SOMNUS

もしもこの日常が壊れたら





その夜も、宝石をばら撒いたような夜景が二人の目の前に広がっていた。
王国で一番豪華な夜景スポットである城のテラス。
一般人は立ち入ることができないため、他には誰一人いない。
贅沢なひとときだった。
都会の生温かい夜風に金髪をなびかせて、ステラは微笑む。
それは完璧な一枚の絵だった。
ステラが自分の方を見つめていることがわかったが、ノクトは目を逸らした。
彼女の目はやさしいのに光が強すぎて、あまりに美し過ぎて、彼はいつも戸惑いを感じる。
目を逸らしたがために、彼女の瞳が陰ったことにも彼は気付かなかった。
「ノクトさま、覚えていますか? 今日が何の日か」
「……ああ、もちろん」
「一年て、あっという間ですね」
「そうだな」
彼はポケットから赤いリボンのついた小さな箱を取り出した。
付き合い始めて一年の記念。
中身は小さなダイヤのついたネックレスだ。
「素敵……」
ステラが言葉を失う。
こういう場合、首にかけてあげるものなのだろうか。
ノクトが迷っているうちに、すでにステラはそのネックレスを首にかけていた。
あまりアクセサリーをつけない彼女の胸元で光る小さな石は、シンプルなサマーセーターをぐっと華やいで見せた。
ステラが困った顔をする。
「わたしったら、何も用意してこなかった」
「いいよ、そんなの」
こういう日のプレゼントは普通男の方からするものだ。
「それじゃ……」
ふわっと良い香りがして、ステラの髪がノクトの首に触れる。
頬にものすごく柔らかい何かが触れるのがわかった。
「ありがとうございます。ノクトさま」
頬にキスされたのだと分かるまでにしばらく時間がかかった。
それほど、ステラの行動が予想外だったのだ。
ノクトは顔に血が上るのを感じた。
夜の暗さがありがたかった。
ステラの真っ直ぐな視線を感じつつ、ノクトは彼女の方を見ることができなかった。


「ノクトがステラちゃんを避けてるって?」
「ええ……」

城から歩いて数分にあるビルの高層階のバーは、まだ早い時間であるためか客の数はまばらだ。
チャラ男とステラは窓際のスツールに並んで座っていた。
チャラ男は、ステラから呼び出しを受けて何かの冗談かと思ったが、彼女の深刻そうな表情を見て笑いをひっこめた。
「あの、すごく訊きづらいことがあるのですが……」
「なんでも聞いてよ」
「ノクトさまは他に好きな人がいるのでしょうか?」
今度こそチャラ男は「冗談っ」と笑いそうになったが、ステラの目が真剣そのものだったので、思わず出かかった声を呑みこんだ。
「どうしてそう思うの?」
「付き合い初めて一年になりますが、その、ノクトさまはあまりわたしの方を見てくれないし、それに、デートしても手を繋いだこともないし、その……」
(キスもしてくれない)
チャラ男はステラが言えなかった言葉を脳内で補完した。
つまりキス以上のことはしていないということだ。
「これはつまり、わたしのことを好きじゃないってことじゃないでしょうか」
「違うね」
チャラ男があまりに即答だったので、今度はステラが驚いたように目を瞠る。
「ノクトは照れ屋なんだよ。あんな外見してるくせに女の子と話すのが苦手でさ。ステラちゃんがあまりに好きだから、多分どうしていいのかわからないんだと思う」
「でも、不安でたまらないんです。わたしはどうすれば……」
俯くステラを見るチャラ男の目がきらりと光る。
「ステラちゃん、いい案があるよ。ちょっと耳かして」
「え? ええ……」
チャラ男はステラの耳元に口を寄せ、ある作戦を伝えた。



     *



その小さなイタリアンレストランは、海浜公園の傍に建っていた。今夜この店を貸し切って行われるのはチャラ男の誕生日パーティーなのである。
「絶対来てね」
チャラ男は子供のようにはしゃいでいた。いくつになっても子供のように無邪気な男だ。

