SOMNUS

王子と軍師





「イグニス!!」

遠くでノクトの叫び声が聞こえた。
自分の名であるのに、俺はそれがまるで他人の名のように思えた。
なぜだろう。
膝が崩れ地面に倒れこむ。
目に見える全てが、夢の中の出来事のように思える。
壊れていく街、滅びゆく王国。
自分の腹から流れ出る血でさえ、現実感がない。
腹部からの出血は夥しい量だ。
敵が狂ったように乱射したマシンガンは、俺の腹を蜂の巣状にしていた。
意識が薄れる。
回復する方法は何通りかあるが、どれもこの致命的な傷を癒すのは不可能だろう。

俺は死ぬ。

思えば今まで生きてこられたのが奇跡のようだった。
俺はたった一つの生きる目的を持って今まで生きてきた。
それは命を賭けてノクトを守ること。
それが今叶った。
叶ったといういい方はおかしいか。

「イグニス!!」
見れば、そばでノクトが泣きそうな顔をして俺を見ていた。
そういえば、こんな顔を昔はしょっちゅう見れた。
ほんとに、びーびーとよく泣くやつだった。
すかしている今のノクトしか知らないプロンプトなどは驚くことだろう。

 *

俺が城にやってきたのは、物ごころがつき始めた時分だ。
まだ小さかった俺には、城はとてつもなく巨大な建物だった。
黒づくめの男たちに囲まれて俺は確かに震えていたと思う。
同時に、心の中は煮えくりかえっていた。
どうして両親は自分ひとりをこんな見知らぬ場所へ放り込むのか。
俺の父親は代々城に使えてきた大臣の一人だ。
だがそれはただの仕事で、夜になれば家へ帰ってくる。住みこみというわけではない。

父親は俺にこういった。
「イグニス、お前は頭がいい。だからお前に『軍師』としての教育を受けさせようと思うのだ」
「ぐんし?」幼い俺は耳慣れない言葉を繰り返した。
「そうだ。お城で、王様を助ける重要な役目をするのだ」
「それってえらい人?」
「もちろんだ。お父さんよりえらくなるんだぞ」

俺は文字通りまだ子どもだった。
だから何故俺が城に預けられたのか、その真実を知ったのはずっと後のことだ。

俺はいわば、「人質」だった。
俺の家は、王国では由緒正しい家柄だった。
が、同時にいつも王家から反逆因子と目をつけられていたのだ。
それは俺の父親が王国の軍隊の大半を動かす権限を与えられた防衛大臣であったためだ。
もし不穏な動きをすれば俺の命はないと、国王は暗に示していた。
まるで中世の暗黒時代のような駆け引きを、俺の親たちは行っていた。

城に入ってすぐ、俺は王のたった一人の子どもである、ノクティス王子と対面した。
王子といっしょに帝王学などを学ぶことを義務付けられたのだ。
家来に手を引いて連れて来られた王子は、俺と同い年のはずだが、随分と小さかった。
驚いたことに、彼は大きなくまのぬいぐるみを抱えていた。
年齢で言えば小学校に上がる年ごろだ。
王子は俺を上目遣いに見た。
大きな青い目は、濁りがなくとてもきれいだと思った。
俺がちょっと目を合わすと、顔を赤くして家来の後ろに隠れた。
この年齢のわりに幼い王子のお守りを一生しなければならないのか。
俺は自分の先行きが不安になった。

城で受ける授業は、予想外に面白かった。
とくに、軍略、戦略、兵法などは俺の興味をそそった。
今にして思えば、俺は生まれながらに軍師としての才能があったのかもしれない。
それを父親は見抜いていた。とは思いたくないが。

ノクティス王子も俺の隣で同じ授業を受けていた。
しかし、授業内容が彼の理解の範疇を超えているのか、ほとんど居眠りをしていた。
次期国王たるもの、帝王学の授業だけは真面目に受けろ、と何度注意したかしれない。

最初はどうなることかと思ったが、ノクティスは俺を家来とみなしたのか、徐々になれなれしくなってきた。
案の定というか、生まれながらにちやほやされてきたために、彼は非常にわがままだった。
いうことを聞かないとすぐに癇癪を起こす。
おまけに泣き虫で、甘えん坊だ。
城中を、俺の後ばかり付け回す。
それを見て家来や召使の女たちが笑っているのが、俺はある日我慢できなくなった。
さらには、俺は定められた未来にほとほと嫌気がさしたのだ。

あれは十歳かそこらだったと思う。真夜中、俺はこっそり城を抜け出した。
警備の厳重な城からの脱出口は、予め探し出していた。
まんまと城を抜け出した俺は、夜の街をさまよった。
俺はわくわくしていた。
自分の才能を生かせる仕事が世の中にはたくさんあるはずだと思った。

