SOMNUS

異郷を渡る風





ふわり、ふわり……。
丸くボールのように育った手のひらサイズの綿毛が、柔らかな風に吹かれて、軽やかに舞っている。
戯れに指を触れると、触れたところから無数の種子が分裂して飛び去って行った。
いずれまた、それらはグラン=パルスの大地を彩る花を咲かせることだろう。

ライトニングは、種子たちが旅立っていく方を眺めた。そこには蒼く澄んだ空が広がっている。
目に入ってくるのは、生まれ故郷のコクーン。
天空に浮かぶ、ファルシが築いたテクノロジーの結晶。
しかし今となっては、ラグナロクによってクリスタルに覆われ、大地から突き出た巨大なオブジェのように変わり果てている。

ラグナロク――。
コクーンの終末。
その中で眠る二つの魂があることを知る者は少ない。
コクーンを破壊から守った二つの強い魂。

あの時を思いかえすたび、胸が痛む。
もしあの時、二人の手を捕まえていたら、あの二人はこの場にいたかもしれない。
笑いあって、この晴れがましい日をともに祝えたかもしれない。
しかし、二人がいたからこそ、コクーンは滅亡を免れたのだ。
識者たちの見解では、今はまだコクーン内部は多量のクリスタルの塵に覆われ呼吸さえできないほどだが、何年後かにはまた住めるようになるらしい。
その日を夢見て、元コクーン住民は、このパルスでしばしの原始的な生活を送ることとなった。

「ライトさん」
呼びかけられて、ライトニングははっと振り返る。そこにはあまり身の丈に合っているとは言いがたい、タキシード姿のホープがいた。
「もうすぐ来ますよ」
「ああ、今行く」
ライトニングは手のひらに載せていた綿毛のかたまりをふっと吹いた。それは溶けるように空へ消えていく。
そして、ホープと並んで、野の花が可憐に咲き蝶の舞う小道を通って、主役の登場を今か今かと待ちわびている皆の方へ戻る。

セラとスノウの結婚式の会場に、このスーリヤ湖畔「空の見える山道」を選んだのはセラだ。コクーンが見えて静かで美しい場所。セラは一目で気に入った。

コクーンからの避難民はマハ―バラ坑道やスーリヤ湖周辺の、比較的大型で凶暴なモンスターの少ない地域で新しい生活を始めている。コクーンの洗練された生活とは程遠いパルスでの野性的な生活は、コクーンの市民を数々の困難に陥れた。しかし、人間の適応能力はすさまじいもので、もともとこの地域に残されていた資材とコクーンから必死のていで運んできた物資を使って家を立て、ほんの数カ月で街ともいえるコミュニティがつくられている。
危惧されたモンスターたちとの共存も、彼らの縄張りにさえ近づかなければ、それほど恐れることもないことがわかった。
皆が落ち着きを取り戻した今、ようやく二人は結婚式を挙げられることとなった。
結婚式といっても、贅をこらせるはずはない。
会場は天然の草原。そこに手作りの木のベンチやテーブルを並べ、パルスの花々を飾り、工夫に工夫を重ねた料理を並べた。ガスも水道もないので、調理はもっぱら火を起こしてじか焼きになる。
ガドーが狩ってきたダチョウ型モンスターの丸焼は、見ごたえがあるものの、恐らく誰も手をつけないだろう。
むしろ、レブロやマーキーが取ってきた色とりどりの熟れたフルーツの方が美味しそうである。

招待客は、ライトニングとホープのほか、サッズとドッジの父子、ノラのメンバー、スノウの施設時代の友人、ホープの父バルトロメイ、セラの学校での友人、アモダ曹長その他ライトニングの軍人時代の仲間である。
驚くべきことに、あのラグナロクの際、コクーン市民の多くがこのパルスに移動できた。
どんな奇跡が起こったのか。詳細は分からない。人々は混乱を来していたし、ライトニングたちはクリスタルになっていたのだから。
「都合のいい話だ」と笑うファングが目に見えるようでライトニングは胸の奥が熱くなった。
――ファングとヴァニラの起こした奇跡のおかげだよ。
思わず唇をかみしめる。
泣くにはまだ早い。

