SOMNUS

隙だらけの君





「はあっ?」
思わずノクトは声を上げていた。自分の声が静かな会議室に響き渡るのを聞き、思わず口を手で覆う。
目の前に座るのは、威厳を全身からみなぎらせている父であるにも関わらず、ノクトは普段の遠慮さえ忘れていた。それほど、父の言葉に驚愕したのだ。

王である父にこんな風に呼び出される時には、決まって重大な要件を伝えられる。
日常会話など出来ぬほど父は忙しかったし、ノクト自身も父は親である前に王という存在であった。広い城に暮らしていて、親しげな会話をしたことはほとんどない。
今日も、会議室へ呼び出された瞬間に、「今度はなんだろう。司法試験を受けろだろうか。それとも留学しろだろうか」と覚悟を決めたノクトであったが、父の話はそのノクトの覚悟さえ超えていた。
その内容と言うのが、

「見合いをしろ」

というものだったからだ。

ノクトの声に父は心外そうな目を向けた。ノクトは慌てて「すみません」と謝った。厳格な父の前ではどうしても下手になってしまう。
「何を驚くことがある。お前もそろそろ身を固める年ごろだろう」
ダークスーツがマフィアのボスのように似合っている父は、長い足を組んで目の前に呆然と立っているノクトを見上げた。
「でも……、結婚なんてまだ早いです」
「何も今すぐどうこうと言っているわけではない。まずは会ってみることだ」
父は封筒を取り出した。豪華な装飾の施されたお祝儀袋のようなそれから出てきたのは、こちらを見てにっこり笑う女性の写真と経歴を記した紙。いわゆる、釣書だ。
「ローザン家はお前も知っているだろう、この国屈指の大財閥だ。この縁談がまとまれば、我が王室の経済的基盤は盤石となり、ひいてはこの国にとっても益となるだろう」
政略結婚であることを隠そうともしない父に対して腹立ちは感じない。
王家に生まれ、次期国王として育てられたノクトは、王族の結婚というものが、本人の意思よりもまず王家の発展を優先させることは、自明の理として理解している。
ただ彼を動揺させていたのは、心をよぎるステラの笑顔。
煮え切らないノクトの態度に父は目を細めた。心の底まで読まれそうな鋭い目だ。
言うなら今だ。自分には心に決めたひとがいる。
しかし――
ステラとは何度か二人で出掛けたが、付き合っているわけではない。
何度も「付き合って欲しい」と言おうとした。
しかし結局言えなかったのだ。
それは、自分が次期国王で自由意志の恋愛は出来ないと心のどこかで諦めていた――と言い訳すれば格好がつくが、実のところ勇気がなかっただけである。
ノクトの沈黙を肯定と取ったのか、「話は終わりだ」と無駄を嫌う父は立ちあがった。
「見合いは来週の日曜日だ。それまでにその釣書を熟読しておくように。お前の釣書はすでに先方に送ってある」
父の厳しい声に反論の余地はなかった。



「ふーん、ローザン家のお嬢様ねえ。けっこう、かわいいじゃん」
ソファに寝転がったチャラ男が、アイスを食べながらノクトの見合い相手の写真を眺めている。
「それに、どことなくステラちゃんに似てない?」
チャラ男の言葉にノクトは振り返った。それは自分も感じたことだったからだ。
「会うだけっていうけど、案外本気になっちゃったりしてね、ノクト」
チャラ男がにやにや笑う。ノクトは彼の手から写真を奪い取った。
「そんなことあるわけないだろ」
ノクトは写真を見もせずに封筒に入れてしまう。
「ノクト、本気で見合いする気? ステラちゃんは?」
チャラ男が笑みをひっこめて問う。
「会うだけだ。王の決定にそむくことは俺にだってできない。知ってるだろ」
「まあね」
でもこの場合は『王』じゃなくて『父』の決定と言うべきじゃない?
出かかった言葉をチャラ男はひっこめた。


