SOMNUS

二人の夏SS





窓の外、ビルの林立する都市に真夏の太陽が容赦のない日差しを浴びせかけている。
ノクトはうんざりしたように王者のように雲ひとつない空に君臨する太陽を見やった。
暑さの苦手なノクトにとって、夏は一番嫌いな季節だ。

リモコンでブラインドを下ろし、冷房が直に当たるソファへと移動する。片手にアイスコーヒー、片手に文庫本――これは眠気を誘うためだが――、すっかり引きこもる準備を整えて一つ欠伸をした時だった。
自室のスピーカー越しに家来の声が聞こえる。

「殿下、お客様がお見えです」

ソファに寛ごうとしていたノクトは、静かな休日に水を差されたようでむっとした。
こんな日にやってくる奴は決まってる。

「あぢいいいっ、ノクト、入るよっ」
「あ、ちょっと……っ」

チャラ男の声と家来の慌てた声が重なり、スピーカーは切れた。
ノクトはため息をついた。
もっと城のセキュリティを強化しなければ。


「うわっ、超すずしいっ。最高!」
ノクトの部屋に入ってくるなりチャラ男は叫んだ。ノクトの手からアイスコーヒーを奪って飲み干す。
「か――っ 旨いっ。ビールならもっと良かったんだけどね」
「おまえ、厚かましいぞ」
「いいじゃん。クーラー代節約したいんだよ。今月も家賃厳しくてね。だいたいこの城の光熱費だって税金だろ?と言うことは、国民が涼みに来ても文句言えないじゃん」
チャラ男は半分正しいような間違っているような理屈をこねてソファに寝転がる。
「おやすみぃ」
「おいっ」
ソファを占領されたノクトは仕方なく窓枠に腰を下ろした。
ブラインドの隙間から夏の空を見やる。
ふと壁のデジタル時計を見ると、午後二時。
夕刻までには涼しくなるだろうか。
いや、それよりも――

ノクトは壁のスイッチを押した。
液晶ディスプレイに門衛が映し出される。
「ご用でしょうか、殿下」
ノクトはチャラ男を気にして声をひそめた。
「宅急便が届かなかったか? 俺宛ての」
「いえ、本日はお荷物はございませんが」
「そうか」
ノクトは肩を落として回線を切った。
その時、ソファに寝転がっているチャラ男の尻の下から、茶色い包みが覗いているのが目に入った。
「おまえ、どけ」
「ふあ?」
寝ぼけて目をこするチャラ男を押しのけて、彼の下敷きになっていた包みを引っ張り出す。
「てめ、ぐしゃぐしゃになってるじゃねぇか」
「あ、忘れてた。ノクトあての荷物を城の入り口で出会った宅配屋さんから預かったんだよね。なぁに、それ」
覗き込もうとするチャラ男をふりほどいて、ノクトは別室に移動した。
扉を閉めて鍵をかける。

――あんな男に大事な荷物を預けるなんて、なんていい加減な宅配屋だ。次から頼むのやめよう。

ノクトはそう心を決めて包みを開いた。
中から出てきたのは、紺地の布。ノクトはそれを広げてみた。
セットになっている濃紺の帯が床に落ちる。
それはどこから見ても、風流な浴衣のひとそろいだ。

夜までに間に合ったのはいいが、これを着て出かけるのか…。
憂鬱な心にふと思い出されるステラの笑顔。
――わたし浴衣で行きますから、ノクトさまも浴衣を着てきてくださいね。

もし普段着で行ったらどれほどステラががっかりするだろう。
ノクトに選択の余地はなかった。


「ふうん、悔しいけど似合ってるね。なかなか、ほおほお」
チャラ男がうるさい蠅のようにまとわりついてくる。
ノクトは蠅を追い払うように手のひらを振った。
「浴衣デートだね、いいなあ」
「おまえは行かないのかよ」
「え、一緒に行っていいの?」
「ばか、この前付き合っていた年上の彼女はどうしたんだよ」
「そんなの、昨日振られたよ。二股がばれて」
「ほんとにバカだな」
「バカバカ言うなー」

ノクトはそれ以上チャラ男の相手をするのをやめて、帯を、ああでもないこうでもないと結び直していた。
結局分からずに、最終的にインターネットで調べる。
「あーあ、暇だなぁ」
チャラ男がクッションを抱いて子供のように足をばたばたさせた。
「あ、そうだ。あの二人誘ってみよう。んじゃ、行くわ、バーイ」

チャラ男が出ていって静かになった部屋の中で、空の色が変わるまでノクトは帯と格闘していた。









花火大会当日の駅は、非常に混雑していた。
浴衣姿のノクトは、駅の壁にもたれて腕を組んでステラを待っていた。
浴衣を着ている人々は他にも大勢いたので珍しくはないのだが、彼の持つ普通人にはないような雰囲気と絵のような立ち姿に目を止める人は一人や二人ではなかった。
王子であることがばれないよう、彼は持っていたうちわで半ば顔を隠した。
不思議なことに声をかけてくるものはいなかった。
王子がまさか護衛も付けずに大衆に混ざっているなんて、一般人には思いもよらないに違いない。

