SOMNUS

二つの光




ライトニングは舌打ちした。
足が立たない。
よろけて地面に手をつく。
見れば、左足が真っ赤に染まっている。
ひざ上を鋭い刀で切られていた。

「大丈夫か、ライトニング」
退路の安全を確認してきたらしいウォーリアが鎧の音を響かせながら戻ってくる。
その時、暗雲の切れ間から光が差し込み、彼の蒼銀の髪と蒼い鎧を輝かせた。
背景に横たわる崩れた瓦礫の山さえ、彼の美しさを際立たせるようだ。
呆然と見とれる自分に気付きライトニングは目をそらせて声を張った。
「かすり傷だ」
傷口がどの程度の深さなのか分からないが、出血の激しさからみるとかすり傷とは到底いえない。
しかし、ウォーリアに無様な姿を見せたくはなかった。
ライトニングは歯を食いしばって痛みに耐えた。

セフィロスの剣戟はすさまじく容赦がなかった。
ウォーリアが助けてくれなかったら、今頃生きてはいなかっただろう。
そう考えると今さらながら恐怖がよみがえり、体が震えた。
脳内に蘇る嗜虐的なセフィロスの笑みを必死にかき消しながら、自分の弱さを認めざるを得なかった。
この世界に召喚されてまだ日が浅いからだとウォーリアは言っていたが、慰めにはならない。
自分で思っている以上に、わたしは弱いのかもしれない。
ライトニングは不意にこみ上げてくる涙をかろうじてこらえた。
この程度のことで動揺する自分に腹立ちさえ覚えた。
以前はこんなではなかったはずだ。
この世界に来てから、時折、自分が自分でないような感覚にとらわれる。

目を閉じてうつむき呼吸を整えていると、
「ライトニング」
と、静かに呼びかけられた。
いつの間にか、地面に手をついて立ち上がれないでいるライトニングのそばに、ウォーリアがいて同じようにひざまづいている。
この距離では泣き顔を見られてしまうと思い、ライトニングはうつむいたまま顔を上げなかった。
「ひどい怪我だ」
ライトニングの足の刀傷に気付いたウォーリアは、懐から取り出してきた白い布にポーションを染み込ませると、抗うライトニングを制して地面に足を投げ出させた。
「少ししみるが我慢するのだ」
布が傷口に押し当てられる。
その途端、傷口を根源とした焼けるような痛みがライトニングの全身を襲った。
「くっ」
思わずうめき声が漏れる。
「傷は深いが幸い骨までは達していないようだ。これならポーションで治るだろう。ただしばらく戦闘は避けて安静にするほうがいいだろう」
ウォーリアは慣れた仕草で、彼の二の腕よりも細いライトニングの脚に包帯を巻いていった。
手袋を取った彼の手のぬくもりが直に伝わってきて、ライトニングは居心地が悪かった。
「カオスの軍勢が力を増す今、そんな悠長なこと言ってられな……」
ライトニングは思わず言葉を飲み込んだ。
ウォーリアが彼女を軽々と抱え上げたのだ。
「何をする」
ライトニングは顔を真っ赤にした。
「下ろせ。自分で歩ける!」
「この傷では到底むりだ」
ウォーリアは聞く耳を持たず、さっさと歩を進める。
こんな姿を、もし仲間に見られたら――。
いや、セシルやスコールなんかだったら問題ない。
でも、バッツやジタンに見られたら――…
そう思うといてもたってもいられないライトニングであった。

