輪廻の彼方
「来たか」
ウォーリアオブライトは地平線を見やった。
見るまでもなく、イミテーションたちが立てる足音は徐々に大きくなりつつある。
その耳障りな地鳴りは、波紋を刻みながら、静寂に包まれた神聖な地を浸食していく。
「コスモス、わたしは今あなたを敗北へ導こうとしている」
ウォーリアオブライトは迫りくる敵から目を逸らさない。
その蒼く澄んだ双眸は、死を覚悟してより一層、輝きを増すかのようだ。
「勝利を願い 戦いの終わりを望んだあなたに、私はもう、他に何もすることができない」
言葉の意味するところとは裏腹に、ウォーリアオブライトの声には微塵も辛さが感じられない。
そう、この記憶を持たない戦士にとって、戦うことは己の存在証明なのだ。
たとえ、この戦いで命を失うとしたところで、戦って死ねることは本望なのだろう。
(でも、わたしは――)
コスモスはウォーリアオブライトの背中をすがるように見つめた。
「何もできないのは私の方です。本当はあなたたちみんなを助けたかったのに──」
言いつつ、コスモスはウォーリアオブライトを見上げた。
しかし、彼はコスモスを見ようともしない。
「あなたの力は世界を守るためのものだ。私たちを助けるためにその力を使っては何の意味もない」
(わたしは……そんな言葉が聞きたいのではないのです)
コスモスは思いつめた表情で淡々と話す戦士を見つめていた。
「我々は調和の神を勝利に導くために この地に呼ばれた戦士なのだ。
コスモス あなたの勝利はきっと未来で形となる。
だからどうか あなたも未来を信じて皆と次の戦いへ向かってほしい」
ウォーリアオブライトは迫りくる敵へと歩を進めた。
「光のために戦う資格など 私にはもうすでに無いのかもしれない。
だが──私の胸のうちにある光は一度も揺らいだことはない。
私はここで最後まであなたを守ることを誓おう」
剣をさやから抜き、凛然と言い放たれる言葉。
死の瀬戸際に立ちながらも前向きで揺るがない意志。
コスモスの目から涙があふれた。
敵へと向かっていく光の戦士の甲冑姿がぼやける。
「わたしは――」
失いたくなかった。
永久に消えてなど欲しくなかった。
次の輪廻で、たとえまた、神と一介の戦士という隔たった間柄であっても、出会いたかった。
敵へと歩を進めていたウォーリアオブライトが立ち止まる。
「コスモス 未来のあなたとともに戦えないことを許してほしい」
彼はそう詫びると、再びコスモスに背を向け歩き始めた。
存在の終わりへと向かって――
(待って)
コスモスの心の叫びは、しかし、ウォーリアオブライトには届かない。
彼の背中は徐々に遠くなっていく。
コスモスは自らを呪った。
神として生みだされ、異世界から召喚した戦士たちを捨て駒のように使いながら、
どうしてこんな感情を持ってしまったのか。
*
コスモスは咄嗟に叫んでいた。光の戦士の封印された名を。
今まさに、敵の刃を受けんとしていた彼は、その声に反応した。
すさまじい早さで切り返した彼の剣戟を受けたイミテーションの脆く崩れ去る音。
しかし、圧倒的な数の差でもって、再び彼は敵に囲まれた。
荒い息を吐き、力尽きたように跪く戦士。
イミテーションに倒されると、次の輪廻へは行けない。
ならば、彼を守るためにコスモスに出来ることはただ一つだった。
コスモスは宙に浮き胸の前で手を組み合わせた。
全身を包んでいた神々しい光が胸の一点に集約される。
溜めこんだエネルギーを、イミテーションの群れが襲いかかるタイミングを見計らって、解き放つ。
「コスモス!!」
ウォーリアオブライトが悲痛な叫びをあげる。
それはコスモスが初めて聞く、感情のこもった彼の声だった。
光の爆発はイミテーションたちをなぎ払った。
同時に力を出し尽くしたコスモスも光の粒となり消える。