「はーぴばすでいとーゆー、はーぴばすでいとーゆー、はーぴばすでいでぃあ、ちゃらおー」
オンチなチャラ男の歌声に合わせて、ノクトやステラ、それにスカ―フェイスとメガネは手拍子をしていた。
大体、自分の誕生日になんで自分で祝いの歌を歌うバカがいるだろうか。ノクトは呆れていたがステラだけは親切にも一緒に歌ってやっていた。
テーブルの真ん中にでかでかと置かれたラウンドケーキ。その上に立てられたろうそくの火をチャラ男が勢いよく吹き消すと、スカ―フェイスが持っていたクラッカーを鳴らした。
灯りが付いて拍手が起こる。
「おめでとうございます、チャラ男さん」
ステラが祝いの言葉を言う。
「へへ、ありがとう、ステラちゃん」
チャラ男が鼻の下をのばした。そのデレデレした顔を見て、隣に座っていたノクトは彼の足を蹴飛ばしてやりたくなった。
普段なら実行していただろうが、今日はチャラ男の誕生日なので何とか大目に見てやる。
「しかし、お前は年を取るたびに子供になってくみてぇだな」
スカ―フェイスがシャンパンをあおる。
「まったくだ」
相槌を打つメガネ。
「ええ、なにそれ。ひどいよ」
ケーキを頬張りながらチャラ男がふくれる。まるで小学生だ。
「そんなことよりプレゼントはないのかな〜? ね、ノクト」
チャラ男が上目遣いで片目を瞑る。
うんざりしながらノクトはプレゼントの包みを半ば投げやりに手渡した。
「俺たちみんなからだ」
「わーいっ。結構大きいね、なんだろなんだろ」
チャラ男が喜々として中身を開ける。
出てきたのはリクルートスーツ一式。チャラ男の顔が曇る。
「なにこれ」
「お前もいつまでも遊んでないで、そろそろ就職活動に本腰入れろ。俺たちからの応援の気持ちだ」
「なんだよ〜。なんでボクだけ?」
「お前が一番就職に苦労しそうだからだ」
メガネが表情を変えずに言う。「ブランド物だぞ。大事にしろ」
チャラ男はやけくそのように皿のケーキを口の中に押し込んだ。
味わうことなくビールでそれを胃の中に流し込むと、ふっ切ったように立ち上がる。今日の彼は主役兼幹事なのだ。
「さてお次はお待ちかね、『王様ゲーム』!
今日はボクの誕生日だからボクが王様でいいよね」
それを聞いたスカ―フェイスとメガネがあからさまに嫌な顔をした。ノクトも同じ気持ちだ。過去たびたび悲惨な目にあっている。
「つきあってらんね」
そう呟いて席を立とうとしたスカ―フェイスの服の裾を引っ張ってチャラ男が割り箸を突き出す。
「席立つ前に引いてよ。スカ―フェイスには何も期待してないから」
「はあ?」
「もう、引く気がないなら代わりにボクが引くよ。はい、これ」
勝手に引いた割りばしの一本をスカ―フェイスに渡して、チャラ男は次なる標的メガネにも同じように勝手に割り箸を抜き取って渡す。
「おまえ、それじゃゲームの意味がないじゃねぇか」
スカ―フェイスのもっともな反論も無視して、チャラ男はノクトとステラに向き合った。
「お二人さんもどうぞ」
残る二本の箸を一本ずつステラと分け合ったノクトは、もうゲームのことなどどうでも良くなっていた。
「さあて、みんなくじを引いたね。では王様から命令を出しまーす」
チャラ男は意気揚々と胸を張った。
「二番と三番がちゅーをすること!」
箸の先に書かれた数字をみる。
二番はノクト、三番はステラだった。ノクトはチャラ男をにらんだ。
「お前、仕組んだだろ?」
チャラ男はにやにや笑う。「王様の命令は絶対だよ。ボクたちがいてやりにくいんなら、外でしてきてもいいよ」
「そんなこと言ってるんじゃない。おまえ、ステラに失礼だろう」
「ステラちゃんに失礼? なにそれ、ノクトの態度の方がよっぽどステラちゃんに失礼だと思うけどね」
「おまえ……」
「だめ!」
ノクトの握り締めた拳をステラが慌てて両手でつかんだ。ノクトははっとしてステラを見る。ステラが目を伏せた。
「ノクトさま、外へ行きましょう」
ノクトは促されるままステラとともに店の外に出た。
ドアのところで振り返るとチャラ男がスカ―フェイスにヘッドロックされてこらしめられているところだった。


