓に反射した西陽が、きらりと彼の目を焼く。
目を細めて、チャラ男はビル群の中でもひと際背の高い城を見やった。
彼の自宅のあるマンションは、ノクティスの住む高層城の目と鼻の先にあったのである。
しかし、距離は近くともどうしようもない。
城の一角は一般人は立ち入り禁止だ。
入るのには予め許可がいるのだ。
その許可をどうやって取ればいいのか、チャラ男は知らない。

「しょうがないね」
呟いてチャラ男が、いつも近道にしている小さな公園に歩を進めた時である。

「何がしょうがないんだ」
驚いて声のした方を向くと、ぞろぞろとチャラ男よりも少し背の高い、恐らくは中学生と見える集団が木陰から出てくるところだった。揃いも揃って人相が悪い。一見して不良だと分かる。
「な、だれだ、あんた」
チャラ男は既に逃げ腰だった。
晴天の霹靂だ。こんな奴らに目をつけられる覚えは全くない。

「何の用ですか?」思わず敬語になる。
「何の用だって?」リーダーらしき男はゆっくりと芝居じみた動作でチャラ男を下から睨みつけた。
それだけで震えあがりそうになる迫力。まるで極道だ。
「よくも俺の妹をダシにしてくれたな」
「妹?」
「覚えてねぇのか、てめぇ。一週間前にお前がふった女だよ」
リーダーが言った名前を聞いて、チャラ男は「ああ」と思い当たった。
隣のクラスの女子で、告白されたが顔が好みではなかったのであっさりふったのだ。
しかし、それでこんな風に囲まれるいわれはない。
第一妹の恋沙汰に兄貴が乗り込んでくる意味がわからない。
チャラ男はとにかく逃げようとしたが、すでに退路は断たれていた。
彼は、七人の少年たちに囲まれていたのである。
「とりあえず、お前ら、このちんけな野郎に思い知らせてやれ」
「おうっ」
「うわあ! 助けてぇっ」
叫びながら頭を庇うチャラ男目がけて容赦ない攻撃が始まった。
頭を蹴られみぞおちにパンチを食らい、膝をバットで殴られる。
目の上が切れて流れる血で前も見えない。
口の中いっぱいに鉄の味がする。
それは全く持って理不尽というほかないありさまだった。
妹のためというよりもむしろ、少年らは暴力を吐き出す口実を探していたにすぎない。
チャラ男がなまじ女の子にもてる容姿をしていたことも彼らの気に食わなかった。
チャラ男はみじめに体を折りながら、出せない声の代わりに、心の中で精一杯助けを呼んだ。

――助けて、スカ―フェイス、メガネ! 助けて、ノクティス――!!

どうしてその名が出てきたのか、分からぬままチャラ男は必死で呪文のように繰り返した。
ただ、この窮地を脱するためにほとんど無意識で呼んだ名だった。

「ノクティス、ノクティス、ノクティス――!!」
いつのまにか、チャラ男はありったけの声でその名を叫んでいた。

「ノクティスって、王子のことか?」
「こいつ正真正銘のバカだな。王子がお前を助けに来るわけない――……」

リーダーが途中で言葉を切ったのを訝しく思い、チャラ男は視線を上げ、不自由な視界であたりを見た。
チャラ男の目が驚きに見開かれる。

そこにいたのは、ノクティス、その人だったのだ。
彼は手ぶらで、SPも連れず突然湧いて出たように、公園の真ん中に立っていた。
そうして立っているだけで、彼は確かに只者ではないオーラを放っていた。
黒づくめの服装が映画の主人公ように決まっている。

不良たちは一瞬引いたが、暴行に水を差されたことに苛立ち今度は標的をノクティスに変えて突進した。
彼らは王子が目の前の人物だとは思いもしない。
彼はあまり人前に出ないので、その貌をはっきり知っている者は同じ学校意外ではあまりいなかったのだ。
それに、この不良たちのとめどない暴力は、たとえ相手が王子であると知ったところでおさまったか、それは甚だ疑問だった。