ひと際騒いでいるのはノラの面々だろう。
隣を歩くホープがなぜか頬を紅潮させている。
「どうした?」ライトニングがたずねると、彼は頬を少し膨らませて見上げてくる。
「ライトさん、ずるいですよ。どうしてハイヒールなんて履くんですか」
「え? ああこれか」ライトニングは、引き締まり見事な曲線を描くふくらはぎの先、エナメルがきらりと光るハイヒールのつま先でとんとんと地面を叩いた。
「この服にはこれが合うからってレブロが。合ってないか?」
今日のライトニングは、ヘリオトロープのワンピースドレス姿だ。
夕暮れ時の雲の色、それはライトニングのピンクブロンドに映え、高貴な色合いを醸し出す。
襟は詰まっているがノースリーブで、スカートの丈はひざ上ぐらい。
胸元のシャーリングと体の線にぴったりとしたシルエットが、ことさらライトニングの抜群のプロポーションを際立たせている。
それは服装に無頓着で、毎日のように、そろそろくたびれた印象の軍服ばかり来ているライトニングにやきもきしたレブロが作った今日の為の衣装だ。
「すごく……似合ってます」
ホープはどもりながら俯く。
「ありがとう」ライトニングは少し照れたようにこめかみに指をそえる。「苦手だけど、こんな服。動きにくいし」
ライトニングはあまりヒールの高い靴を履きなれていない所為か、歩きにくそうだ。
「勿体ないですよ、キレイなのに」
思わず言ってしまってから、真っ赤な顔をし慌てて口をふさぐホープ。そして言い訳のように「でも!」と言った。
「ん?」
「そのハイヒールは反則ですよ。ますます身長差が出来ちゃうじゃないですか」
「あはははは、可愛いねえ」
笑い声はノラ軍団のほうから上がった。ガドーが拳を上げる。
「ホープ、心配すんなって。おまえも俺らと一緒に慈善活動に精を出してみろ。みるみる筋肉がついて逞しくなるからよ」
「横ばっか逞しくなってもねえ。やっぱすらりとした長身でしょ」
パルスに来てもおしゃれ心を忘れないユージュが、腰に手を当てポーズを取りながらガドーをさとす。
「モンスター見たら逃げ出す腰抜けが何言ってやがる」
「それは関係ないじゃん」
「うるさいよ、あんたら」二人の頭を均等にはたいてから、かなり露出度の高い凝ったドレス姿のレブロがひらひらとライトニングたちに手を振る。
「あら〜、良かった、よく似合ってる」レブロがうんうんと頷きながら、ライトニングを上から下まで眺める。
「本当はさ、胸元のあいた服を作りたかったんだけどね、残念」
「よしてくれ」
ライトニングは顔をしかめてそっぽを向いた。

「新郎新婦入場!」
進行役のレブロの掛け声で、皆が水を打ったように静まり返る。
マーキーが自作の音響機械のスイッチを入れた。
およそパルスには不似合いな、おごそかな結婚行進曲が鳴り響き、さえずっていた小さな鳥型モンスターたちが驚いたように飛び去った。
そのあとを追うように洞窟の陰から歩みい出てきたのは、スノウとセラ。
本日の主役の登場だ。
スノウは白いロングタキシードで、無精髭を剃り、いつも頭に巻いているデューラグを取っている。
金髪もきちんとセットされ、顔を引き締めているその様は、ちゃんとセラとういう美少女に釣り合う別人のような美男子に見えるから不思議だ。実際、ギャラリーからどよめきが起こったほどなのだ。
セラは、レブロ手製のウェディングドレス姿だ。
純白で、裾は幾重にも花びらのように重なり合い後ろに長々とひかれていた。
「あたし、パルスでデザイナーやるよ」とレブロが言うにも納得できる、およそ素人芸とは思えない出来栄えだった。
地上に舞い降りた天使のごとく、セラは無垢な輝きを放っていた。

緊張にこわばった二人の顔が、皆の惜しみない拍手や喝采に徐々に緩んでいく。
セラの頬はすでに涙に濡れていた。今日この日を、どれほど待ちわびたことか。
皆の暖かい祝福に包まれて、スノウの目にも涙の膜が張っている。
お得意の軽口も叩けないまでに感動に打ち震えいてるようだ。

ライトニングは二人の姿を目に焼き付けると、静かに踵を返した。

――もう、耐えられなかった。

俯き、片手で顔を覆い、人の輪から離れていく。
気付いたホープが追ってこようとしたが、手で制した。
「ライトさん……」
ホープの呼びかけを聞きながら、ライトニングは駆けだした。
ハイヒールを脱ぎ棄てて、それからはほとんど全力疾走だ。
拍手の音が、祝福の声が、遠くなっていく。

崖のあたりまでくると、力尽きたようにその場に座り込んだ。
柔らかくてあたたかい草が心地よくライトニングを包む。
風が頬を撫でていく。

――よかった。二人が一緒になって、本当によかった……。

その感慨は真実であるはずなのに、なぜか涙は止まらない。
嬉し泣きなのか、あるいは――。

その続きを考えるのが怖くて、ライトニングは瞳を閉じた。
しかし心とは裏腹に、思い出されるのは、
あの日――……。ヲルバ郷を目指して、一縷の希望さえ見失いながらパルスを北上していたあの日――

