SOMNUS

ヤシャス山の昼下がり






「ふー、モンスターは減らねえし汗だくだし、いい加減疲れてきたぜ」
ファングはブレードランスを柔らかな土の上に突き刺して額の汗をぬぐった。
「だね〜」
応えるヴァニラも相当疲れたのかして、しゃがみ込んでいる。
「そろそろ休憩するか」
ライトニングの一言に、ファングが「おうよ!」と威勢よく賛同した。
ヤシャス山に来てからというものずっと登り坂つづき。山道は狭いうえに、至る所がれきや朽ちた大木が道をふさいでいる。またその山道を住処としてモンスターがうようよ居るのだから、たまったものではない。
モンスターさえいなければ、のどかとさえ言える美しい景色が広がっているのだが。
「ねえ、あそこに川があるよ」
ヴァニラの指さした方向、そこには木漏れ日にキラキラと光る透明な水を湛えた小川があった。
「ちょうどいい。あそこで水浴びしてこうぜ」
言うが早いかファングはもう駆けだしている。
待ってよ〜とヴァニラもそのあとを追う。
「ちょっと待て。スノウたちを待たなくていいのか」
ライトニングが慌てて声をかけた。
「あいつらなら、まだ来ねえだろ。亡都パドラでダッシュシューズ手に入れてやるって息巻いてたからな。ベストチョイスも付けずに、いつになることやら」
すでに小川に到着したファングは、アクセサリ類を外しベルトを外し、その仰々しい衣装を脱ぎにかかっている。
ただ見た目は複雑に見えるが、どういう神がかり的な巻き方をしているのか、それはたった一枚の大きな蒼い布であった。
一瞬で下着まで脱ぎ去ると、ファングは生まれたままの恰好でさっさと小川に入っていく。
「待ってってばー」
ヴァニラも負けじと慌てて衣装を脱ぎ、こちらはちゃんんと脱いだものは畳んでいそいそとファングの後を追う。

ライトニングは、しかし、唖然としてこの光景を見ていたのだった。
彼女の常識をはるかに超越した存在の二人が、きゃあきゃあ言いながら小川で戯れているのにただ呆れていた。
彼女は今こそ、数百年前のヲルバの民とコクーンの発達した文明に生きていた自分との隔たりと言うものを感じずにはおれなかった。
数百年も前なら、誰に見られるか分からない小川で真っ裸で水浴びなど、日常茶飯事の出来事だったのかもしれない。
たしかに、今は気にする男の目はあの三人以外にはいなかったのだ。あとはモンスターしかいない。

「おーい、ライト。なにしてんだぁ。さっさと来いよ。女どうしなんだから、そう恥ずかしがるなって」
ファングが小川から手を振っている。
「なにしてるんだ、はこっちの台詞だ。モンスターが襲ってきたらどうするんだ」
ライトニングはキッとなって言い返した。
「大丈夫だって。襲ってきたら襲ってきたで、応戦してやるよ」
そんな格好で? 言いかけたライトニングは口をつぐんだ。
何を言っても無駄な気がした。

「ライトもおいでよ。気持ちいいよ」
すいすいと泳ぎながらヴァニラが微笑む。
確かに気持ちよさそうだ。そろそろこの軍服も汚れが目立ってきたし、汗をかいて臭いも気になる。
でも――……。
踏ん切りがつかずライトニングは二人を見守っていた。
しかしじっとしていると、ヤシャス山の湿気の多い空気が肌にまとわりつき、照りつける太陽はじりじりと容赦なく、小川の水がどこまでも涼やかに見えてくる。
不快さにとうとうライトニングの我慢が限界に達した。剣帯ごとブレイズエッジを外し、手袋をはずし、ジャケットを脱ぐ。インナーのジッパーを外すと喉元の汗が冷やされてほっと一息つけた。
幸いなことにその小川は周りに群生する木々が外界からの視線をさえぎってくれていた。
それに勇気を得て、ライトニングは着ていた軍服を脱いだ。
汗を吸った下着も脱いでしまうと、ジャケットで体を隠しながら小川に身をしずめる。
ただそんなことをしなくても、ファングもヴァニラも着ていたものを洗濯するのに真剣でライトニングの方を気にするそぶりもない。
ブーツを脱いだ素足に、石にはりついた苔がぬるっとして思わずびくっとなる。
透明な水の中、小魚がライトニングの足の周りを回ってどこかへ泳ぎ去って行った。
小川の水は温かく彼女の体を包みこみ、癒してくれた。