七対一、圧倒的な数の不利。
しかもチャラ男の時より武装を強化し、不良たちは手に手にバットやら隠していたナイフやらを持っている。
いくらなんでも滅茶苦茶だった。

リーダーの男がバットをふりあげる。
「ノクティス!!」
チャラ男は絶叫した。
男のバットは勢いよく、ノクティスの頭目がけて振り下ろされた。
しかし、次の瞬間、バットは地面を叩いていた。
「な…っ」
リーダーがあっけにとられる間に、目も止まらぬ速さで彼の背後に回ったノクティスはリーダーの頭に見事な回し蹴りを食らわしていた。
声も出さずリーダーは地面に突っ伏する。
「やろう!!」
不良たちはいきり立ってノクティスに攻撃を仕掛けた。
しかし、彼は一寸の無駄もない動きで彼らの攻撃をかわす。
かわす際に肘を入れたり足を掛けたりみぞおちに一発食らわしたり…。
それはほとんどチャラ男の目には止まらないほど何気なくも素早い動作だった。
だが、全ては的をいて、不良たちは何が起こったか分からないまま全員が地面に倒れていた。

「大丈夫か?」
ノクティスが目の前に来ても、夢でも見ているかのように、チャラ男はぼーっとしていた。
「う……だいじょうぶ…じゃないかも」
チャラ男は顔をしかめあたりを見回した。
「し、死んだの? こいつら……」
「まさか。気絶してるだけだ」
ノクティスはなんでもないように言った。
チャラ男は彼の整った横顔をまじまじと見た。
「ノクティス君って強いんだね」
「ノクトでいいよ」
ノクトはチャラ男に手をかして立たせてやる。
「歩けるか?」
「う、うん。なんとか」
ノクトは何も言わずチャラ男に肩を貸してやった。
「お前、先に病院に行った方がいいな。ずいぶん、やられてるぞ。待て、今車を呼ぶ」
「え、え?」
ノクトはポケットから携帯を出すと、手短に場所を言った。
「い、いいよ、帰れるよ」鼻血を拭きながらチャラ男は慌てる。
「無理だな。足の骨が折れてるし、あばらも何本かイってる。頭蓋骨にヒビも入ってそうだ」
「うそー」
チャラ男は得体の知れないモノを見るような目でノクトを見た。
「きみって、一体……」
チャラ男の反応を見て、ノクトは一瞬悲しげな目をした。
「おまえも、やっぱり俺を変だと思うか?」
「ごめん、そんなつもりじゃ……。でもきみは王子様だし、その、すごく、強いし……」
「でも、人間だ。お前たちと同じ」
ノクトは言葉を継いだ。「ただ、人より目がよくて、耳がよくて、力が強いだけだ。なのにいつだって見張られて、やりたいことだって出来ない」
「それはでも、仕方ないよ。だってきみは……」
「『王子』だからか?」
「う……」
ノクトの目は人を怯ませるに十分な強さを持っていた。言葉に詰まりチャラ男は俯く。
「ごめん、お前を困らせるつもりはなかった。ただ……嬉しかったんだ」
今度はノクトが俯く。「その、さっき、俺の名前を…呼んでくれてさ」
少し恥ずかしそうにノクトはそう言った。その様子だけ見ていると、チャラ男と同じあどけない少年のなにものでもない。チャラ男はその様子に少し安心を覚えた。
「……ノクト」チャラ男は勇気を出してそう呼んでみた。その呼び方は不思議とノクティス王子をずっと身近な存在に感じさせた。
チャラ男の呼びかけにはっとしたようにノクトが顔を上げる。彼とて、「ノクト」と呼ばれることを望みつつ、今まで誰からも呼ばれなかったのだ。ノクトは歓喜で笑みがこぼれてしまうのをかろうじてこらえた。