この丘でライトニングは同じように柔らかな風に吹かれていた。
風が心地よくて草原を目的もなく歩いていた。
すると見えてきたのはスノウの背中。
彼は、セラの涙が結晶化したクリスタルを見つめていた。
何か話しかけようとしても口からついて出てきそうになるのは先行きの不安ばかり。
『セラは?』
結局セラの話題になってしまう。
自分とスノウの共通点はセラしかないのだ。
『泣かせたまんまだ』
スノウはため息をついた。『どっちも遠いな……』
「どっちも」というのは、セラとコクーン がという意味だろうか。
聞き返そうとすると、『セラが話したいってさ』とクリスタルを手渡された。
クリスタルをコクーンに向けてかざしてみる。
蒼く透明なクリスタルの中に、コクーンが浮かぶ。
小さな小さな世界。
なんて小さな――……。
でもどんなに小さくても、私たちが必死に守ろうとしている世界だ。大切な生まれ故郷だ。

綿毛と戯れながらスノウが言う。『説教は抜き。優しくな』
それを聞いた途端、衝動的にブレイズエッジを抜きはなっていた。
なぜだかは分からない。
ただ、いつも前向きなスノウがネガティブなのが気に食わなかった。
驚いてスノウが草の上に尻もちをつく。
『「帰ったら私をどうするつもりだ」』
追い打ちをかけるように言葉を継いだ。
『義姉さん……?」
『セラがそう言ってる』
『おどかすなって』
安心したようにスノウが笑う。
すると、自分でも思いがけない言葉がでてきた。
『結婚式 だろ? しっかり受け止めてやれ』
沸き起こる辛さを断ち切るように、クリスタルを空に向かって投げた。
くるくると光を弾きながら、それはスノウの大きな手の中におさまった。
クリスタルを示しながらスノウがライトニングに向き直る。
『涙はこいつで最後。一生泣かせない』
その目は、しっかりとライトニングを見据え、どこまでも真剣だった。
いつもいつも、この男の目はセラのことになると、まっすぐで透明で穢れがない。
『当たり前だ』
見ていられなくて、目を閉じた。
笑ったつもりだったがスノウにちゃんと見えていただろうか。
崩れていく表情を見られたくなくて彼の背後に回った。
『また 会えるよな……?』またしても弱気な発言をするスノウ。歯痒くてライトニングは拳を突き出した。
結構力を込めたが、スノウの固い背中にはあまり応えた様子はない。
『違うだろ』意地になって拳をぐいぐい押しつける。『前だけ見てろ』
スノウがはっと息を呑む。
『「必ず会える」だろ? 夢を見せたのは おまえだ……』
そんなつもりはなかったのに、涙がぽろぽろと出てきた。
『義姉さん?』
必死で涙をこらえようとする。スノウは気配で察したのか振り返ることはなかった。
その気遣いが伝わってきてライトニングの胸がまた熱くなる。
『全部終わらせて 一緒に迎えに行こうな』
やさしくてあたたかく、力強い言葉。
だけどその裏にあるのは、ただセラに注がれる無償の愛。
涙は止まらなかった。
ライトニングは、スノウの背中に額をくっつけた。
ここなら安心できる、涙を見られることはない、最高の防御壁。
だけど、ここは自分の居場所じゃない。

――でも今だけちょっと貸してくれないか? セラ。

流れる涙がスノウのコートを濡らす。
スノウのあったかくて広い背中。
逞しくて頼りがいのある強い男。
こいつになら、セラを託せる。
そう思って認めたのだ。他でもない、自分が認めたのだ。セラの夫となることを。

――「夢を見せたのは、おまえだ」

  あの言葉はセラのことを言ったんじゃない。
 
  初めて出会ったときからおまえばかり目についた。
  どこにいても目立つ、鬱陶しい男。
  セラの彼氏がおまえだって気付いてからは、まさに目の敵で随分辛く当ったよな。
  なのにおまえは、
  どんなに理不尽なことを言われようと八つ当たりされようと、私に笑いかけてきた。
  屈託のない笑顔が眩し過ぎて何度も目を逸らしたよ。

ライトニングはスノウに傾いていく自分の心を認めるわけにいかなかった。
恐らく、初めて出会った日から彼女の目はスノウを追っていた。
しかし、スノウは他でもないセラの恋人なのだ。
それは確固たる事実だった。
自分の気持ちを認めたくなくて、わざとスノウにひどい態度をとった。
でも、どんなに頑張っても嫌いにはなれなかった。憎むことはできなかった。
彼の暑苦しいまでの真面目さが、融通の利かなさが、人を信じれるどこまでも澄みきった心根が、彼女の心を捉えて離さなかった。
ともに戦闘の日々に明けくれるうち、その想いは消えるどころか募るばかりだ。
明るい未来が見えず、打ちのめされる毎日。
絶望だけが心を捉え、セラも目覚めることもないのだという言いようもない空しさに支配された時、
その「希望」は生まれた。
スノウは生きたセラに二度と会うことはない。
だったら、このままともに使命を果たしてクリスタルになり眠れたら。
お前は永遠に私とともにある。
これ以上、セラのことで躍起になったり、セラのことばかり言うお前の声を聞かずに済む。