「え? ノクトさまがお見合いを?」
電話越しにステラの声が震えたのをチャラ男は聞き逃さなかった。
「うん、今度の日曜日。場所はこの前平和協定締結記念パーティーが開かれたあのホテルだよ」
「そうなのですか……」
ステラが息を詰めたように沈黙する。
「一応、王様の命令だからね。ノクトも従わざるをえないみたい」
なんとなく、ノクトをフォローしてやる。
ステラに連絡することがお節介なのは重々承知している。
しかし、何もせずにはおれないチャラ男であった。
ノクトとステラ。この二人を見ていると、もどかしい気持ちでいっぱいになるのだ。両想いであるのは傍から見ても明らかなのに、そのことに当の本人たちが気付いていない。彼らはお互いが片思いしていると勘違いしているのだ。
むしろ二人のためというより、チャラ男の個人的な満足のためかもしれない。
「ごめん、それだけだったんだ。いきなり電話なんかしてごめんね」
チャラ男は一方的に話して電話を切った。
やるだけのことはやった。あとはステラ次第だ。


ホテルの56階から眺める街は、真夏の太陽に照らされて、青空の下広がる巨大なコンピューターの集積回路のように、整然と白く輝いていた。
黒いスーツに身を固めたノクトは、貸し切りにした高級レストランで、父と並んでローザン家の面々と向かいあった。
ノクトとしては、見合いというよりも王子としての仕事の一環だという心持だった。
この見合いは、王の面目を立てるための芝居なのだ。そう考えると、大して緊張もしない。
対するローザン家の人々は見るからに緊張しているようだ。
それは当然のことだろう。
一国の王と王子と対面しているのだから。
ただ、当の見合い相手であるローザン家の令嬢シルヴィアは、ノクトに微笑みかける余裕を見せた。
その笑みに思わずどきりとしてしまい、慌ててノクトは目を逸らせた。
実物の彼女は写真よりもさらにステラに似ていた。
金髪はステラよりも長く、腰ほどまであった。
ステラと違って緩やかなウェーブを描いている。
衣装はノースリーブのミニのドレス。色は彼女の口紅の色と同じ薄いピンク色で、前合わせと裾ににふんだんにフリルがついていた。
着る人を選びそうなその衣装は、華やかな彼女には驚くほど良く似合っていた。
ステラにもきっと似合いそうだが、彼女は絶対に着そうにない派手な一枚だ。

料理が運ばれてくる。
フランス料理のフルコースだ。
ノクトは最初の一皿をもくもくと片づけていた。
父は時折シルヴィアに彼女自身のことについて質問し、シルヴィアはそれに対し丁寧に答えていた。一国の王を前にして物怖じしない受け応えに、父は満足したようだ。「はきはきした良いお嬢さんだ」と辛口の父にしては珍しい世辞まで言った。ローザン家の両親は、恐縮しきってノクトに質問を投げかけたりはしなかった。父が話しかけると最初のうちは真っ赤になってしどろもどろの受け応えをしていたが、コース料理のメイン、子羊のローストが運ばれてくるころになると、だんだんと慣れてきたのか、王国の経済について白熱した議論になり始めた。
そうなると、蚊帳の外に放り出されたていのノクトは、料理を片づけると手持無沙汰になってしまう。間を持たせるためにシャンパンに赤ワイン、水まで飲み干し、次の料理が運ばれてくるまでとうとうすることがなくなってしまったノクトは、知らずため息をついていた。ノクトの所在無げな姿に気付いたのか、目の前に座っているシルヴィアが、遠慮がちに話しかけてきた。
「ノクティス様は、よく食べるんですね」
「え、ああ、まあな。結構旨いし」
ノクティスと呼ばれ、初めて出会ったステラにもそう呼ばれた記憶がよみがえる。
そうなると目の前のシルヴィアがステラに重なる。さっき呑んだワインがもう回ってきたのだろうか。
次の料理が運ばれてきてシルヴィアとの短い会話は中断してしまった。


「陛下、本日はこのような機会を与えていただき感謝いたします」
深々と頭を下げたローザン家の人々に対し父は手を振った。
「いいや、礼には及ばぬ。どうだろう、シルヴィア殿さえよければ、ノクティスと二人きりにしてやってはいかがだろうか」
ローザン家の両親の顔が見る間に輝く。シルヴィアは頬を赤らめた。
ノクトは「何を言い出すんだ」とでも言いたげな視線を父に向けたが、無視される。
レストランから出ると、扉の外の廊下には護衛の兵士たちがずらりと並んでノクトたちを出迎えた。ゴシップに対しても限界体勢が取られているのだ。この階は関係者以外立ち入り禁止になっている。
父がノクトを振り返る。
「それでは、ノクティス、シルヴィア殿を頼んだぞ」