「さっきは助けてくれてありがとう」
チャラ男は素直に礼を述べた。
「すごくカッコよかったよ。しびれた」
「やめろよ」
「俺が女だったら多分恋に落ちてた」
「やめろって、気色悪いぞお前」
言いながらノクトはとうとう笑っていた。チャラ男も笑う。
「いてててて」
笑ったせいで腹の傷が痛みチャラ男はうめいた。
そこへ黒塗りの高級車がやってきた。
「殿下」
男たちがノクトを取り巻く。
「こいつを病院に運んでほしい」
「は」
男たちは理由を問うでもなくノクトの指示に従って「こちらへ」と言ってチャラ男を車に誘導する。
「頼んだぞ」
ノクトは車に乗り込まず、公園に立ったままだ。
「ノクト!」チャラ男は車の中から叫んだ。
「今度一緒に遊ぼう!」
声を出すと肋骨に響き強烈な痛みが走ったが、チャラ男は必死だった。今言わずにいたらずっと言えないと思ったのだ。
ノクトと友達になりたかった。彼が王子だからとか、そういう理由ではない。
チャラ男の誘いにノクトは眩しそうな笑顔を浮かべたが、すぐに
「ああ、今度な」となぜか複雑な表情を浮かべた。
「絶対だよ」
チャラ男の乗った車が角を曲がりきるまで、ノクトはずっとその場に佇んだままだった。







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「ノクトが、学校をやめる?」
やっと傷の癒えたチャラ男が――あばらが数本、頭蓋骨にヒビ…というのはノクトの誇張だった――久しぶりに学校へやってくると、斜め前の席は誰も座っていなかった。
「そんな、うそだ」
チャラ男はわめいた。「だって一緒に遊ぶってあの時約束したんだ」
「おい、チャラ男、お前夢でも見てたんじゃないか。だいたい、いつ王子を『ノクト』なんて呼ぶ間柄になったんだよ」
スカ―フェイスが呆れたようにチャラ男を見る。
しかしチャラ男は詳細を説明するのも面倒で、ただ「うそだうそだ」を繰り返している。
そこへメガネがやってきた。
「チャラ男、王子からこれを預かった」
「え?」
メガネはポケットから封筒を取り出した。
中から出てきたのは三枚のカードのようなもの。
「おまえが退院したら渡してくれって。どうやら城内に入るための許可証みたいだな」
途端、チャラ男の顔に笑みがもどる。
「やった! これでノクトに会いに行けるよ」
「三枚あるってことは俺達も入れるのか」 スカ―フェイスが驚いたように言う。
ノクトは、チャラ男が誰と仲がいいかといったことをよく観察していたようだ。
「のようだな。ただいきなり行くのはまずいと思う。チャラ男、王子から招待は受けたのか?」メガネは指先で眼鏡の位置を調整しながらチャラ男を見た。
「え? そんなの受けてないけど。でもこれをくれるってことは、いつでも来ていいって意味じゃないの?」
「お前、何も知らないんだな。城っていうのはこの王国の中でもっともセキュリティの厳しいところなんだぞ。アポもなく入れるわけない」
「ふうん。じゃあ、今夜電話してみるよ、ノクトに」
メガネはしかし、首を振った。「駄目だ。王室への電話は全て交換手を通さないといけない。子供が電話したところでまともに取り合ってくれないだろう」
「じゃあ、親父に頼もうか?」
「頼んでもいいけど多分嫌がってやってくれないだろうな。なんせ、王家とかかわり合いになるほど面倒なことはないからな」
「なんで?」メガネの台詞はチャラ男には理解できなかった。
メガネはふうっとため息をついた。しかし彼はチャラ男を諭す自分の役目をちゃんとわきまえていた。
「いいか。この国はな、進んじゃいるが結局のところチェラム家による独占支配国家なんだ
全ての団体、法人はとどのつまり王家の監督下にある。王家と直接的にかかわり、万が一粗相でもあれば、それはすなわち身の破滅だ」
「???」
メガネの説明は、しかし、スカ―フェイスとチャラ男の頭の中にクエスチョンマークをつくっただけだった。メガネはそれを気配で感じ取り、軽く肩をすくめてそれ以上の解説をやめた。
「まあいい。とにかくチャラ男、王子から招待の電話がかかってくるのを待った方がいい」



「電話がかかってくるのを待てったって、そんなのいつになるかわかんないじゃん」
ぼやきながらも、チャラ男は毎日学校が終わると、寄り道もせずにまっすぐ家に帰った。
休みの日は、たとえ晴れていたとしても家の中に引きこもってテレビゲームで暇をつぶす。
そうして、電話機の前で、かかってくるという保証もないノクトからの電話を今か今かと待ちわびていた。

