SOMNUS

夜と月と星と





部屋の扉を開けるとステラが立っていた。
隣にはチャラ男がいる。

「さっき城の玄関でぼんやりしてたから誰にも見られないようにこっそり連れて来たよ。ちょっと様子がおかしかったから」

ノクトはあらためてステラを見た。夜のエレベーターホールの暗がりの中で終始俯き加減の彼女の表情はわからない。
しかし、ほとんど手ぶらで上着も着ないで薄手のワンピース姿でテネブラエから出てくるなんて、普段の彼女からは考えられなかった。夜の冷え込みに細い体を震わせている。

―― 一体何があった……?

とりあえず中へ……と招き入れる。チャラ男も当然入ってくるものと思っていたが、彼は「それじゃ頼んだよ、ノクト」と手を振っている。
「おい…」
ノクトは咎めるように見たがチャラ男はすでにエレベーターに乗り込んでいた。
計られたか、と思ったが、今はステラの方が気掛かりだった。



部屋に戻るとステラは所在なげに佇んでいる。
ノクトはブランケットを手渡し、ソファーを進めながら、そういえば部屋に通すのは初めてだったな、と思った。
ノクトの部屋は対になっている城の片方、最上階にある。
大理石のフロアには、テーブル、ソファー、テレビ、オーディオ、そしてベッドと必要最小限の家具しかないため、天井の高い広い空間が余計広く見える。
ただ天蓋付きキングサイズのベッドは部屋の中央にどっしりと据えられていて、まるで部屋の主かのような存在感だ。
ノクトはどうすればいいのかわからなかった。そもそも女の子を部屋に招くのは初めてだった。普段訪れるチャラ男たちは、こっちが何もしなくても勝手に騒いでくれる。
沈黙が気まずく何か喋ろうと思い、しかしいきなり核心に迫るのもどうかと思い、
「腹、減ってないか?」と尋ねる。
ステラは弱々しく首を横に振った。

また沈黙が訪れる。

次は何を喋ろうか…ノクトが思い悩んでいると、ソファーに腰掛けたステラがふいに頭上を見上げて言った。
「……すごい。降ってきそう」
ノクトも同じように頭上を見上げる。
そこには、巨大な満月が煌々と輝いていた。その青白い光は昼間のように部屋の中を明るく照らしだしている。
ノクトは毎夜のことなので慣れてしまい、たいした感慨は抱かないが、初めてこの
部屋を訪れる者は、一面ガラス張りの天井に驚く。
壁も扉とクローゼットのある一面を除いて全てガラス張りなので、頭上に広がる夜空と広がる夜景に囲まれて、まるで宇宙空間にいるような錯覚を覚えるのだ。


しばらく恍惚と月を仰いでいたステラが、つぶやくように話し始めた。
「……テネブラエは今迷走しています。国の高官だった父が死んでからです。兄が後を継いだのですが、あの人は王がほとんど実権を持たないのをいいことに……」
テネブラエ王家はステラの生家である財閥フルーレ家から多額の資金援助を受けていた。王家の資産総額を上回るフルーレ家は実質的にテネブラエの最高権力者なのだ。
「兄は自分に反する勢力の一掃から始めました。除名、国外追放、暗殺……。もちろん、一族内に兄に意見する人はいます。しかしそんな人達にも兄は容赦しませんでした。兄はわたしにまで……」
ステラは何かを思い出し一瞬苦しげな表情になったが、それを振り払うかのように首を振った。
「わたしを厄介払いするため、兄はわたしを隣国の王子と結婚させる気でいます。その国は兄の政策を応援する数少ない国の一つです」
「結婚」という言葉に思わずノクトはステラを凝視した。ステラもノクトを見つめている。
「兄が次に狙っているのはこの国のクリスタルです。強力なクリスタルの力で世界を掌握する気でいます。クリスタルを奪うために近いうちに戦争を仕掛けるでしょう」
ステラのアメジストの瞳が不意に揺らいだ。
「あなたと敵同士になるなんて耐えられません」
ステラが唐突に立ち上がり、ノクトの胸に顔をうずめた。
「ステラ……」
ノクトはステラの細い体にそっと腕を回した――……。
すると彼女は縋るようにしがみついてくる。
衣服を隔てて、彼女の胸の双山の膨らみが柔らかく押しつぶされるのを感じた。彼女の早鐘を打つ鼓動までが確かに感じられた。ステラはノクトの胸に顔をうずめたまま言った。
「眩しい。月を隠してください」
ノクトはゆっくりとステラから離れると、リモコンを使って天井のシャッターを閉めた。途端部屋全体が暗くなる。光源は窓の外から入る月明かりと夜景の光だけになった。
「……きれい」
ステラが閉じられた天井に広がった星空を見て感嘆の声を上げる。
月が明るくて星が見えない夜のために、室内用プラネタリウムを常時設置しているのだ。
「ノクトさまって、結構ロマンチストなんですね」
ステラが笑う。
「……まあな」
ノクトは頭を掻いた。
男というものはロマンチストな生き物なんだ。そう心の中でつぶやく。