改札の方に目をやったノクトははっと身を乗り出した。
華やかな金髪、可憐な雰囲気はどんなに人が多くても見間違えるはずはない。
――ステラ!
そう呼びかけたかったが、これ以上注目を浴びるのも嫌だったので、彼は少し上げた手を振って合図を送った。
彼女も気付き、こちらは大きく腕を振る。
賢明にも声を出すことはなかったが、彼女の唇が動いて「ノクトさま」と言うのがわかった。
ノクトの胸が温かさに満たされる。

人ごみを抜けてようやくノクトの傍に辿り着いたステラは、「遅れてごめんなさい」と丁寧に頭をさげた。
今日は髪をいつものように下ろさず、アップにして一つに結わえている。
それだけで随分大人っぽく見える。ノクトは相変わらずの自分のツンツンヘアに手をやった。
「いや、それほど待ってないよ」
ステラはノクトに一歩近づいてその袖をつまんだ。
「うれしい、浴衣着てきてくれたんですね」
「あ、ああ」
「すごく似合ってます」
ステラは嬉しそうに笑った。「我儘言ってごめんなさい。でも、浴衣デートって前から憧れてたんです。叶って嬉しい」
それを聞いたノクトの顔が赤くなる。「デート」「嬉しい」という言葉が彼の頭の中でリフレーンされる。
「さあ、行きましょう」
二人は花火会場の河原まで、人の流れに乗り込んだ。


河原は大勢の人でにぎわっていた。露店が並び、浴衣姿の人々で溢れている。川沿いに生えている柳の木々が風に揺れて涼しげにそよぐ。
少し遠くを見やれば、高層ビル群が立ち並ぶ都会の夜景が広がっているというのに、この河原のスペースだけが遠い昔にタイムスリップしたかのような郷愁に満ちていた。

実のところ花火を間近で見るのはノクトも初めてだった。
城からは毎年見ているのだが、わざわざ足を運んだことはなかった。
たいして期待していなかった彼は、腹に響く打ち上げ音とそれに続く夜空を彩る光の乱舞に目を奪われた。
花火が、こんな立体的で芸術的であるなんて思いもよらなかった。
光が、まるで流星のように自分目がけて降り注いでくるような――……
しばらく放心したようにそれを眺めていた彼は、ふと隣のステラが声も立てず花火を見上げているのに気づいた。
その彼女の横顔は花火の輝きをそのまま映して、赤や緑や青、色とりどりに移り変わる。
両手は顎の下で重ね合わせられ、感動の為に下ろすのを忘れてしまったかのようだ。
浴衣の袖から露わになった腕の白さに妙にどぎまぎする。
彼女のもっと露出の高い服装だって目にしたことはあるはずなのに、浴衣というのはどうしてこうも色っぽくみえるのだろう。
後半、彼は花火を見上げるのも忘れ、隣のステラに見とれていた。


最後の、大団円のようなあたりを真昼の明るさにする花火が消えた後――
ステラは、ほぅっと一つ小さなため息をついた。指先で目元をぬぐう。
「わたしったら、感動してしまって。あんな一瞬なのに、あんな綺麗に輝いていた花火見てると、なんだかすごくせつなくなって……」
「……」
「美しかったですね」
「ああ……(君も)」
二人はあたりの見物客がいなくなっても、いつまでも花火の消えた夜空を眺めていた。





「ノクトぉ、ステラちゃぁぁん」
(げ)
ノクトは振り返らなかった。
「ステラ、行こう」
「え、でも、お友達の方々が」
「いいから」
ステラの手を取り、ノクトは人ごみをかき分け進もうとしたがあまりの人で進めない。
案の定、追いつかれてしまう。
「なんで逃げるんだよ、ノクト」
「分かりきったこと訊くな」
「皆さんもいらしてたんですか」
ノクトの焦燥もよそにステラがにこやかに笑いかける。
「まあねん。野郎三人だけど」
「花火見ましたか?」
「見たよー。綺麗だったねー」
「ええ、本当に。とくに最後のほうなんか、次々と惜しみなく打ち上げられて。ね、ノクトさま」
「え、あ、ああ」
チャラ男がにやにやする。
「だめだめ、ステラちゃん。ノクトほとんど花火なんか見てなかったから。ステラちゃんの方ばっか見てたんだから。ね、ノクト」
「な、おま……っ」
真っ赤になるノクトを尻目にチャラ男がメガネとスカ―フェイスの背を押す。
「ささ、邪魔者は消えよう」
「おまえなあ、あんまりからかうなよ」
スカ―フェイスが呆れた声を上げる。
「だってあの二人見てるとさ、なんかいじりたくなるじゃん。あんまり初心だからさ」
「それは、まあ言えてるな」メガネが頷く。

野郎三人が消えたあとも、ノクトとステラは、二人して頬を染めて立ちつくしていた。







end.






おまけ






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