しかし、その瞬間は唐突に、想像より早く訪れたのである。

それは学校の創立記念日のことだった。
両親が共働きのため、チャラ男は一人マンションで留守番していた。
母親の作り置いてくれた昼食を食べていっぷくしていた時、電話は鳴ったのである。
子供らしい反射神経の良さで、彼は着信音が二秒と続かぬ間に受話器を取った。

「も、もしもし」 
「……」
「……もしもーし?」
「……」

相手は何も語り出さなかった。
これまで「ノクトからだ!」と思って受話器を取るたびに裏切られてばかりいたチャラ男は、いたずらかと内心かなり腹を立てながら受話器を叩き切ろうとした。その時――

「……チャラ男か?」
小さく低い、懐かしい声が聞こえてきた。
「ノクト?」
チャラ男はみるみる笑顔になった。我知らず心臓がどきどきし出す。
「退院したのか?」
「うんうん。ノクトは今どこにいるの」
「家にいる」
チャラ男は窓の外、そびえたつ摩天楼に目をやった。
「明日、学校に来るよね?」 チャラ男は、ノクトが学校をやめるという噂は聞かなかったことにしてそう尋ねた。本人に確認するのが一番確実であるのは間違いない。
「それが……」
ノクトは言葉を詰まらせた。「実はもう学校には行けない」
「ええ?なんでっ?」 チャラ男は「やはり」という思いと「まさか」という思いを交錯させて聞き返した。
「……」ノクトは無言でどう切り出したものか考えている様子だ。
「ノクト?」チャラ男が促す。ノクトが少し息を吸い込む音がした。
「……実は、あのことがばれた」
「あのことって?」
「お前を助けた時、力を使った」
「力?」
「クリスタルの力だ。それでお前の声を聞いた瞬間にお前のもとへ飛んでいくことができた」
「あれは、瞬間移動だったの?」
「…のようなものだ」
「ノクト、でもそれぼくに喋っちゃっていいの? 『王家の秘密』とかじゃないの?」
「多分、駄目だと思う。でもお前は、その、トモダチだから……」
消え入りそうな声で言われて、チャラ男の内に嬉しさがこみ上げる。
自分を「友達」だとノクトが言ってくれた! チャラ男ははずむ声を抑えることができなかった。
「だったら、ぼくが王様に言うよ。あれはぼくを助けてくれるためにやむを得なかったんだって」
「無理だ。親父は石頭だから」 ノクトの声はチャラ男に反して沈んでいた。
「でも!!」
「チャラ男、これからも、元気でいてくれ」
電話は一方的に切れた。
「ノクト、ノクト!!」
チャラ男は受話器にかじりついたが、ツーツーという不通音がむなしく聞こえるのみだった。





「本気か」
何度目かの問いをスカ―フェイスは口にした。
「本気だ!ぼくは本気だ!!」チャラ男は今にも駆けだしそうにした。彼の着たフードをつきジャンパーのフードを引っ張ってそれを阻止しながら、
「メガネも何か言ってやれ」とスカ―フェイスはメガネを振り向く。
「俺はただ城内部の建築に興味がある。中に入れるなら本望だ」
「おまえなぁ」
呆れたようにスカ―フェイスがため息をつく。
彼ら三人は、城の正門前に立っていた。
「スカ―フェイス、ここまで来たんだ。入るしかないよ。ぼくたちにはこれがある」
そう言ってチャラ男が見せたのは、ノクトから預かった許可証だ。
「でもよ、招待もされてないのに入っていいもんかね」
「何をぐずぐず。いくよ!」
チャラ男がスカ―フェイスの戒めをかいくぐり、駆けだした。
「あ、こら」
慌てて二人も後を追う。
すぐさま門前に立つ警備兵の声がした。
「お前たち、ここは遊び場ではないぞ。ほら、行った行った」
武器を装備した警備兵に睨まれてチャラ男は怯んだが、しかし引き下がりはしなかった。
「ぼくたち、ノクティス殿下のクラスメートです。彼に会いにきました」
「殿下の?」警備兵は胡散臭そうにチャラ男たち三人を見回す。
「招待は受けているのか?」
「はい。これをもらいました」
警備兵はチャラ男たちから許可証を預かると注意深く確認する。
「ふむ。どうやら本物のようだな。ただし、だ。今から内部に確認する。お前たちはここで待っていろ」
待つこと一時間強、チャラ男たちは冬の終わりの寒風に吹きさらされながら今か今かと待ちわびていた。
さきほどの警備兵が戻ってくる。
「殿下の確認がとれた。ただし持ち物は全て預かる」
手荷物を預けボディチェックを受けた後、チャラ男たちはやっと城内に入ることができた。