夜の海風が心地よい。
遠く林立するビル群の夜景が、海面にゆらゆらと映っている。
一定の間隔で設えられたベンチには、カップルたちの姿がある。
そう言えばここは人気のデートスポットだった。
柵にもたれたステラが微笑む。
「頭、冷えましたか」
「え? あ、ああ」
ノクトは頭をかいてステラの隣で海風にあたった。
「あんなことでムキになるなんて、馬鹿だな、俺も」
そう、普段ならチャラ男の冷やかしや冗談に目くじら立てるノクトではない。
いちいち腹を立てていたら今頃きっと禿げている。
ステラが絡むと普段の冷静さがなくなってしまうのだ。
「悪かったな、嫌な思いさせて」
「いいえ、ちっとも」
ステラは笑って、海風に心地よさそうに髪をなびかせている。そして感情の読めない小さな声で言った。
「だって、わたしがチャラ男さんにお願いしたんですもの。ノクトさまともっと親しくなるにはどうすればいいかって」
「……え」
「まさか、あんな単純で直接的な方法だとは思わなかったですけど。でもそんなことはこの際どうでもいいのです」
ステラの顔から笑みが消える。ノクトの方を向いて、みるみるうちに、今にも泣きそうな顔になる。
「あなたの頬にキスしたとき、どれほど勇気を必要としたかわかりますか? わたしが震えていたことに気付いてくれましたか?」
ステラの大きな目がきらきらと輝きだす。
「あなたが好きでたまらない。でもあなたがわたしのことを本当はどう思っているのか、それを考えるたびに怖くなるのです。だってあなたはいつも……」
ステラの言葉が途中で途切れた。ノクトが彼女の身体をかき抱いたからだ。
そのまま、お互いの熱に打たれたように二人は唇を合わせた。
――その瞬間
電流のような歓喜と震えが二人を襲った。求め続けていた相手にやっと出会えたという感慨は狂おしいうねりとなって二人の身体を駆け抜けた。それは何の根拠もない実感であった。しかし、だからこそ二人はお互いの存在を「好き」という感情を超えたそれ以外に考えられないものとして受け止めていたのだ。
ステラの不安はきれいに拭い去られた。
彼女は知ったのだ。ノクトも自分と同じ気持ちであることを。

唇を合わせるだけの軽いキスで二人は呼吸を乱していた。
お互いが特別な存在であることはもう疑いようがなかった。
これ以上のことをすればどうなってしまうのか。
湧きあがってくる欲望をノクトは寸でのところでこらえ、ステラの肩に手を置いて身体を離した。
それだけのことでひどく惜しい気持ちがする。
ステラが濡れた瞳で見つめてくる。彼女も同じ気持ちなのだ。

自分が想いこがれて、同時にひどく恐れていたのはこれなのかもしれない。
ノクトは思った。
だからこそ、彼はステラを遠ざけていた。
それでも離れられなかった。
きっと自分たちは磁石のN極とS極のようにお互いを引き寄せあう。
振り切るほどの強さはない。
運命的な出会い。一度落ちてしまえばきっと溺れてしまう恋愛。
そんな予感がしていた。ステラを一目見たその時に。
そんなものに自分が陥ってしまうなんて、考えたこともなかった。
第一、そんなものが存在するなど夢にも思わなかった。

自分たちはこれからどうなってしまうのだろう。
その答えを探るように、二人は互いの目を見つめあった。
扉は開かれてしまった。もう後戻りできない。
その事実の重さに半ば呆然として、二人は海風に吹かれていた。




END.




***



ステラちゃん、そもそもチャラ男に相談するのが間違ってます。





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