光の戦士がどうなったか、彼女は知ることはできなかった。
*
コスモスは光の中で目を覚ました。
そこは上も下も右も左も方向がまるでわからない白い世界だった。
コスモスは身を起こした。
それだけで動悸がした。
自分の力がひどく弱まっているのを感じた。
(ここは、一体)
そして思い当たる。
自分は力を出しつくし、あの世界で一度死んだ。
ここは次の輪廻に生まれるまでの間過ごす、どの世界、どの次元にも属さない、そんな場所ではないだろうか。
すぐ近くに青い甲冑の青年が倒れていた。
コスモスは彼に近づいた。
世界には彼女と彼しかいないようだった。
それとも神である自分の願望が形となって、かりそめの空間を作り出したのか。
どちらにしろ、残された時間はあまりないようだ。神竜の嘶きが遠く聞こえてくる。
コスモスが近づくと彼が目を覚ました。
蒼く透明な双眸は、かつてと変わらない輝きを宿している。
「コスモス……」
少し驚いたような表情で、ウォーリアオブライトは身を起こした。
コスモスは笑いかけた。
「神竜の浄化を受けたとはいえ、まだわたしたちには記憶が残っているようですね。それも遠からず消えてしまうでしょうけれど」
「コスモス、あなたという人は――」
青年は倒れる間際にコスモスが行った行為について咎めたいようだった。
「あら、お説教は聞きたくありません」
コスモスは笑いながら彼の隣に腰を下ろした。
そうしていると、遥か遠い昔、初めて彼に出会った時のような心持になる。
あの時、この青年は、ただ美しいだけのまっさらな空っぽの器だった。
プリッシュやシャントットたちにたくさんの知識を――多くは戦いの知識だったが――植え込まれ、素晴らしい戦士へと成長したが、逆に感情の読めない取っつきにくい人間になってしまった。
調和の神である自分に、惜しみない敬意を注ぎ忠誠を誓う彼に対して、中途半端に誤魔化すことはしたくなかった。
「光の戦士、わたしはあなたを失いたくなかったのです。ずっと同じ輪廻で生きたい。たとえそれが救いのない未来だとしても、もう一度、いえ何度でも、あなたに会いたいのです」
コスモスはウォーリアオブライトの手をとった。
「神であるわたしがこんなことを言うのは間違っていると思います。でも、お願いです。ずっとそばにいてください」
顔を真っ赤にして俯くコスモスをウォーリアオブライトは静かに見つめた。
「コスモス、私はずっと夢を見ていた」
コスモスは顔を上げた。「夢…ですか?」
「ああ。その世界でも私はやはり過去の記憶を持っていなかったが、今と同じように、ともに戦う仲間がいた。
私たちはコーネリアという美しい国を訪れ、国王から王女の救出を依頼された。
彼女の名前はセーラ姫といった。
私たちはガーランドから無事姫を救出した」
ウォーリアオブライトは重ねられたコスモスの手に、もう片方の手を重ねた。
「セーラ姫はあなたによく似ていた。いや、あなたそのものだった。
私は思う。あの世界は、これから生まれる世界かもしれないし、過去の世界かもしれない。
しかし、私たちはきっと出会える。幾度も輪廻を重ねて、記憶をなくしても、同じ世界にきっと生まれることができる」
コスモスの目から流れ落ちた涙が、光の戦士の籠手を濡らした。
「この戦いは我々の勝利に終わる。そして秩序を取り戻した新しい世界に私たちは生を受ける。
その時こそ、私はあなたにこの想いを伝えよう」
ウォーリアオブライトは胸に手を置いて誓う。
「あなたへの想いは幾度輪廻を重ねたとしても失われはしない。
ずっと、この胸の中で私を導く光となるだろう」
「――……」
コスモスは戦士の名を口にしたが、それは音にはならなかった。
消えゆく記憶の中で、二人はお互いの姿を心に焼き付けようとでもするかのように、見つめ合ったまま動かなかった。
end.
novel