門を抜けると、そこには噴水のしつらえられた石畳の広場が広がっていた。
神話の神々をかたどった石像に囲まれた広場を抜け、階段を上りきると、石造りの荘厳な玄関が見えた。
入り口は二体の巨大な石造の女神に守られていた。物々しい雰囲気がある。
三人は思わず上を見上げた。最上階は遥か上の方にある。
青空の下そびえたつ高層建築の城は、昼下がりの太陽の光を浴びて、美しく輝いていた。

――とうとう来てしまった。

湧きおこってくる感慨。
ただ、それにしばしひたるわけでもなく、三人は子供らしい好奇心で先を急ぐ。

おそるおそる中に一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気と静けさが三人を包みこんだ。
近代的な外観とは異なり、内部は中世の城に迷い込んだと錯覚するような雰囲気だった。
玄関は、豪華な吹き抜けのホールになっていて、壁という壁には所狭しと彫刻が施されている。総大理石の床には、足で踏むのをためらうほど凝った模様が描かれている。
すべてが黒・紺・白を基調としたシンプルな色彩にも関わらず、豪華で洗練された印象を受ける。
メガネは興味津津という様子でそれらを眺めていた。

「おまえたち、こっちへ来るんだ」
先ほどの兵士に言付けられたのか、城内部の警備兵が三人を呼んだ。
警備兵は無言で三人をホールの奥にあるエレベーターへと誘導する。
三人が乗り込むとなめらかに扉が閉まり、上昇が始まる。
「うわあ!」
思わずチャラ男が歓声を上げる。
エレベーターは三方がガラス張りになっており、都心の風景が一望できた。
よく晴れていたので、遠くかすむ山々や海さえ望むことが出来る。
高速で上っていく感覚も、遊園地のアトラクションのようで子供心をくすぐる。
「すげーな」 スカ―フェイスも窓に手をつき感嘆した。
メガネだけが冷静にすまして景色をみやっている。

最上階から二個下の階に到着した。
勢いよく降りるチャラ男をはばむように警備兵が立ちはだかる。
「お前たち、ノクティス殿下が来るまで、このエレベーターホールで待っていろ。
いいか、妙な気を起こすんじゃないぞ。この城には至る所防犯カメラが設置されている。
お前たちの動きは常に監視されているからな」
そう言い残すと警備兵は急ぎ足でまたエレベーターに乗り込み下りて行った。
「なんだろ、あわてて。人手が足りてねえのかな?
でもこんなところで働けるなんてうらやましいぜ。高校に入ったらバイトで雇ってくんねぇかな」
スカ―フェイスがまんざら冗談でもなさそうに警備兵の後ろ姿を見送った。
「お前の成績ではまず無理だろうな。彼らだって、難関の試験を突破したエリートだろうからな」
「そうなの? 頭の出来より腕っぷしだろ、ようは」
「ねぇ、それより早くノクトに会いに行こうよ」
チャラ男が至って関係のない話をしている二人にやきもきして促す。
「おいおい、さっき念を押されただろうが、ここで待っとけって」
スカ―フェイスはすでにエレベーターホールに置かれたベンチに腰掛けてくつろいでいる。
「スカ―フェイスの言う通りだ。チャラ男、ここまで来て警備兵に注意されたりしたら、また城の外に追い出されるかもしれないぞ」
しかしチャラ男はメガネの説得に首を振った。
「落ち着いて待ってなんていられない。ぼくはもう十分待ったよ」
彼は一刻でも早くノクトの顔を見たかったのである。
チャラ男ももう十二歳、そろそろ耐えるということを知らねばならない歳ではあったが、
一人っ子で共働きという負い目のある両親に甘やかされて育ったために、年の割に落ち着きのあるメガネやスカ―フェイスよりもいくつか幼い部分があった。
だから、チャラ男は本能の赴くままに駆けだしたのである。
「あ、こら」
保護者であるメガネとスカ―フェイスが、結局彼の後を追う羽目になった。




