SOMNUS

月の隠れた夜だから






ニュースキャスターがテレビの中で、王国とニブルハイム統一政府との緊張が急速に高まり、一触即発の事態であることを、こわばった顔で伝えていた。
ニブルハイム統一政府は、何百年にも渡り王国によるクリスタルの独占を批判してきた。
もし、双方の間で火花が散れば、ニブルハイム統一政府側であるテネブラエは王国の敵となる。
去年結ばれた平和条約はすでに破棄されていた。

ノクトはリモコンでテレビの電源を切った。
隣で息をつめて画面を見ていたステラが、震える体をぶつけるようにノクトに抱きつく。
ノクトはその柔らかな体を抱きしめて安心させるように彼女の金髪の頭を撫でた。
「大丈夫だ。戦争になるわけない」
これが遠いどこかの国の話で、自分たちは単なる傍観者にすぎない。そう思い込もうとした。
だいたい、自分が当事国の次期国王だという事実の方が嘘みたいな話ではないか。
「昨日、父から電話がかかってきました。すぐにテネブラエに帰って来いって。父はきっと追手を差し向けます。わたしはテネブラエに連れ戻されるわ」
ステラは濡れた目でノクトを見上げた。「あなたと離れたくない」
きらきらと紫水晶の瞳は光を反射して、ノクトを見つめる目はどこまでも深い。
「ステラ」
震える彼女を安心させるように、やさしく口づける。
彼女の肩越しには、王国の夜景が広がっている。
遠く見える城が、不吉な姿で夜でも明るい空を背景に佇んでいた。
このマンションから城が見えるということは、城からもこのマンションが見えているということだ。
王は血眼で王子の行方を捜しているに違いない。
メガネたちがうまく取りつくろってくれた隠れ家であるこの場所も、見つけられるのは時間の問題だろう。
ノクトの心は決まっていた。
「ステラ、俺と一緒に逃げよう」
「……え?」
驚いたようにステラが顔を上げる。
「どこか、王国ともニブルハイム統一政府とも関係のない遠い国へ行って、二人で暮らすんだ」
口に出してしまうと、突拍子もない夢物語から、素晴らしい名案へと変わるから不思議だ。
ステラと二人で遥か遠くの国で、静かに暮らす。
初めから出来ないと決めつければ、何もできなくなる。

「うれしい」
そういってステラは、瞳を閉じた。拍子で、目に溜まっていた涙が頬をつたい落ちる。
「ええ、連れて行ってください。でも……」
唇をかんで、懐からステラは短剣を取り出した。
美しい装飾の施された護身用というより観賞用みたいな華奢な剣だ。
「あなたがたまらなく愛しいのに、なぜだか時々ひどく憎しみを感じてしまうのです」
ステラは剣を持つ手に力を込めた。
「おそろしい。自分が違う誰かになったようですごく恐ろしいのです。ノクト、約束してください」
ステラは剣を逆手にして切っ先をおのれの胸へ向けた。中世の、異端審問をうける聖女のように見える。
「もし、わたしがあなたを殺そうとした時は、迷わずわたしを殺してください」
憎しみは当然のことかもしれない。なぜなら自分は、神聖な彼女を穢したのだから。
ノクトは、そっと彼女の短剣を持つ手に自分の手を重ね、ゆっくりと剣を下げさせた。
そうして、ふわりと抱きしめる。
「そんなこと、起こるはずないだろ」
ノクトはステラを抱く手に力を込めた。
「俺たちはずっと一緒だよ」
「ノクト……」

家具らしい家具もない殺風景なワンルームマンションで、二人は抱き合ったまま夜が明けないことを願っていた。


                      *



大小様々なビルが、灰色の空を背景に佇んでいる。
牧歌的な風景の多いテネブラエに長く住んでいたステラにとって、それは息詰まる景色だった。

この国の空気は重い。
ステラは深呼吸をしてみたが、汚れた空気に肺を汚染される気がして慌ててやめた。
早く二人で外の世界に出ていきたいと思った。そして新鮮な空気を吸うのだ。きっと生き返る心地がするだろう。

窓を閉めてソファに座り両手を組んで、脱国の準備に出かけたノクトの帰りを待つ。
広々とした部屋に一人きりでいると、不安で押しつぶされそうになる。
(ノクト、はやく帰ってきて。わたしを独りにしないで)
そればかりを思う。