しかし、ライトニングの心配をよそに、道中誰にも出会うことのないまま二人は深い森の入り口までやってきた。
「ここから先、夜間の歩行は危険だ。今日はこのあたりで野宿にしよう」
ウォーリアは抱えていたライトニングをそっと倒木の上に座らせた。
「すまなかったな」
道すがら、ウォーリアの頼もしい腕に抱えられその胸に身を預けていると、安心で、心地よさに眠気さえ覚えたライトニングは、恥じらいを隠すようにことさらぶっきら棒に礼を言った。
そんなライトニングにウォーリアは相変わらず何の感情も読めない表情で言った。
「しばし待っていてくれ。すぐに横になれるようテントを張ろう」
軽いとはいえ人一人を抱えて短いとはいえない距離を歩いてきたにも関わらず、ウォーリアは疲れも見せずテント作りを始めた。
野宿に慣れているのか、その動きに無駄はなく、すぐに簡素なテントが出来あがる。
「先に入って休んでいてくれ。私は食事の用意をする」
休む間もなく、ウォーリアは火をおこすと、携帯食料を温め始めた。
温めずとも食べられるのだが、温めた方が体も温もるし美味しい。
そう以前に呟いたことを未だに覚えていて、ウォーリアはいつもこうして生真面目に手をかけてくれる。
「ウォーリア、そこまでしなくていい。そんなにお腹空いてないから」
テントの中から声をかけると、ウォーリアは振り向いた。
彼はまだ武装を解いていない。兜だけは外していて、月明かりに髪が銀色に輝いている。
陽が沈んでも、どうしてこんなに眩しいんだろう。ライトニングは不思議だった。
鎧姿なのは、恐らく、今夜も自分は眠らずに、テントの周りを見張ってくれるつもりだろう。



ライトニングは脚を引きずりながらテントを出た。
ポーションのおかげか、痛みはほとんど感じなくなっていた。
ウォーリアの座る倒木の端に腰をかけて、はぜる火を見つめる。
ウォーリアはそんなライトニングを静かに見つめていた。
「なあ、ウォーリア。おまえには大切な人はいないのか?」
言葉にしてから、自分は一体何を言いだしたのだろうかとライトニングは顔を赤らめた。
橙色の焚き火の火がそれを覆い隠してくれることがありがたい。
「大切な人?」
ウォーリアはしばし考え込むようにし、凛と声を張った。
「それはもちろん、コスモスと彼女に選ばれた仲間だ」
迷いのない真っ直ぐな本心からの答えであることは容易に知れたが、ライトニングの求めていたものではなかった。
「そうじゃない。心から…その……、愛する人という意味だ」
「心から愛する……?」
「つまり、恋人だ」
ライトニングはウォーリアの真っ直ぐな視線から逃れるように夜空を見た。
満点の星の輝きが、そこにはあった。
「恋人……」
ウォーリアの呟きを聞いて、ライトニングは「しまった」と思った。
自分たち他のコスモスの戦士たちが断片的にではあるが元の世界の記憶を持つのとは違い、何故かはわからないが、伝説の戦士である彼にもとの世界の記憶は一切ない。
記憶のない彼には酷すぎる問いだ。
「すまない。今の質問は忘れてくれ」
しかし、ウォーリアはなおも考え込んでいる。
その様子を見ながら、彼の愛するのはもしかしたらコスモスかもしれないと思った。
調和の神である彼女を心から崇拝している彼のことだ。その想いが一人の女性を愛する感情になっていたとしてもおかしくはない。
沈黙するウォーリアの横顔、その白い陶器のような肌を焚き火の火が彩っている。
およそ、人とはかけ離れた類い稀なその美貌と神秘的な雰囲気は、神が愛するにふさわしい存在に思える。
そもそも、伝説の崇高な「光の戦士」である彼に対して、恋人の有無を尋ねるなど下世話すぎる話題だ。
「ばかな質問だった。ほんとに、忘れてくれ」
ライトニングは、テントに戻ろうと立ち上がりかけた。
その時、怪我をした左足に思わず重心をかけてしまった。ポーションで痛みが和らいだために怪我をしていることをすっかり忘れてしまっていたのだ。
激痛が走り、ライトニングは地面につんのめった。
しかし、彼女が倒れ込んだのは固い地面ではなく、頼もしい腕の中だった。
「きみは案外そそっかしいのだな」
「……っ」
ライトニングは火を噴きそうなほど赤らむ顔をしながら、目の前のウォーリアの顔から目が離せなかった。
ウォーリアがほほえんでいた。
彼が笑うところを初めて見た。
いつも厳しい表情をしていて、さもなくば感情の読み取れない人形のような顔をしている彼が、こんな親しみのこもった顔をするなんて。
「そんなふうに、珍しいものを見るように見ないでくれ。きみたちとそう歳の変わらないただの男だ」
「すまない」
伝説の光の戦士が、バッツやティーダのような連中と同じだとは到底思えなかったが、ライトニングは素直に謝った。そして、ウォーリアの腕から逃れようとしたがその腕はびくともしない。
「ウォーリア?」
「<ライトニング>というのは通り名だそうだな。もし、本当の名前を覚えているなら、教えてはくれないだろうか」
「本当の名……」
そう呟いた途端、頭の中に誰かの声がこだました。
可愛い女の子の声だ。
自分は確かにこの声を知っている。なぜならその声を聴いた途端、懐かしさで胸が一杯になったからだ。
でも誰の声かを思いだせない。
声はいった。
『<エクレール>ねえさん』
「エクレール……」
ライトニングは声に言われるがまま、その名を口にした。
「エクレール。そうか、きみの本当の名はエクレールというのか」
ウォーリアは目を細めた。
「ならば、エクレール。私の言葉をきいてほしい」
ウォーリアは先ほどまでの柔らかな表情をひっこめて、いつも以上に真剣な表情になった。
至近距離で見る彼の目は、透きとおるようなアイスブルーだ。
吸い込まれそうな錯覚に陥る。