しかし歩けども歩けども見えてくるのはサラ金の看板や低俗なラブホテルのネオンばかり。
夜の街は退廃と放埓の香りに満ちていた。
クリスタルによる繁栄の陰に、こんな下等な世界があることを俺は知らなかった。

気がつけば、俺は人相の悪い男たちに囲まれていた。
「ぼっちゃん、金あるかい?」
酒に酔った無精ひげの男が俺に近づいてきた。
金を渡すわけにはいかなかった。
仕事を見つけるまで、この金で食いつなぐ必要があるのだ。
俺は踵を返すと一目散に逃げ出した。

しかし俺はまだ十歳のガキだった。
しかも足は速くない。
見る間に俺は追いつかれ、はがいじめにされ、金をとられた。
「返せ」
俺は無我夢中で足と手をばたつかせ、俺の金を数えていた男に体当たりした。
男はよろけただけだった。
「なんだこいつ、やんのか」
男は俺の胸倉をつかむと力任せに押した。
俺が倒れ込んだところに違う男が待ち構えている。
頬に一撃をくらい、俺は地面に倒れ込んだ。
その俺目がけて、容赦なく蹴りが降ってくる。
俺は血の味を噛みしめながら、体を丸め、ひたすら攻撃を耐えていた。
そのうち、意識が朦朧としてきた。
俺は死ぬのだろうか。ぼんやりそう考えた。
新しい未来を夢見たその夜に、こんなみじめな死に方をするなんて、あまりにも無様だ。
こんなことなら、ノクティスのお守りをしていればよかった。

「イグニス!」
ノクティスのことを考えた途端、俺の耳に甲高い叫び声が聞こえた。
わらわらと駆けよってくる数人の足音。
「やべえ、逃げるぞ」
先ほどまで俺をおもちゃにしていた男たちが、慌てて駆け去っていく。

「イグニス、だいじょうぶ?」
覗き込むノクティスの目が血のように真っ赤だ。
俺の目がおかしくなったんだろうか。
「王子、目が……」
「ノクトでいいって言っただろ」
王子が頬をふくらませる。
「ノクト、どうしてここに……」
「光が教えてくれたんだ」
「光?」
「イグニスが無事でよかった」
そう呟いたノクトが俺の胸に覆いかぶさるように倒れてきた。
傷が痛み俺は呻いたが、ノクトの体のあまりの熱さに息をのんだ。
「ノクト!?」

それから俺はノクトとともに病院に運ばれた。
俺はあちこち打撲や骨折をしていて、かなりの重傷だったが、幸い命に別条はなかった。
問題はノクトだった。
俺の居場所を探るために、「光」を見たというノクトの意識はまだ戻っていなかった。
クリスタルを継承する者が、代々受け継ぐ力。
それは死ぬほどの苦しみと引き換えに与えられるという。
ノクトはまだ力を手にするには早すぎたのだ。
命の危険を冒してまで俺を救ってくれたノクトに、何もしてやれないのが悔しくてならなかった。

体が動くようになってから、俺は毎日、「面会謝絶」の札が貼られたノクトの病室の前にひざまづき、祈った。

どうか、ノクトを助けてください。俺の命と引き換えでもいい。どうか、ノクトを生かしてください。

その祈りが通じたのかはしれない。
一週間後、ノクトは無事目を覚ました。
その時、俺に向けられた第一声を俺は生涯忘れることはないだろう。
彼はこういったのだ。
「イグニス、もうどこにも行くなよ」

ノクトの頼みをきいたわけではないが、俺はその後ノクトのそばで参謀のような役回りを演じている。
そして、見た目とは裏腹に人情に熱く、精神的に脆いノクトを支えてきた。
あの一件から、俺はノクトのためなら命さえ惜しくないと考えていた。



「無事だったか、ノクト」
俺はノクトが無傷なのを見て安心した。
「なに笑ってんだよ。おまえ、この傷、やばいぞ……」
そう言いながらノクトは歯を食いしばって俺の腹に手をかざす。
「やめろ」
俺は血だらけの手でノクトの腕を掴んだ。
「なんで!?」
「回復魔法はとっとけ。これから必要になる」
俺は目を閉じた。
そうするともう永遠に開かない気がする。
「イグニス、死ぬな!!」
ノクトが叫ぶ。
聞こえる嗚咽。
「泣いてるのか、ノクト」
「ばかやろう」
ノクトが俺の忠告を無視して回復魔法を使ったのか、腹の痛みがやわらぐ。
だが、それだけだった。
出血は止まらない。
「畜生!俺のMPはもともと少ないんだ。あいつら、呼んでくるから、絶対死ぬんじゃないぞ」
ノクトが走り去る靴音。
それが、俺が聞いた最後の音だった。

王国ルシスの繁栄、新国王ノクティスの戴冠。
まだ見ぬ未来を脳裏に思い描きながら、俺は深い眠りについた。



end.







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