チャラ男はしかし足を止めた。
途方にくれたのである。
見渡しても、廊下には同じような扉が並ぶばかり。どれがノクティスのいる部屋か分からない。
さすがに扉を片っ端から開けてみようという勇気は、チャラ男も持ち合わせていなかった。
「ほらな、言わんこっちゃない。戻るぞ」
スカ―フェイスがチャラ男の腕を捕まえようとしたが、チャラ男はすんでのところでそれを逃れてまた走り出した。
「あ、ばかやろ」
スカ―フェイスが追ってくる。しかしどこか面白そうだ。
彼も大人びてはいるがチャラ男と同じ十二歳。
大理石の滑るような床での追いかけっこを楽しみ始めた。
「まったく、手のかかる」
メガネだけが一人悠々とした足取りで二人の後を追う。

「ま、待って、ストップ!」
チャラ男が声を押さえて激突しようとするスカ―フェイスを両手で阻止した。
「なんだよ」
「この扉から話し声がするんだ」
「まじ?」
扉にくっついて聞き耳を立てる二人にメガネが追い付く。
「あきれたな。今度は盗聴ごっこか?」
「しっ、メガネ。中にノクトがいる」
それを聞いて、メガネも扉に耳をくっつける。



まさか、三人に聞かれているとも知らず、
扉の中でノクトは王である父親と向き合っていた。
そこは小さめの会議室のような場所だった。
中央に置かれた円卓を挟んで、二人は対峙していた。
ノクトのあまり感情の出ない白い顔は、王を前に緊張でこわばっていた。
実の父親という親しみは、いっさい彼の中にはなかった。
なぜなら多忙な父親と二人っきりで話す機会は、これまで生きてきた中で数えるほどしかなかったのである。
刻まれて消えることのない眉間の皺を見つめながら、ノクトは父親の苛立ちをひしひしと感じていた。王はいつも多忙だ。彼の頭の中は今日これからのスケジュールで一杯で、おそらく、息子である自分のことなど歯牙にもかけていないに違いない。
王にとって自分は息子である前に、ただ一人の王位継承者、後継ぎなのだ。
はたから見ても、王とノクトの会話は、父親と息子の会話というより上司と部下のそれに、むしろ近い。
血のつながりを感じさせぬほど、彼ら二人の仲は他人行儀だった。
ただ、今日こそはノクトは王に訴えようとしていたことがあったのである。
だから、信頼できる側近の力をかりてこうして王と相対する時を得た。

「どうしても、ですか?」 ノクトは声の震えを押し殺しながら精いっぱい訴えた。「どうしても卒業まで行っては駄目なのですか?」
「くどい。お前は王家の決まりを破った。私とて小学校卒業までは一般人と同じ教育を受けさせるつもりだった。だが、今後あのようなことがあっては王家の威厳をも失墜させるおそれがある。これからは城で専属教師をつけ一から帝王学を学ばせる。もちろん、他の学問もだ」
王の冷たい声を聞いたノクトの中で何かがぷつんと切れた。

――やっぱりだ。やっぱりこの人は、息子である俺の気持ちより王家の誇りとかいうものの方が大事なんだ。

「一般人と同じ? あれが一般人と同じだって?」
その声の皮肉な調子に席を立ちかけた王は思わず目を瞠ってノクトを見つめた。
ノクトも思わず出た自分の声の恐ろしく物騒なのに驚いていたが、気付けばたがが外れたようにまくし立てていた。
「あれのどこが一般人と同じだっていうんだよ。毎日毎日黒づくめの男たちに取り囲まれて、見張られて、息がつまるったらない。教室だって校庭だってみんな俺を見世物みたいな目で見る。
おかげで六年間、俺は友達ひとりできなかったし、やっとできたと思ったら、今度は学校をやめさせられるんだからな。こんな扱いをするくらいなら、はじめから俺を普通の学校なんかに入れないでくれ」