「エクレール、きみを愛している」

その形の良い唇から、一言一言丁寧に発せられる言葉。
その言葉の魔法にでもかかってしまったように、ライトニングの全身から力が抜けた。
胸が痛いくらい熱くなり、涙が一筋こぼれた。
どうしてわたしは泣いているのだろう?
「エクレール」
やさしく呼びかけながら、ウォーリアの顔が近づいてくる。
本当の名前を呼ばれる心地よさにひたりながら、ライトニングは静かに目を閉じた。









敗北の物語は終わろうとしていた。
ウォーリアは力尽き、地面に倒れ伏しながら、心の中で嘆いていた。

――コスモス、どうして、力を使ったのだ。あなたの力は世界を救うためのもの。
  私を助けるために使ってはいけなかったのだ。

最後まで守ると誓った。それを成し遂げられずに、光の戦士の胸中は懺悔の念で押しつぶされそうだった。
これでは、他の戦士たちを次の戦いへ導くための犠牲となった六人に申し訳が立たない。

――エクレール。すまない。

そのとき、光を感じた。
見れば、自分の周りにかつての仲間たちがいた。イミテーションとの戦いで犠牲になった者たちだ。
そして自らの力を解放してウォーリアを守ったコスモスの姿もあった。

ウォーリアはよろめきながら立ちあがった。
光に包まれた仲間たちは次々と光の粒となり空へと昇っていく。
その中に彼女がいた。

「エクレール」

エクレールは彼を見つめていた。
彼女は微笑んでいた。そして少しうなずいた。
まるで、「次は任せたぞ」とでもいうように。

「許してくれるのか? エクレール」

しかし答えはなかった。彼女の姿もまた光の粒子となって空へと昇っていく。
光の粒子はやがて一つの光の流れとなり、光の流れはやがて一匹の神竜の姿となって空へと舞い昇っていった。

そして、彼の姿もまた――






ウォーリア・オブ・ライト。光の戦士。
しかし、本当の名をわたしは知らない。
わたしのことを本当の名で呼んでくれたおまえを、
わたしも本当の名で呼び返したいのに、
それが叶わないのがもどかしい。

わたしたちは次の戦いには行けないようだ。
でも、おまえたちなら大丈夫だろう。
きっと今度こそ、この戦いは終わる。
コスモスの勝利となって。

二人きりで過ごしたのはあの夜だけだったけど、
初めて人をこんなに愛したと感じた。
おまえも同じだと知って、これ以上嬉しいことはなかった。
おまえには言わなかったけど、わたしもおまえと同じだ。
心から人を愛したのはあれが初めてだったんだ。

わたしはおまえのことを忘れるだろう。
そして、おまえもわたしのことを忘れるだろう。
でもきっと心のどこかに記憶は残るはずだ。
思い出せないだけで。
そう、忘れていた「エクレール」という名のように。






end.







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