家族と別れ、取り残されたノクトとシルヴィアはどちらともなく顔を見合わせた。
シルヴィアがおずおずと言う。
「あの、よろしければこのホテルの60階へ行きませんか? 個室でくつろげるラウンジがあるんです」
ノクトを見つめるシルヴィアの目元が赤い。さっきのワインで彼女も酔っているのだろうか。
それに――
シルヴィアは背はステラと同じぐらいだが、どちらかと言うとスレンダーな体型のステラに対し、シルヴィアは豊満な体つきをしていた。太っているわけではない。女性の体として理想的な具合にバランスよく肉が付いている。
彼女の胸の谷間に目がいきそうになり、慌ててノクトは目を逸らした。
今さら気付いたが、シルヴィアは男ならだれもが振り向く様なスタイルをしていた。

最上階のそのラウンジは、静かな音楽と夕暮れの空に演出された大人の空間だった。
素面であれば、初対面の男を個室ラウンジに案内するなどおかしいと気付いただろう。
しかし、ノクトは自分で思うよりも酔っていたようだった。
だから、なんら不信感さえ抱かなかった。
彼女の行動は突然だった。
いきなり正面から抱きつかれたのである。
不意をつかれたノクトはよろけて彼女の重みごと革張りのソファに倒れ込んだ。
彼女の豊かな胸が体に当たる。
「……っ」
「ノクティス様」
シルヴィアは想像を絶する甘い声を出した。真正面から見つめられると、彼女の顔しか目に入らない。体つきの違いさえ分からなくなり、まるで目の前にいるのが想いを寄せるステラであるかと見まごう。
「ずっとお慕いしておりました」
彼女の顔が一層近づいてくる。彼女の長い睫毛に縁取られた緑色の目が閉じられようとした刹那、ノクトはステラとシルヴィアの決定的な違いを見出した。
ステラの凛とした紫の目ではない。シルヴィアの目はまるで熱に浮かされたかのように濁っている。
ノクトはシルヴィアの迫りくる唇から顔をそむけた。
その時個室の外の騒ぎが聞こえてきた。
「お客様、待ってください、お客様。困りますっ」
ばたばたと走ってくる足音。ばたんと扉の開く音に続いて――