――夢を見せたのはおまえだ――……

――もしかしたら封印したこの想いが叶うかもと、夢を見せたのはおまえなんだ。
  あの言葉はエゴの塊だ。
  わたしはセラのことなど頭からすっかり消し去って、自分の幸せを考えていたんだ。
  自分が一番楽になれる方法を考えていた。
  あの時、額に触れるお前のぬくもりを感じながら、わたしは祈っていた。
  おまえがわたしの想いに少しでも気付いてくれるように、と。
  でも、今なら言える。
  気付かれなくてよかった。
  おまえが致命的に鈍感でセラしか見えていなくて、本当に良かった。
  これで諦めがつくというものだ。ほんとに、せいせいする――……

「のわりには、号泣してんじゃん」
「――?」
ライトニングを回想から引き戻したのは予想だにしない懐かしい声だった。
ぶっきら棒で男っぽくて、けだるげで色っぽい声。
「なにさ、化けもん見るような目で見るんじゃねえよ」
「ファング!」
「わたしもいるよ〜」
のんびりとした可愛らしい声が響く。
「ヴァニラ!」
驚きライトニングは立ち上がった。
ファングとヴァニラは気持ちよさそうに風に吹かれている。
あの時と変わらない、ヲルバの衣装をまとって、伸びをしている。
「やっぱパルスの風はいいな。コクーンは辛気臭くてなんねぇ」
「だね〜」
ライトニングは口をぱくぱくさせていた。
聞きたいこと、言いたいことは山ほどあるが、何から話し始めていいやら分からない。
「まあそう驚いた顔すんなって。あいつの結婚式だろ。うちらだって出席していいじゃねえか」
クスクス笑いながらヴァニラが付けくわえる。
「なんかね、クリスタルになってても外の様子は見えてたの。みんなが楽しそうにしてるから私たちも行きたいなぁって強く念じたら、来れたんだ」
「まあ、ファルシお得意のまやかしで、うちらは『元』ルシ以外には見えねえみたいだけどな。なんでもいいさ。こうして来ることができたんだからさ」
「わたし、ちょっとみんなの方に行ってくるね」
スキップしながらヴァニラが遠ざかる。
「あんまり驚かすんじゃねえぞ」ファングの言葉に、わかった〜と手を振るヴァニラ。
驚きに瞠られたライトニングの目に再び涙がこみ上げてくる。
「おいおい、あんたってそんな泣き虫だったっけ? こりゃ驚いたぜ」
「今日は、特別だ」
そう言ってライトニングは手で顔を覆った。「嬉しいよ。会いたかった」
「ふふ、可愛くなっちゃって」
ライトニングの肩をファングがふわりと抱く。
「泣いて楽になんな」 よしよしと、ファングはライトニングの頭を撫でた。
「そんなにあいつが好きならさ、奪っちまえよ」
「……なにを馬鹿なことを」
「気付かないとでも思ったか? あんたがあの男に惚れてるのなんか、気付かないのはあの馬鹿だけだろうよ」
「……」
「まあ、あいつは浮気なんて出来ねえクチだろうがな。救いようのない馬鹿正直だからな」
「浮気なんかする男、こっちから願い下げだ」
「だったら、やっぱ妹と奪い合うしかないんじゃねぇ?」
「そんなこと出来るわけない」
「はは、もっともだ。あんたは妹を悲しませるくらいなら首くくりそうな勢いだもんな」
ファングはライトニングの肩を抱きながら、しげしげと目新しいドレス姿の彼女を注視する。
「なんだ?」
「私がもし男だったらさ、あんな細っこいコよりあんたの方をよっぽど抱きたいけどな」
「ファング!!」
顔を真っ赤にして怒鳴り拳を握り締めたライトニングに、「冗談だって」と悪びれずにやにやするファング。
ライトニングは呆れてものも言えない。
「さ、そろそろ行こうぜ。『誓いのキス』とやらは終わったころだろ」
ファングは促すようにライトニングの背を押した。
「今は辛くてもさ、今にあんな筋肉バカにしなくてよかったって思える日がくるぜ。私が思うにさ、ホープの方が断然男前に育つだろうよ。奴なら心底あんたに惚れてるみたいだし」
「ホープは、まだ、子どもだ」
「待ってやれよ。私から見てあんたも十分子どもだよ」


風が草原の草花を揺らす。
異郷の空は抜けるように高い。

コクーンは今日もグラン=パルスを、そこで暮らすかつての民を、静かに見守っていた。







end.







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