しばらく二人で星空を眺めた。
偽りとはいえ、実際の座標を模した星空は、吸い込まれるようにどこまでも広がっていくような気がした。

「ノクトさま……」
ふいにステラが消え入りそうな声を出す。
「今夜はずっとここにいていいですか?」
その言葉の持つ意味を理解して、ノクトは心臓が跳ねるのを感じた。
断る理由は何もない。ただ、ステラの方からそれを言わせてしまったことに罪悪感を感じた。
返事の代わりに彼女を抱きすくめる。
「今夜だけじゃなくていい。ずっといろよ」

二人はお互いを取り込もうとするかのようにきつく抱きしめ合い、どちらからともなく唇を重ねた。

今までで一番長い口づけのあと、ノクトはステラのひざ下に手を入れて、抱え上げた。身を固くするも抵抗しない彼女をベッドの上まで運ぶ。
そして、おずおずと手を伸ばし、彼女の服を脱がせようとしたのだが――…

ステラの来ていたワンピースは、紐が背中で複雑に交差したデザインで、とてもじゃないが解けそうになかった。
チャラ男が「ブラをスムーズに外せなかったら場が白けるよー」と言っていたのを思い出したが、出だしでこの有様では先が思いやられる。
動きを止めたノクトを見てステラが言った。
「待ってください。自分でやります」
ステラが後ろ手に腕を回し自らワンピースの紐を解く。腕を交差してワンピースとその下に着たスリップを脱ぎ去った。
彼女の動きにためらいはなかった。最後に残ったブラジャーを外すと、小ぶりだが形の良い乳房が戒めを解かれて揺れた。
夜のほのかな光の中で見る彼女の裸体は、白く光を放ち、あまりにも神聖だった。
対して自分の欲望が汚らわしく、あれほど欲していた彼女に手を触れることさえできない。
「ノクトさま……?」
ステラが不安げに声をかける。ノクトは言った。
「服を…着てくれ。俺はあんたを抱けない」
「……どうしてですか?」
ノクトは自分の思いを素直に伝えた。
すると彼女はノクトの手を取り自分の乳房へ持っていく。
「ステラ……っ」
「だったら、あなたに触られたいと思っているわたしも同じように汚らわしいんですね」
「……」
ステラが悲しげに見つめてくる。

「あなたと結ばれたいと思う気持ちは、汚らわしいですか?」

その言葉は心に突き刺さり、胸中で歓喜と後悔とその他あらゆる感情がぶつかりあってノクトは呼吸を乱した。喘ぎながらやっと「ごめん」と一言謝った。そして一番伝えたい気持ちを言葉にする。
「好きだ」
ステラの顔に笑顔が戻る。
「わたしもです」




舞台の衣装替えのような速度で服を脱いだノクトは、ステラの腰に腕を回して抱き寄せ、彼女の髪をかきあげてあらわになった額に唇で触れた。両の頬や鼻の頭、そして耳たぶに触れ、唇に辿り着くと再びそこに口づけた。
そしてそのまま、顎、首筋、鎖骨のくぼみへと移動する。

ノクトとて、年頃の男子だ。初めてだからと言って知識がないわけではない。あの三人――ほとんどチャラ男――からのアドバイスや雑誌やらビデオやらの情報で、手順は心得ていた――はずだったが――……
実際、ステラを前にして、そんな付け焼き刃の知識は全く無駄だった。というより必要なかった。
ステラを大切に、丁寧にしよう、そればかり考えていた。

彼女は、か細い声で初めてであることを告げた。
その事実は素直に嬉しく、彼女に触れる指先はより一層やさしくなる。
穏やかな愛撫に、極度の緊張に強張っていたステラの体から力が抜けていくのが分かった。

やがて、二人は、そうなることがごく自然であるかのごとく、ゆっくりと繋がった。
そこに心配された痛みはなかった。ただ、お互いの体の一部を直に感じ、その熱は無限の安心感を生み、歓喜を生んだ。
未熟さを補って余りあるほどの絆が二人を固く結びつけていた。

ふと、ステラの瞳に涙の膜が張り、それが月明かりを受けてきらきらと光っているのに気付いた。
「……ステラ」
痛かったのか? という問い掛けに、彼女は小さく首を振る。
彼女の指先がノクトの目元に触れた。
「あなたの瞳が綺麗で。まるでルビーのよう」
それはノクトが今戦闘状態であることを示す。
何故こんな時に、敵を前にした時と同じ現象が起こるのか。ノクトは自分の体の不可解さが腹立たしかった。
ステラに見られたくなくて顔を背ける。しかし、ステラは「こちらを見てください」と言う。
仕方なく顔を戻すと、彼女の真摯な瞳とぶつかった。
彼女の目から涙が溢れ、頬を伝う。
「ノクト……」
初めて、ステラがノクトを呼び捨てにした。
「愛しています」
そう言って彼女は微笑んだ。
「あなたになら殺されても構いません」