「ノクトさまっ」

ソファに倒れ込んでいたノクトは見上げるような形で、自分を見つめる愛しき人の姿を見た。

――最悪だ。

今のこの状態をどう説明すれば良いのだろう。

「なによ、あなた」
シルヴィアが興を削がれたとでもいうようにステラを睨む。
ノクトの肩に手をついて立ちあがったシルヴィアは腕を組んで真正面からステラを見据えた。
こうして二人並んで見ると、輝きの違いは明らかだった。
何故にこの二人が似ていると思ったのだろうか。
ステラの内側から発散される高貴な美しさにシルヴィアが叶うわけがないのだ。
ノクトが険悪な二人の間に割って入ろうとしたときである。
バシッ。
頬を打つ強烈な音が響いた。
それは、ステラの平手打ちが炸裂した音だった。
信じられないというように、シルヴィアが両手で腫れた頬を抑える。
「あなた、やったわね……」
明らかに彼女が殺気立ったのがわかった。
緑色の目が怒りに燃えている。
シルヴィアがステラのニットを掴んだ。
「お返しよっ」
叫ぶなりシルヴィアの右手がステラの頬を打つ。
ステラが二、三歩よろけた。かなりの威力だったらしい。
さらに握りこぶしをつくるシルヴィアからステラを守る様にノクトは間に立った。
「あんた、もう出てってくれないか」
「なんですって」
シルヴィアは真っ赤になった。
「ローザン家をないがしろにしていいと思ってるわけ? 貧乏王室のくせにっ。わたしと結婚すればお金の心配がなくなるのに、バカなの?」
「お金の心配はなくなるだろうけど、新たな心配が増えそうだ」
前後の見境のなくなったシルヴィアはまた手を振り上げた。
ノクトはよけなかった。しかし彼女の手はノクトの頬を打つ前に何者かに掴まれた。
「なにするのっ。放して」
「はいはい、そこまで〜」
およそこの緊迫した状況に不似合いな間の抜けた声が響く。
彼女を後ろからはがいじめにしたのはチャラ男だった。
「ノクト、危なかったね」
チャラ男がにやりと笑う。
「おまえ、どうして」
「ローザン家って聞いて気になってたんだよね。大財閥って言うのは本当で、シルヴィアちゃんのご両親もまともなんだけどね……」
シルヴィアが身悶える。しかし細いが力のあるチャラ男の腕はびくともしない。
「ノクトのオヤジさんが知らなかったはずはないと思う。結構有名な話だからね。たぶん、オヤジさんはノクトを試したんじゃないかな。このコ、じゃじゃ馬娘なんだよ。この体ももちろん整形で、先月までは赤い髪をしてたよね、たしか。そんで外国の映画俳優と不倫してた。その前は某実業家と同棲してたし、その前は……」
「もういい、聞きたくない」
ノクトは首をふった。
「今回ばかりは本気だったんじゃないかな。ノクトを落とせば王室と縁つづきになるわけだし。ノクトの弱点を調べて整形したんでしょ、ステラちゃんみたいな顔に。そう考えると結構けなげだよね。でも性急に過ぎたね、ノクトは奥手なんだよ」
チャラ男がぐいっとシルヴィアの顎をつかんだ。
「ねえ、ノクトなんかより、ボクと遊びにいかない?」
そして彼はシルヴィアに背後からキスをした。しかもかなり濃厚なやつを、だ。
「おい、チャラ男っ」
真っ赤になったノクトとステラに「ばーい」と手を振って、チャラ男は力の抜けてしまったようなシルヴィアをなかば担ぐように個室から出て行った。

ノクトとステラはしばし呆然とそれを見送った。
先に正気に戻ったのはステラだった。
「ノクトさま」
呼ばれて彼女に向き直ったノクトは頭を下げた。
「ステラ……、その……ごめん」
彼は謝る以外の術をもたなかった。
「謝罪の言葉を聞きたいんではありません」
ステラは顔をそむけた。居心地悪そうに個室から出て行こうとする。
ノクトはさっき自分とシルヴィアが倒れていたソファに目をやった。
「出よう、ここを」


二人は、ガラス張りの展望ホールにやってきた。
ホールには誰もいない。窓の外は都心の豪勢な夜景。それは初めて二人が出会った場所だ。
「覚えてますか? あの日のこと」
ステラは死神の絵の前に立った。
「あなたを見て、わたしは勇気を振り絞って声をかけたんです」
ステラが笑う。泣き笑いのような笑顔。
「わたし、緊張すると一人でしゃべっちゃう癖があって」
彼女はノクトから目を逸らして、水槽で泳ぐ魚に目をやった。
「きっと呆れてましたよね、よく喋る女だなって」
ノクトはステラから目を離せなかった。
彼女の目が水槽の光を反射してキラキラと輝く。
あの時と同じ。彼女はくるくると色んな表情をして、ノクトを飽きさせない。
「呆れるわけないだろう」
ノクトはしっかりとステラの目を見つめた。
彼女の強い瞳を見るのは覚悟のいることだったが、今度は自分が勇気を出す番だ。
「ステラ、君が好きだ。俺と付き合ってくれないか」
途端――
ステラの目がさらにキラキラと輝きだす。
目に溜まった涙が光を反射しているのだ。

「うれしい」

ステラが両手で顔を覆った。

「ステラ」
ノクトは彼女を柔らかく抱きしめた。
彼女の流す涙がノクトの胸を濡らす。
愛しい温もり。

どうしてもっと早く言えなかったのだろう。
言えてたらステラを不安にさせることだってなかったはずだ。

彼女の温かさを感じながら、もっと自分に正直に生きようと、ノクトは心に誓った。



end.






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初めて小説のリクエストで書かせていただいたものです。
ステラのお見合いの逆バージョンということでしたが、
架空キャラも出てきたり、かなり無理やりな展開です・・・(汗)



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