インターホンの音にステラは飛び上がりそうになった。
部屋が静まり返っていたので、より大きな音に聞こえるのだ。

無言でインターホンに設置されたカメラ映像を見る。
「あ」
ステラは思わず声を出した。
そこに映っていたのはメガネの姿だった。
意外な人物ではない。
このマンションのことを知っているノクトの仲間の一人だ。第一ここを手配してくれたのは他でもない彼である。
「どうしたんですか」
部屋に招き入れながら、ステラは背の高いメガネを見上げた。
彼は靴を脱がずに玄関に立ったままだ。
「ここでいい。すぐに失礼するから。今日はあなたに頼みがあってきた」
「なんでしょう?」
ステラは何となく不安を覚えた。メガネはいつものように事務的な声で、要件を告げた。
「テネブラエに、帰ってくれないか」
ステラは息をのんだ。
「どうして……」
「理由は言わなくてもわかるはずだ。あなたとノクトはこれ以上一緒にいてはいけない。いや、いることはできない」
「……」
「下に車を用意してある。安全にテネブラエまで送りとどける」
「いやです」
ステラはきっとメガネを睨んだ。
「わたしたちのこと、応援してくれていたんじゃなかったんですか?」
「応援? 俺はずっと反対だったよ」
メガネは微笑んだ。どこか痛々しげなその笑みにステラは胸を突かれた。
「でも、あんな幸せそうなノクトは初めて見た。だから言いだせなかった。でももう、そんなことをかまっている余裕はない。明日にも戦争が始まる。さあ、お嬢さま」
「いやよ。わたしは行きません」
ステラは断固とした口調で言い切ると、部屋の隅へと移動した。窓のカーテンを身体にまきつけて身を守ろうとしている。
「まいったな」
(手荒なことはしたくなかったが)
メガネはため息をつくと、ポケットから小型の銃を取りだした。
途端ステラの顔が凍りつく。
「メガネさん、あなた……」
「すまないが、少しおとなしくしていてもらおう。これはこの国で開発された対人用麻酔弾だ。大丈夫、苦痛も後遺症もない」
容赦なくメガネは引き金をひいた。
麻酔薬の入った注射筒がステラの右肩に命中する。
目を見開き必死の抗議のまなざしを残したあと、ふっと意識を失いステラはその場にくずおれた。
メガネは土足のまま部屋に上がると、倒れたステラを抱え上げた。
ふと彼女の左手の薬指にシルバーリングが光っているのに目をとめる。
メガネはかすかに目を細めた。
そして表情を変えずそれを抜き取った。



部屋に戻ってきたノクトは、ステラの代わりのようにソファに腰掛けているメガネを見て、血相を変えた。
「どうしてだ」
襟首を掴まれても、メガネは抵抗しなかった。
「なんとか言えよ」
ノクトにされるがまま、揺さぶらてなお、メガネの表情は変わらない。
「ステラを、ステラをどこへやった」
「目を覚ませ、ノクト」
メガネはノクトの赤く変色した瞳を見つめる。
「お前は、この国の次期国王なんだ。頭のどこかでは分かっているんだろう。かけおちなんかしている場合じゃないって」
ノクトが右手を握り締める。
「殴れよ。それぐらいでお前の気がすむんなら安いものだ」
ノクトは唇をかみしめた。ノクトの力を嫌というほど知っているメガネだが、不思議と怖さはない。それよりも、普段感情をあらわにしないノクトがここまで取り乱しているのを見て、悲しくなったほどだ。
(それほど、あの子を想っていたのか、ノクト)
メガネの無言の呟きが聞こえたかとでもいうかのように、ノクトは力なく手を離した。
彼の瞳の激情がみるみるうちに消えていく。
魂が抜けたかのように、何も映していないただの青いガラス玉のような目を、ノクトは伏せた。
「ひとりにしてくれ」
メガネに背を向け、床に膝をつく。
その逞しい背中が、徐々に震えだすのをメガネは見て、何も言わず部屋を出て扉を閉めた。
これから始まるであろう苦難の日々を思い、彼は長い溜息をついた。







end.





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