脱いだ下着や軍服を洗っているとファングの声がした。
「よぉ、ライト。うちらはちょっくらその辺で果物採集してくっからよ。ここで待っててくんねぇか」
「え? あ、ああ、わかった」
「大丈夫、あんたのことは見張ってるから。ゆっくり汗を流しな」
見るとファングもヴァニラもすでに衣服を装着している。とんだ早替えだ。
彼女らが目の端に見えていることに安心しながら、ライトニングは洗濯した衣類を手ごろな木の枝に干し、浅い小川を少し泳いでみることにした。

それは想像以上に楽しいものだった。

今までずっと戦闘を重ねていた緊張から解放されて、体のすみずみまで弛緩するようだった。
小川の真ん中まで来て背泳ぎをしながら天空を仰ぐ。
聞こえてくる風の音、動物の鳴き声、水のせせらぎ、木々のざわめき……。
文字通り素裸になってはじめて、ライトニングは今たしかに、偉大なる大地、グラン=パルスの一部になったような感覚に身を震わせた。
コクーンを追放された自分が、パルスのファルシに選ばれた自分が、初めてグラン=パルスに認められたようなそんな根拠のない、しかし途方もなく運命的な何かを彼女は感じ取っていた。
彼女の双山の胸の間には、それを証だてる刻印が濃くなってきている。

運命……ひとことで片づけるにはあまりに過酷な試練。
ただ、自分たちに出来るのは今を進むしかないということ。
待っている明日が今日より酷いとしても、
いつかは安らぎが来ることを信じ前だけ見ていよう。

そう決意してライトニングは瞼を閉じた。
光を受けて浮き上がる、血潮の色を見ながら、パルスの息吹に耳を澄ましていた――…。





「きゃああああああ」
ライトニングのしばしの放心状態を解除したのは、ヴァニラの叫び声だった。
「ヴァニラ!」
ライトニングは慌てて岸まで泳ぎブレイズエッジを掴んだ。
「なんでえ、ちっちゃい蛇じゃねえか」
ファングの呆れた声があとを追う。
「だって……」言い訳するヴァニラの小さな声。
ライトニングはホッとしてブレイズエッジを下ろした。
そろそろ上がろう。随分のんびりしてしまった。

生乾きの洗濯物が少々嫌だったが、
身につけようと陸に上がったその時である。

「やりぃっ、川だ! おい、 ホープ、泳げる――……」

ライトニングは一瞬何かの間違いであることを祈った。
あってはならないことが起こっていた。

ただそれが疑いようもない現実であることが、男の顔に現われていた。
スノウの顔はゆでダコのように真っ赤になっていたのである。

「ご、ごめん!!! 義姉さん!!!!」

スノウは慌てて後ろを向き、「待ってくださいよー」と遅れてやってきたホープを、
「あ、ばかやろ、こっちじゃねえ」
としどろもどろになりながら追い払う。
「え?なに?どうしたんですか?」困惑するホープの声。
「兄ちゃん、川だろ。ちょっくら汗流しちまおう」のんびりしたサッズの声。
「だからっ、ちょっと待てって」
二人の肩を押しながら無理やり現場から遠ざけようとするスノウ。
ライトニングはそれらのやり取りを背後に聞きながら、早鐘を打つ心臓を止めることができない。

――見られた。あいつに見られた――……!!

頭に血が上ってめまいを起こしそうだ。
恐らく今の自分の顔は、さっきのスノウ以上に真っ赤になっているに違いない。
何というタイミングの悪さ。
ヴァニラが蛇を見つけてファングがそれに気を取られている隙に帰ってくるなんて、嫌がらせとしか思えない。
スノウが悪いわけではない。それはわかっている。彼に悪気はカケラもないのだ。
今自分が水浴びしてることなんて彼に予想できるわけないのだから。
しかし、スノウの、救いようのない天賦の才とでもいうべき間の悪さがいっそ憎らしくて腹立たしい。

着替えを終えたライトニングは、抜き身のブレイズエッジを手近な木の幹に力任せにつき立てた。



それは、ライトニングの怒りの矛先が、気の毒な青年スノウに向かうことは火を見るより明らかな、ヤシャス山の昼下がりの出来事だった。











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