ノクトの思考はすでに止まっていたかもしれない。頬に延ばされた彼女の手を、思わずきつく握りしめた。
彼女の瞳から溢れる涙を吸い、渇きを癒そうとするかのように頭を抱え込んで激しく口づけた。
彼女が愛おしくてたまらないのに、彼女をめちゃくちゃにしたいという相反する感情が渦巻いて、止められそうもなかった。
本当にこのまま彼女を殺してしまうのではないかと腰が引けたが、ノクトの背中に腕を回し更に深く結びつこうとするのは彼女のほうだった。

夜空の星をばら撒いたような夜景と月明かりに包まれて、二人は同時に頂点を迎えたのだった――……。









かすかな光を感じて、ノクトは目を開いた。
窓からこぼれる月明かりはいつの間にか消え去り、ステラの瞳の色と同じ色の空が広がっているのが見えた。
永遠に続けばいいと思った夜は、無慈悲にも朝を迎え入れてしまった。
嘆いたところで時が経つのを止めることは誰にもできない。
これから訪れる様々な困難を考えるのが怖くて、ノクトは隣で眠るステラに視線を移した。

彼女はシーツを被った胸を静かに上下させながら、規則正しい寝息を立てている。
彼女が自分の隣で眠っている。肌と肌を重ねて直に伝わる体温。これこそが現実なんだと、ノクトは自分に言い聞かせる。
起こってもいないことで不安になり、今この満ち足りた時間を台無しにしたくない。

そっと彼女の唇にキスをする。
すると彼女は何かを感じたのか、もぞもぞと寝がえりをうちノクトの脇の下に潜り込んできた。
しかしまだ眠っている。

その安心しきったような無垢な様子に愛しさがこみあげ、包みこむように柔らかく抱きしめた。

彼女の鼓動を感じながら、
叶わないと分かっていても、願わずにはいられない。

どうかこのまま、時が止まってくれと――……。











ノクトはシャワーを浴びて部屋に戻った。
壁面のガラス張りの窓はすべてシャッターが下ろされているが、天窓だけは開いており、星明かりが青白く室内を照らしている。

部屋に置かれたキングサイズのベッドには、ステラが眠っているだろう。
起こさないようにそっと近づく。

ステラがこの部屋にやってきてからの一週間、ノクトはほとんど部屋から出ることもなく彼女と過ごしていた。
城の物たちはいぶかしんでいるはずだろうが、気にしてはいられない。
少しでも目を離せば、彼女の存在自体が幻想のように消えてしまいそうに思えたからだ。
というより、どんなにきつく抱きしめていても、彼女の温もりを確かに感じていても、深く繋がっていても、これが現実であるのか不安で仕方なかった。
夢なら醒めないでほしいと、何度も願った。

「ステラ」
小さく呼びかける。しかし彼女が起きる気配はない。よく眠っているようだ。
ノクトは静かにベッドの端に腰かけた。こうして彼女の寝顔を見るのも至福の時間だった。

シーツの端を下げて彼女の寝顔を覗き込もうとしたノクトは、一瞬息が止まりそうになった。

「ステラ……!?」

そこには、誰もいなかったのである。

「ステラ、どこだ、ステラ!!」

ノクトは狂ったように叫んだ。
部屋から出て行ったのだろうか? しかし警備が厳重な夜間、彼女が城の誰にも見つからずに外へ出ていくことは不可能に近い。

一体どこへ行ったのだ?

ほどなく、強烈な光がノクトの目を射た。
「――っ」
暗闇に慣れていたノクトは、痛みさえ感じた。

「探し物はこれかな、ノクティス殿下」

若い男の声がした。振り向くと白いフードをかぶった男が立っていた。
男の足元には魔方陣が青白い光を放ちながら回転している。
そして男は両手にステラを抱えていた。
彼女は気を失っているのかぐったりとしている。

「誰だ」
ノクトの問いには答えず、男はくっくと小さく笑った。
「随分と親しくしていたようだが、この子は私の妹なんでね。返してもらうよ」
「妹だと?」
「信じる信じないは君の自由だ。では失礼」
「待て――!」

ノクトが駆けよるも、魔方陣の回転が速まると同時に男とステラの姿は一瞬にして消え去った。
そしてあとには冷たい大理石の床だけが残った。

「ステラ……」

ノクトは崩れ落ちるように跪いた。

男の言葉はおそらく真実のような気がした。
しかし、わざわざ気絶させて連れ帰ろうとするのはどうしてなのか。

訳の分からない不安と半身をもぎとられたような寂しさで、ノクトは悲痛なうめき声を上げたのだった――……。







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