言ってしまって、ノクトは荒い息をついた。
感情の高まりから目には涙が溜まっていた。唇を噛みしめ、必死で流れ落ちるのをこらえる。
六年間感じていた疎外感、その辛さを思い出し胸が熱く痛いほどだった。
王はノクトの豹変にいたく驚いているようだった。
王の琥珀色の目は、得体の知れないものでも見るように穴のあくほどノクトを見つめている。
ノクトは、しかし、逸らしたら負けだといわんばかりに意地になってその視線を受け止めていた。
彼らはそうしてみると、たしかに血のつながりを感じさせるよく似た目をしていた。

先に目を逸らしたのは、王の方だった。
「……まいったな」
そう言ってほほ笑んだ王を見て、ノクトははっと心を打たれた。
同じ笑顔を以前、見たのを思い出したのである。
いつだったか思い出せないほど、遠い昔。
まだ自分は赤ん坊のように幼かった。
母親に抱かれて、しかし泣きやまない自分をなんとかなだめようとし苦心し、結局成功しなかった時、王、いや父親は今と同じ笑顔を、苦笑ともいえる笑顔をつくったのである。
「ノクト、確かにお前の言う通りだ」 王は額に手をやって目を閉じた。そして開いたとき、その両眼は思いがけず優しくノクトを見つめていた。
「お前が私に口答えするのは、初めてだな」
その声は、王のものではなかった。まぎれもなく、父親が息子に語りか掛ける穏やかな声だった。
「……父さん……」
その呼びかけはノクトの口をついて出た。「俺、学校に行ってもいい?」
「ああ。もうSPはつけない。彼らに頼らずとも、もうお前は充分強いようだしな。ただし――」
「え?」
「まずはその涙を拭きなさい。みっともないぞ」
言われてノクトはあわてて頬を伝う涙をぬぐった。



「チャラ男、ノクトに会わなくてよかったのか?」
スカ―フェイスが伸ばした手でチャラ男の金髪をくしゃっとする。その手を追い払いながらチャラ男は城を振り返った。高層城は夕陽を浴びて赤く輝いている。
「うん、だってノクト、きっと明日学校にくるもん」
チャラ男は目を細めてその輝きを見つめた。
「さっきの城内にいた警備兵、ノクトの側近だったのかもしれないな。
多分、俺たちを無許可で通してくれたんだろう」
メガネが独り言のように呟く。
「でも、ノクト、お父さんと仲直り出来たみたいだし、ぼくたちの助け必要なかったみたいだね」
「俺さ、ノクトのこと、ずっと面白がって見てたんだ。なんていうか俺たちとは随分違ってたし」スカ―フェイスはぼりぼりと言いにくそうに頭をかきながら、
「でもあいつ俺たちとちっとも違っちゃいないな。俺だってノクトみたいな扱い受けたら、ノクトよりずっと早くに爆発してた」
それを聞いたチャラ男が勢いよく前方にジャンプした。この前傷つけた足が痛んだがこらえて後ろの二人を振り返る。
「ねえ、二人とも! 明日、放課後ノクトを誘って、ゲーセン行こうよ。それからさ、サッカーして野球してドッヂして……」
「おいおい、そんないっぺんにすることねえだろ。これからずっと会えるんだから」スカ―フェイスが呆れ声を出す。
しかしチャラ男は首を振った。「ノクトは何も知らないんだよ。これからたくさん教えてあげなくちゃ。きっと自分で髪形だってセットできないよ」
「とか言って、お前あいつを自分よりダサくしようってんじゃないだろうな」スカ―フェイスが面白そうに茶々を入れる。「あいつ結構もてそうだしな」
「なぬ? そんなわけないじゃん」
「いんや、あるね。お前子どもだし」
「なんだとぉっ、このオッサン小学生」
「なにぃ、もっぺん言ってみろ」

喧嘩しながら前を歩く二人を眺めながら、メガネは「まだまだ二人とも子どもだ」と肩をすくめた。


ノクトとチャラ男とスカ―フェイス、そしてメガネ。

やがて固い絆で結ばれるこの四人には、想像を絶する過酷な未来が待っていたが、
彼らは今はまだ平和な王国の黄昏の中にあったのだった――……。







end.






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